菅総理の「喧嘩腰」が治らない(中川語録) | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

菅総理の「喧嘩腰」が治らない(中川語録)

菅総理は、ようやく1998年の『金融国会』を思いだしたようだ。

1998年に菅民主党が「政局にしない」と宣言し、自民党が金融再生関連法案の民主党案を丸のみしたことを、である。

私は、ねじれ国会の対応方法はこの98年金融国会の方法しかないと一貫して主張してきた。

しかし、今の菅総理に決定的に欠けているものがある。それは、かつて、池田勇人総理がとなえた「寛容と忍耐」である。菅総理の「喧嘩腰」が治らない。

2007年からのねじれ国会では、政権交代のため、民主党は重要法案を「政局にする」ことを優先した。日銀総裁の同意人事がその象徴である。政局の道具にされた日銀同意人事の結果が今日の日銀総裁である。

2010年からのねじれ国会でも、民主党は「喧嘩腰」の姿勢を変えなかった。野党提出法案をじっくり審議して与野党協議にかけるという姿勢は全く見られなかった。

民主党が自民党等が提出した公務員制度改革法案を強行否決することなく、「丸のみ」をも覚悟した修正協議を行い成立させていれば、天下り根絶も、無駄の削減も、もっとできていたことであろう。

真の政治主導のためには与野党協議で成立させるべきなのに、霞が関に妥協した民主党が与野党協議を拒否したことが残念でならない。

そして、ここにきて1998年金融国会の話を持ち出してきた。しかし、「喧嘩腰」が治らない。海外には「柳腰」なのに、なぜ、野党には「喧嘩腰」なのか。

菅総理の「喧嘩腰」のモデルは、95年の米国のクリントン大統領が議会共和党と対立したときにモデルがあるようだ。国民生活を人質にとれば議会を屈服させることができる、と。

しかし、内閣支持率がすでに2割を切っており、統一地方選とも重なるため、このような菅総理の国民生活を人質にとった延命策は、早晩、行き詰ることだろう。

自民党政権時代、国民生活を人質にとった総理など見たことがない。そんな総理がいれば、党内でしっかりと軌道修正された。自らの権力維持しか目的のなくなった政権の末路は哀れである。民衆の力で倒されている海外の政権との類似性を自分では感じないのであろうか。

総理は、予算案を成立させるためにも、早期の解散・総選挙を断行すること追い込まれるだろう。

(2月24日記)中川秀直