与謝野カラーを弱める?:人数の水増しはそれほど意味はありません。会議の庶務権奪還が焦点です | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

与謝野カラーを弱める?:人数の水増しはそれほど意味はありません。会議の庶務権奪還が焦点です

秘書です。

人数を増やしても、「与謝野カラー」を弱めることはできません。
人数は何人増やしても、ほとんど意味がありません。
本気で「与謝野カラー」を薄めるなら、事務局を奪還してください。
そして会議の庶務権※を掌握してください。
草案の書き手を奪還してください。
そこまでやってはじめて「与謝野カラー」を薄めることができます。
それだけの覚悟はありますか?


※高橋洋一さんは、官界では事務局の運営実権は「庶務権」と呼ばれており、この事務局の「庶務権」こそが「最大の権力」であると指摘する。高橋さんによれば、審議会において、官僚にとって「内容的に改竄が無理なほど自分たちの意見とかけ離れていたり、触れてもらいたくない問題点を議題にのせそうな人がいれば、今度はロジスティックで対抗する」。例えば、審議会の日程を組むのは事務局であり、反対意見を持つ人が来られない日を調べて、わざとその日に審議会をセットする。ある期日までに審議会の結論を出させたくないときには、わざと遅く審議会の審議を開始するか、期限を切らずに延々と議論させる。さらには「結論が出なかった」とするために、審議会員の人数を水増しする(人数を増やすことはむしろ事務局主導になるということですね)。玉石混淆の議題を数多く用意して、議論をかき回す手口もある。(高橋洋一(2008)『さらば財務省!』講談社、93-96ページ)

■与党から早くも「与謝野カラー」弱める動き 委員追加は仙谷氏の意向
産経新聞 2月5日(土)20時21分配信

 5日の社会保障改革に関する「集中検討会議」初会合は、菅直人首相の決意とは裏腹に、与謝野馨経済財政担当相の影響力を弱めようとする与党内の動きが印象付けられた。国民新党は消費税率引き上げにも強い警戒感を示しており、一体改革の混迷を予感させた。(坂本一之)

 「(社会保障は)ギリギリにまで来ているのが現状だ。コア(中心的)な部分の議論をいただき、国民的議論につなげたい」

 首相は初会合で一体改革の必要を指摘し、与野党を超えた国民的論議へつなげたい考えを改めて示した。

 ただ、与謝野氏が一体改革論議を主導するために作った検討会議からは、きしみが聞こえている。

 「(民主党抜本改革調査会長の)仙谷由人先生から、女性や実際に社会保障にあたっている方の数を増やせと言われたので、新しいメンバーを選任した」

 与謝野氏は記者会見で、新しい「委員」18人を追加した理由に仙谷氏の意向を強調した。

 「委員」は一体改革案の策定には関与しないものの、18人となれば論議の拡散は避けられない。自公政権時代の経済財政諮問会議に関わった内閣府幹部は「人数が多いほど意見集約は難しい」と語る。

 民主党内には「幹部委員」についても、主要メンバーとそれ以外に選別する構想が浮上しており、与謝野氏が作った「装置」は解体の危機に直面している。

 会議の位置づけも不透明だ。6月末にまとめる政府・与党案が1つなのか、複数なのかをめぐって「選択肢を示すことが大事だ」(堀田力・さわやか福祉財団理事長)との意見と、「検討会議はベストのものを提案する方がいい」(柳沢伯夫元厚生労働相)との考えに割れた。

 さらに国民新党の亀井亜紀子政調会長は終了後、記者団に「この議論は最後はいつも『財政破綻するので消費税を上げてしまおう』という風になる」とさっそく消費増税を牽制(けんせい)した。

 首相は4日夜、民主党議員らとの会合で、与謝野氏の国会答弁を「いろいろなことを考えて発言されている。うまい」と褒めた。

 だが5日の検討会議で首相は「(政府・与党案が)1つなのか複数の選択肢なのか、議論の中でまとまっていければありがたい」と述べるだけで、与謝野氏が目指す「思想と哲学のある1つの案」には同調しなかった。


