海外のみなさんの救出・救援活動に感謝 | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

海外のみなさんの救出・救援活動に感謝

東日本大震災:各国、救出活動に全力 「あきらめない」 市民団体・メディアも支援

毎日新聞 2011年3月17日 

 東日本大震災の被災者たちへの支援の輪が各国で広がっている。外務省のまとめでは、16日午後6時までに116カ国・地域と28の国際機関が支援を申し出た。現地入りした各国の救助隊は「あきらめない」と救出活動を続けている。政府だけでなく、メディアや市民団体などによる被災者支援の動きも各国で本格化している。

 16日までに来日した救助隊は、米国144人(米軍を除く)やフランス134人、韓国102人など14カ国・地域から約800人。ロシアも約80人が同日新たに到着し、計約160人規模になった。岩手県大船渡市や宮城県南三陸町などで救援活動に携わっている。

 米軍は、原子力空母「ロナルド・レーガン」など海軍艦船9隻を三陸沖などに派遣し、津波で流された人々の捜索にあたっている。食料や水、粉ミルクの輸送も行っており、ルース駐日米大使は16日の会見で3トン以上を搬送したと発表した。

 大船渡市で活動するロサンゼルス郡消防隊のデビッド・ストーンさんは、米CBSテレビに「ハイチでは(昨年1月の)地震の2週間後に見つかった生存者もいる」と強調した。

 初めて日本に国際救援隊を派遣した中国隊は、同行するスタッフが中国版ツイッター「微博」で「住宅内で老人の遺体を発見した。08年の四川大地震の際、日本の救援隊の黙とうが国民に感動を広げたが、我々も黙とうをささげた」「現場は風雪交じりで非常に寒い。だがあきらめていない」などと報告。中国のネット利用者からエールが送られている。

 韓国隊は16日から宮城県塩釜市で捜索活動に入った。がれきの間に差し込む特殊カメラや救助犬を使って、生存者の発見を急ぐ。

 一方、米国際開発局は16日、585万6000ドル(約4億7000万円)の拠出を発表した。インドネシア政府も200万ドル(約1億6000万円)、タイ政府も2億バーツ(約5億5000万円)の支援を決定。地震発生当日の11日に義援金30万ドル(約2500万円)の拠出を決めている台湾は、被害拡大を受け金額を2億7000万円へ増額した。

 16日にはインドから毛布1万2000枚が届いた。台湾では民間から集まった発電機350台や衣類2万着、寝袋と毛布1万枚の日本への輸送が始まっている。カナダやモンゴルからの救援物資も届きつつあるという。欧州連合(EU)も15日、毛布、マットレス、飲料水などを送ると表明した。

 ◇中国青年報「痛み分かち合おう」
 東日本大震災をめぐっては、中国漁船衝突事件で対日感情が悪化した中国のメディアでも支援の呼び掛けが目立っている。

 中国共産主義青年団の機関紙「中国青年報」は15日、「心の結び目を解き中日で震災の痛みを分かち合おう」と題した評論員の論評記事を1面に掲載。戦争の記憶から日本への支援に一部の中国人が複雑な思いを抱くことを認めつつ、「災難に直面するなか、我々は手を携えなければならない。痛みは思いやりで癒やされ、争いは包容で消える。生命は愛で強くなる」と呼びかけた。

 漁船衝突事件で対日強硬論を展開した時事情報紙「環球時報」は16日、「日本に温かい手を差し伸べよう」と呼び掛ける学者100人の意見書を掲載。北京大学国際関係学院の王緝思院長らによる意見書は「歴史問題が政治的な摩擦をもたらすこともあるが、宿命や困難を克服する過程で互いに励まし合うことが必要だ」と、募金やボランティア活動への参加を呼び掛けた。

 新華社通信も同日、佐藤充さんという宮城県女川町の水産会社役員が、中国人研修生約20人を避難させてから自分の家族を捜しに戻り、研修生たちの目前で津波にのまれた事件を報じた。研修生たちは「(佐藤さんによる)助けがなかったら、自分たちは生き残れなかった」と話し、記事が掲載されたサイトには「日本人への見方が変わった」などの書き込みが相次いでいる。

