失敗に責任なし:2000年金融政策転換の教訓 | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

失敗に責任なし:2000年金融政策転換の教訓

秘書です。
誰も政策失敗の責任をとらない日本。
彼らは、頭がよくて真剣に日本のことを考えているはずだ、批判するほうがおかしい、という空気。
この空気が政策判断ミスの免罪符です。
この根拠は何でしょうか。20代前半の学歴が根拠でしょうか。
陸軍士官学校卒業時の序列で終身の人事を行うのと同じような感覚なのでしょうか。
だから、成功パターンが時代遅れになっても何度でも失敗を繰り返し、
失敗から何の反省もなく、同じ過ちを何度も繰り返します。
世界で日本だけの長期デフレの珍事の理由は、こんなところにあります。
言論の自由がある日本がなんでこんなことになるのでしょう?


■日銀利上げの呆れた舞台裏 正論唱えた委員を押し切り、失敗しても責任取らず
2011.02.01 ZAKZAK
 日銀は27日、2000年7~12月の金融政策決定会合の議事録を公開した。

 00年8月11日、日銀はゼロ金利を解除し利上げした。この解除については、政府部内でも異論があり、政府は日銀に対して日銀法第19条第2項の規定に基づき議決の延期を請求した。

 ところが、日銀はこの延期の請求を拒否して、ゼロ金利解除を強行した。その後景気は悪化し、01年3月には量的緩和までせざるを得なかった。

 この利上げは完全な失敗だった。当時、私はプリンストン大学にいて、欧州旅行中のクルーグマン教授からメールを受け取り、そこには「必ず失敗する」と予言されていた。

 後で理由を聞いたら、「CPI(消費者物価指数)上昇率が前年同月比でマイナスなのになぜ利上げなのか」と言っていた。この政策失敗は大学のセミナーでも話題になり、「中原伸之委員だけはまともだが、残りはジャンク(ごみ)ばかりだ」とみんなが言っていた。その議事録なので、研究者ばかりか一般の人にとっても面白いやりとりがある。

 利上げの採決は、中原委員と植田和男委員は反対で、残る速水総裁や山口泰副総裁ら7人が賛成だった。ゼロ金利解除の条件は、デフレ懸念払拭が展望できるであったが、驚くなかれ、反対の2人以外は「デフレ」の意味を正確に理解していない。

 もちろん、デフレは一般物価が持続的に下落していることだが、利上げに賛成した7人は景気動向程度にしか理解していない。だから、7人は「景気が持ち直している」とかの話ばかりで、CPIの数字がほとんど出てこない。

 それに対して、反対の2人はGDPギャップ(需要と供給の差)の大きさやGDPデフレータやCPIがマイナスになっていることを指摘している。植田委員はテーラールール(適正な政策金利を算出するルール)を用いて利上げは時期尚早であることを指摘し、かろうじて学者の体面を守った。

 中原委員は「一番大きな問題はGDPデフレギャップがかなりある現在、生鮮食品を除くCPIが依然として下落気味である時に利上げをすることは、経済学のオーソドックスな理論に反するのではないか」と述べ、「日本異質論ではなく、日銀異質論と言われかねないと強く懸念している」と今でも通用する本質論を述べている。

 また、中原委員は「日本銀行の政策目標が全くはっきりしていない」と指摘。これも今でも通用する。これに対して、山口副総裁は「常に政府の方針に従うべきであるということか」と日銀の感情をあらわにした。

 速水総裁は、第2四半期のQE(GDP速報)が出るまで待った方がいいとの政府意見を退け強行したのが生々しい。しかし、失敗の責任は誰もとっていない。(元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)


→庶民は失敗したら自己責任。しかし、エリートは?

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