→中曽根税制改革の教訓

 中曽根首相のもとの税制改革は当初の素案は民間ブレーンが作成したものの、政府での正式な税制改革は大蔵省主導の政府税制調査会で行われました。中曽根首相はこの政府税制調査会に、1985年9月に中川幸次、飯島清、公文俊平、牛尾治朗、堺屋太一、江副浩正ら10名の特別委員を送り込みます。当時、この10名の特別委員は「暴れ馬」と呼ばれました。「暴れ馬」の任命には、政府税調が大蔵官僚ペースで進むのを牽制する目的がありましたが、その目的は果たせませんでした。その「暴れ馬」の1人の中川幸次さんは、以下のように第二臨調と政府税調の違いを指摘しています。

「総勢60名という大所帯で、メンバーの大半が利害関係者か、大蔵省の息のかかったマスコミの代表か、学者か、という中で、素人の暴れ馬が議論をリードすることは到底不可能であった。しかも事務局は大蔵省主税局である。私は、税調での議論の進行が臨調・行革審のそれと余りに違うのにびっくりした」


10名の「暴れ馬」は、政府税制調査会の主導権を奪うことはできませんでした。


(財団法人世界平和研究所編集(1995)『中曽根内閣史 理念と政策』財団法人世界平和研究所、562ページ。)


→臨教審の教訓


中曽根首相は臨教審をつくるときに一つの妥協をしました。内閣に臨教審をつくる見返りに、事務局を文部省にわたしたのです。中曽根首相は後に以下のように反省しています。

「(臨教審を内閣に取り上げてつくったが)、そのとき文部省が非常に抵抗し、その事務局をどうするかという問題になったのです。私は文部省の人間でないほうがいいと思っていましたが、文部大臣を説得し、自民党の文部族を説得するために、いわゆる妥協をせざるをえなくなって、文部省の事務局に譲った。それが中教審の勢力の矛先みたいになって、とうとううまくいかなかった。そういうことではないかと反省しているしだいです」

(大嶽秀夫(1997)『「行革」の発想』TBSブリタニカ、47-48ページ。)


そこで、香山健一さんは臨教審事務局と対立。香山さんは、臨教審第二回総会の模様について、以下のように語ります。

「臨教審は発足直後の第二回総会から、いきなり審議会の運営方法、審議の進め方、教育改革の理念などをめぐって、委員相互あるいは委員と事務局、特に文部省関係者との本格的な論争の場となり、我が国審議会の歴史上先例のない『論争する審議会』となることになった」
(財団法人世界平和研究所編集、前掲書、681ページ)

 香山が臨教審に提出した「臨教審第001号・総会の各議題に関する意見」では、


「権威ある事務局は、審議会等の各委員を分断し、その意見や発言に枠をはめたり介入したり、さらに事務局の特権とされる報道機関との接触や資料作成等を通じて、事前に“世論操作”を行うのを常としてきた。(中略)いまなお旧態依然たる“審議会操作”を続けることは絶対に容認できない」

とあります。さらに香山さんは「臨教審004号」で、「自民党文教部会において、文部省官房長が臨教審における私の発言等に、“文部省が大変迷惑している”という趣旨の発言をしたことが伝えられているが、事実の詳細と釈明を公式文書で要求したい」と、官僚の自民党工作を牽制しています。
(上西朗夫(1985)『ブレーン政治』講談社、100-102ページ。)


→官僚機構を事務局とする与謝野路線の翼賛政治体制にむけて民主党解党運動をしているようにしかみえませんが、与謝野路線に異議を唱える人が民主党から出てくるのか?デフレ下の大増税という経済的一億玉砕コースをとめて本当に国民生活第一と体をはれる人は出てくるのか?会議の庶務権を奪還する気もなさそうですし。ちょっと・・・