 一方、タイの有力英字紙「ネーション」は同日、最終ページ全面を使い、日の丸に「前を向いて歩こう日本」と日本語のメッセージを掲載。被災者へのお見舞いの言葉とともに、タイ国内での募金窓口を紹介した。


ロシア救助隊第2陣、支援表明116か国・地域

(2011年3月17日00時22分 読売新聞)


 外務省は16日、東日本巨大地震を受けて、ロシアから救助隊第2陣約80人を受け入れると発表した。


 仙台市周辺で活動する。また、カナダ、インド両国はそれぞれ毛布2万5000枚、タイも毛布2万枚の支援を表明した。

 外務省によると、海外からの支援申し入れは16日午後6時現在、116か国・地域、28国際機関となっている。


東日本大震災:各国から支援続々 116カ国・地域が表明
毎日新聞 2011年3月16日 19時36分(最終更新 3月17日 7時17分)


行方不明者の捜索に向かう米国のレスキュー隊員=岩手県大船渡市で2011年3月16日午前9時2分撮影(共同) 東日本大震災の被災者たちへの支援の輪が各国で広がっている。外務省のまとめでは、16日午後6時までに116カ国・地域と28の国際機関が支援を申し出た。現地入りした各国の救助隊は「あきらめない」と救出活動を続けている。政府だけでなく、メディアや市民団体などによる被災者支援の動きも各国で本格化している。

 16日までに来日した救助隊は、米国144人(米軍を除く)やフランス134人、韓国102人など14カ国・地域から約800人。ロシアも約80人が同日新たに到着し、計約160人規模になった。岩手県大船渡市や宮城県南三陸町などで救援活動に携わっている。

 米軍は、原子力空母「ロナルド・レーガン」など海軍艦船9隻を三陸沖などに派遣し、津波で流された人々の捜索にあたっている。食料や水、粉ミルクの輸送も行っており、ルース駐日米大使は16日の会見で3トン以上を搬送したと発表した。

 大船渡市で活動するロサンゼルス郡消防隊のデビッド・ストーンさんは、米CBSテレビに「ハイチでは(昨年1月の)地震の2週間後に見つかった生存者もいる」と強調した。

 初めて日本に国際救援隊を派遣した中国隊は、同行するスタッフが中国版ツイッター「微博」で「住宅内で老人の遺体を発見した。08年の四川大地震の際、日本の救援隊の黙とうが国民に感動を広げたが、我々も黙とうをささげた」「現場は風雪交じりで非常に寒い。だがあきらめていない」などと報告。中国のネット利用者からエールが送られている。

 韓国隊は16日から宮城県塩釜市で捜索活動に入った。がれきの間に差し込む特殊カメラや救助犬を使って、生存者の発見を急ぐ。

 一方、米国際開発局は16日、585万6000ドル(約4億7000万円)の拠出を発表した。インドネシア政府も200万ドル(約1億6000万円)、タイ政府も2億バーツ(約5億5000万円)の支援を決定。地震発生当日の11日に義援金30万ドル(約2500万円)の拠出を決めている台湾は、被害拡大を受け金額を2億7000万円へ増額した。

 16日にはインドから毛布1万2000枚が届いた。台湾では民間から集まった発電機350台や衣類2万着、寝袋と毛布1万枚の日本への輸送が始まっている。カナダやモンゴルからの救援物資も届きつつあるという。欧州連合(EU)も15日、毛布、マットレス、飲料水などを送ると表明した。

