ニュースクリップ―廃炉を当然議論に | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

ニュースクリップ―廃炉を当然議論に


<東日本大震災>原発一色の官邸…生活支援は後手に
毎日新聞 3月18日(金)23時37分配信

 東日本大震災発生から1週間。菅直人首相は官邸に泊まり込んで「戦後最大の危機」の陣頭指揮を執った。18日の記者会見では東京電力福島第1原発の危機を乗り切る「決死の覚悟」を強調した。だが、官邸が24時間態勢で原発対応に追われる中で、実態がなかなかつかめなかった被災者支援が後手に回る事態へと陥った。

 首相退陣論も広がる中で明けた11日朝、首相の外国人献金問題が発覚。政権の致命傷につながりかねない政治的危機は間もなく発生した大震災でいったん棚上げになったが、国全体が原発事故の大惨事に見舞われた。

 「逃げるな!」

 首相が怒りを爆発させたのは翌12日午後。同原発1号機の水素爆発から1時間以上たって東電から通報が届き、首相は電話越しに東電幹部を怒鳴りつけた。「こんなことをやっていたら会社がつぶれるぞ」と責任の共有を求めたが、その後の対応は「専門家の東電に任せる」(首相周辺)という判断をした。

 だが、事態は好転するどころか、水素爆発は3号機でも発生し、惨事の連鎖が始まる。同原発からの「全員退去」を打診してきた東電に首相が乗り込み、統合連絡本部を設置し「日本と東電の運命は一体」(政府筋)の態勢を構築したのは発生から4日たった15日。与野党から「対応が遅すぎる」との批判が上がった。

 首相は16日、面会した笹森清内閣特別顧問に「福島原発が最悪の事態になったときは東日本がつぶれることも想定しなければならない」と語り、首相として原子力事故と戦う巡り合わせへの思いがしばしば「歴史的使命」という言葉となって首相の口をついた。

 しかし、思いだけでは組織は動かない。首相が局面の打開を託したのは北沢俊美防衛相だった。

 北沢氏が首相からの電話で呼び出されたのは16日午前、防衛省での記者会見中だった。爆発事故が相次ぐ中、3号機の沸騰状態の使用済み核燃料プールの冷却化に自衛隊が上空から散水する作戦が検討された。

 「やらせてください」。17日、防衛省作戦センター・中央指揮所にいた折木良一統合幕僚長が北沢氏に電話で伝え、間もなくしてCH47Jチヌーク2機が史上初の「原発冷却作戦」へと飛び立った。放射性物質との戦いという危険な任務だったが、「危険を顧みずというのが我々のスピリットだ」と自衛隊幹部は決意をにじませた。

 だが、18日、東京消防庁や東電との統合作戦を率いるに至って自衛隊には不満も漏れた。自衛隊は作戦の指揮拠点となる「最終調整所」を現地に設けることを決定。しかし、具体的な協力態勢は定まらず、自衛隊に明確な「指揮権」はないままだ。統幕幹部は「最後は自衛隊が泥をかぶれということか」と憤った

 原発事故対処に振り回される政府の危機管理に懸念を持った民主党は手薄となった被災者支援へと動いた。

 「枝野(幸男官房長官)さん、疲れているね」。17日の政府・民主党連絡会議で輿石東参院議員会長は話しかけた。原発と被災者支援の2正面作戦が官邸の能力の限界を超えているとの危惧があり、「秘策」を披露した。

 「仙谷由人代表代行を官房副長官にしてはどうか」。官邸も提案を受け入れ「首相は原発、仙谷さんは被災者支援に特化する」と役割分担した。この官邸増強策を政府関係者は「官房長官2人体制だ」と漏らした。

 対応が遅れた背景には府省間の調整不足も目立ち、民主党政権が掲げる政治主導の機能不全も指摘された。枝野氏は18日、大震災発生後初めて各府省の事務次官を集め、連携して被災者支援に取り組むよう指示した。【須藤孝、犬飼直幸、坂口裕彦、吉永康朗】


政治主導空回り…「危機の連鎖」に対応し切れず
読売新聞 3月18日(金)23時27分配信

 菅政権が東日本巨大地震と津波、原子力発電所の事故、被災者支援など「危機の連鎖」に対応し切れていない。

 自らが直接、課題に取り組もうとする菅首相の下で役割分担は進まず、記者会見を繰り返す枝野官房長官も原発事故のデータなどの説明に追われ、被災者や国際社会の信頼を得られずにいる。態勢の抜本的な立て直しが求められている。