海外から震災支援続々=申し出、阪神の2倍超
 東日本大震災を受け、海外からの支援の動きが相次いでいる。16日午後6時までに支援の申し出があった国・地域は116、国際機関は28に上った。外務省の記録では、阪神大震災の際に支援を申し出たのは53カ国で、今回は既にその2倍を超えている。
 「被災者は寒い中で何とか生き抜こうと助け合っている。心から感謝する」。インド政府の支援物資である毛布2万5000枚のうち、第1陣の約3000枚が同日、成田空港に到着。伴野豊外務副大臣はすぐにプラサード駐日インド大使に会い、謝意を伝えた。
 支援を表明する国などは日を追って増加。16日は新たにミャンマー、アルジェリア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ジンバブエ、国際刑事警察機構、地球環境ファシリティ、米州開発銀行、国際労働機関、国連人間居住計画が支援の意向を伝えた。
 援助物資も14日に中国からテント900張などが届いたのを手始めに、16日はインドの毛布が到着。政府は不足しがちな毛布、マットレス、ペットボトル入りの水、ポリタンクの提供を各国に要請しており、17日以降、カナダやタイからも届く予定だ。
 各国救助隊も続々と被災地入り。16日はロシア隊の第2陣約80人が成田空港に着き、福島第1原発の原子炉冷却に当たる米原子力規制委員会(NRC)の専門家8人も到着。同日までに要員を派遣した国・地域は14に上り、国連人道問題調整事務所(OCHA)のチームが各隊の調整に当たっている。(2011/03/16-21:27)



安否不明3000人生存 石巻・北上と南三陸で避難確認

2011年03月16日  河北新報

行方不明者の捜索活動を行う米国の救助隊員

 巨大津波にのみ込まれた三陸の浜で、安否が不明だった約3000人の生存が確認された。陸の孤島となった石巻市北上町では、1000人近くが生き延び、避難していた。町民1万8000人のうち1万人の安否が分からなかった宮城県南三陸町では、約2000人の無事が判明。日を追うごとに死者が増え、悲しみに暮れる浜にかすかな光が差した。

 石巻市北上町は、北上川が注ぎ込む追波湾に面して集落が点在する。12日朝の国土交通省の空撮映像によると、海岸沿いの家屋は跡形もなく破壊され、がれきが湾内に浮かんでいた。
 津波は湾奥の北上川河口で周囲にあふれて内湾の長面浦と一体となり、新たに広大な湾ができていた。その底に南側からの唯一の陸路、国道398号。北側の南三陸町からの道路も打撃を受けて陸路が絶たれ、陸の孤島となった。
 宮城県警は14日、ヘリコプターで石巻市北上町に向かい、上空から捜索隊を降ろした。陸上からの初の被災状況調査で、住民約940人が避難していたことが分かった。
 約600人が十三浜地区の「にっこりサンパーク」、約200人が「相川子ども支援センター」にいた。被害を免れた自宅で暮らす住民も109人いた。
 捜索隊が各避難所にたどり着くと、食料など物資が不足しており、住民は早く届けるよう求めた。救急搬送が必要なほど健康状態が悪化した住民はいなかったという。
 宮城県災害対策本部によると、石巻市北上町の北隣の南三陸町でも15日、安否不明者約1万人のうち約2000人が避難していることが確認された。
 県警は連日、他の県警などの応援を得て、約4500人態勢で捜索、救助活動に当たっている。


◎「ただ、抱きしめたい」連絡船復活、再会の喜び 気仙沼・大島

 「この人の顔を見ないうちは死ねなかった」。船を降りた主婦小野寺京子さん(74)は、出迎えた夫の栄三郎さん(77)に抱きついた。
 交通手段が寸断されていた気仙沼市の離島、大島。市中心部から戻る人たちを乗せた連絡船が15日、震災発生後初めて運航された。
 取り残された会社員や高校生ら約20人が乗船。島西側の浦の浜漁港に接岸すると、あちこちで再会の喜びがあふれた。
 浦の浜地区には旅客船など4隻が打ち上げられ、住宅はほぼ全壊。住民によると、東の田中浜から入った波と、西の浦の浜から入った波が、島中央の小高い丘でぶつかったという。
 大島に住む農業大崎喜久夫さん(67)は女の子の孫が津波にさらわれ、行方が分からない。「孫はこの春の小学校入学を本当に楽しみにしていたのに…」と絶句した。
 多くの住宅が津波で倒壊し、死者や行方不明者は30人以上に上るという。重油混じりの波をかぶった山林の火災は現在も延焼中で住宅地に迫る。小学校などの避難所で1000人以上が過ごす。
 大島に妻と幼い子ども2人を残していた会社員桜田勝宣さん(32)は船を降りると「今はただ、抱きしめたい」と足早に自宅に向かった。
 生活に欠かせない「足」が戻り、浜には救援物資も届いた。
(菊池道治、高橋鉄男、関川洋平)


◎各国の救助隊捜索を本格化 大船渡

 東日本大震災で甚大な被害を受けた大船渡市中心部で15日、米国、英国、中国の国際救助隊が救援活動を本格化させた。
 計225人の国際救助隊員は、早朝から救援活動に参加。14匹の救助犬とともに大量のがれきで埋め尽くされた中心部を回り、倒壊した家屋の中に入ったり、車の窓ガラスを割って中をのぞき込んだりして、行方不明者の捜索に当たった。
 がれきや鉄骨が散乱する一帯は廃虚のような状態。米ロサンゼルス消防局から参加した男性隊員は「想像以上にひどい。2005年に米南部を襲った大型ハリケーン『カトリーナ』の被災地を思い出した」と話した。
 救援活動を見守った同市の自営業鈴木東吾さん(70)は「苦しいときだからこそ、各国から差し伸べられる支援の手は涙が出るほどうれしい」と語った。
 米、英の救助隊は14日に大船渡市に隣接し、野営地のある岩手県住田町に到着。中国の救助隊(15人)は14日から救援活動を行っている。活動は17日まで行う予定。


◎75歳女性92時間ぶり救出 岩手・大槌

 15日午前10時40分ごろ、東日本大震災で津波の被害を受けた岩手県大槌町の民家から、応援で派遣された大阪の救助隊員らが住人の阿部才さん(75)を救出した。阿部さんは釜石市の県立釜石病院に搬送された。低体温症だが意識はあり、命に別条はないという。
 地震発生から約92時間ぶりで、被災者の生存率が著しく下がるとされる「72時間」から20時間近く経過していた。
 大阪市消防局などによると、阿部さんは家具などが散乱した1階部分で倒れ込んでいたのを隊員らが見つけ、声を掛けると「大丈夫。ありがとう」と答えたという。
 阿部さんの息子が同町内の救助隊の指揮本部に「母がいる」と駆け込み、隊員8人が出動して約10分後の救出だった。消防関係者によると、男性は自宅で母の声を耳にし、助けようとしたが、扉が開かずに入れなかったという。階段の下で横たわり、低体温症を起こしている様子だったが、意識はしっかりしていた。家が少し高台にあったことも幸いし、津波が押し寄せた際は2階に上がって難を逃れていた。
 隊員も気持ちが高ぶり、最初に見つけた隊員の声は思わず大きくなったという。
 15日朝に救助作業を始めた大阪府枚方寝屋川消防組合消防本部の上農和範救助小隊長(38)は「びっくりしたし、うれしかった。被災地での救助活動はつらいものになっていたので、隊員はみな何とか頑張ろうという気持ちでいた」と話した。
 大阪市消防局は約230人を現地に派遣。大阪府内のほかの自治体の消防隊員らと、大槌町を中心に活動している。

◎離島から「大丈夫だ」仙台の娘に希望呼ぶ着信

 「こっちは大丈夫だ。何とか家にいる」
 仙台市青葉区の主婦八木美紀さん(46)の元に震災発生から4日たった15日夕、石巻市の網地島で暮らす父、八木軍司さん(72)から携帯電話に連絡が入った。
 安否が分からず不安が募った12日夜にも1度、電話がつながった。わずか約30秒。「大丈夫だ」とそれっきり。背後に母美恵子さん(70)の声も確かに聞こえた。
 網地島に関しては報道などによる情報がなく、一度は最悪の事態も覚悟したという。
 元郵便局員と元看護師という軍司さん夫婦。網地島南東部の長渡集落で暮らしてきた。週に1回来る船の食料が頼り。プロパンガスは使えるだろうが、電気は通じていないと見られるし食料はないはずだ。
 15日も通話できたのは1分ほど。その後は携帯の電池が切れたようで、つながらなくなった。それでも両親が無事だったことで、被災生活に明るい希望が差した。
 美紀さんは「離島には両親のような人がいるはず。たとえ、すぐに救い出すことはできなくても、物資を島に落としてほしい」と望んでいる。
(大場隆由)