 「日本を改めて作るんだという覚悟で、一緒に立ち向かっていこう」

 18日夜、防災服にスニーカー姿で首相官邸での記者会見に臨んだ首相は、時おり目を潤ませながら、復旧・復興の決意を語った。

 首相は11日の地震発生以降、5回にわたって「国民向けメッセージ」を発表した。この日の記者会見を含めて2回はごく短時間、質問を受けたが、基本は一方的な発信だ。

 計画停電の実施や原発事故に伴う避難地域の拡大など実務的な情報とともに、「決死の覚悟」「命がけで取り組む」という言葉が飛び交う。首相に近い関係者は「国民を励ましたいという気持ちが強い」と説明するが、18日の記者会見でも原発事故の収拾時期について「そう遠くない時期」とあいまいに語るなど、国民の不安の払拭につながる場とは言い難い。

 首相にかわって広報を担当する枝野氏も地震発生以降、18日夕までに計30回の記者会見を行ったが、原発事故を巡る専門的な質問に答えることなどで手いっぱいの状態だ。

 政府内には「政治主導はいいが、結局、官邸は何も決められない」と嘆く声も出ている。

 18日朝。東京電力福島第一原子力発電所(福島県)への地上からの放水方法を巡り、首相は北沢防衛相、枝野氏らと首相官邸で協議した。しかし、1時間たっても結論が出ないことにしびれを切らした首相は、「そんなのはもういい」と議論を打ち切った。議論の中心は「高濃度の放射性物質が漏れ出す危険性の高い3号機だけに放水するか、1号機にも放水するか」だったが、結局は「現場に任せる」という当たり障りのない結論に落ち着いた。

 この日の協議では、前夜から始まっていた放水の指揮を、自衛隊に一元化することもようやく確認した。最初は警視庁、次に自衛隊、さらに17日夜になって東京消防庁に出動を要請するという「逐次投入」の結果、一斉放水が物理的に難しい狭い現場に各部隊がひしめき合い、混乱する事態が懸念されたためだ。

 理系の東京工業大出身で「原子力には強い(詳しい)」と自負する首相は、原発対応には人一倍やる気を示し、首相官邸での陣頭指揮にこだわっている。しかし、首相や周辺が、今回の原発事故の被害の大きさや事態の緊急度を見誤り、初動の遅れにつながった、と言う声は消えない

 米国が申し出た支援を断ったことが、その後の事態の深刻化を招いたという見方も出ている。

 米国のクリントン国務長官は地震発生直後、ホワイトハウスでの会合で原発事故に触れ、「日本の技術水準は高いが冷却材が不足している」と懸念を示した


 民主党幹部は「米側はその後、原発事故への支援を申し出たが、日本側は辞退した」と語る。首相周辺は「支援の話は首相や官房長官には届いていない」としているが、「東電が原子炉を廃炉にせず、自力で収拾できると考えていたことが政府の判断に影響を与えた」(政府筋)という声もある。核分裂の反応を抑える効果から原子炉の冷却に使われるホウ酸と海水を注入すれば、運転再開は難しくなる。これを東電が嫌がり、政府も追認したというわけだ。

 結局、12日になって福島第一原発1号機で水素爆発が発生し、東電は海水とホウ酸の注入に踏み切った。


福島の原発廃炉「当然議論に」=東電常務が記者会見
(2011/03/18-22:57)時事通信
 福島第1原発の一連の事故で、東京電力の小森明生常務は18日、福島県内で記者会見し、「県内の原発を廃炉にするか」との記者の質問に「当然、そういうことも議論になると思う」と述べた。また同社の原発事業については「危険な状態を無視することは、経営の根幹に関わる」とし、事業継続の上で設備や運営を見直す考えを示した。
 住民への情報提供や生活支援が遅れているとの非難を受け、東電社員を避難所に派遣し、要望に応えることを表明。一方で、原発事故の被災住民への補償は「国とも相談して考えていく」とし、明言を避けた。
 小森常務は2008年6月から2年間、福島第1原発の所長を務めた。会見では「私も住民でした。住民の顔を浮かべると本当に申し訳ない」と謝罪した。
 原発を冷却するための危険な放水作業に自衛隊員や警察官、消防士らが携わっていることについては「多くの人が大事故に携わっていることに、本当に頭が下がります」と声を詰まらせながら語った。