考察力:「自分の考え書きなさい」世代に期待! | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

考察力:「自分の考え書きなさい」世代に期待!

秘書です。
読売新聞によると、考察力を問う学校教育への変化の兆しがあるそうです。
いいですね。


■自分の考え書きなさい…考察力見る高校入試
(2010年12月30日03時04分 読売新聞)

 「自分の考えを書きなさい」。昨今の高校入試では、図や世論調査の結果をもとに、生徒自身の考察力を見る問題が目立つようになった。

 12月上旬に公表された経済協力開発機構の国際学力調査(略称PISA)で、15歳の「読解力」に回復傾向がうかがえたが、こうした受験環境の変化を理由に挙げる識者もいる。「自分の考え――」は、来春入試のキーワードになるかも。

 今春の大阪府立高校の入試の国語では、「生物進化カレンダー」なるものが登場した。

 起点の元旦には「生命の誕生」とあり、7月2日に酸素出現、11月4日に多細胞生物誕生と続く。そして哺乳類誕生は12月2日、産業革命は大みそかの23時59分59秒……。

 生物の進化の過程を時間の概念を飛び越え、「1年」に凝縮して説明したもの。問題はこのカレンダーを示し、「どのようなことが分かるか、『人類』『誕生』という言葉を使って書きなさい」と問うた。私たち人類はごく最近、地球に現れた、という答えを示せれば、正解になる。この問題に関連しては、「人類の将来を考えるうえで、どのようなことが大切か」と、50字程度で書かせる設問もある。

 大阪府教委の担当者は「情報を集約して考えさせ、表現する力を見ている。ここ数年、工夫を凝らした問題を取り入れている」と話す。

 2009年に実施し、12月に公表されたPISAで、日本の15歳は「読解力」で8位と、前回の15位から00年の水準まで回復した。「学ぶ内容を増やす新学習指導要領の本格実施前に向上したのは、受験で(応用力を重視する)PISA型の問題が増えたのが一因ではないか」。ベネッセ教育研究開発センターの鎌田恵太郎・主席研究員は指摘する。

 鎌田さんによると、高校入試では今春、大阪府のほか、青森県や埼玉県、岩手県、神奈川県、栃木県などで「考え」を問う問題が出た。青森県はチンパンジーの行動がテーマだった。2匹のチンパンジーが相手にジュースを取ってあげる際、要求があったときにしか行動しないことを図解で示し、人間社会に置き換えて何を思うかを尋ねた。答えは、「助け合い」などの言葉がキーワードになる。

 こうした入試の先駆けとなったのは、中高一貫校の入試だ。文部科学省によると、1999年から設置が認められた公立中高一貫校では、知識を見る学力試験ではなく、応用力を見る問題が多かったという。

 例えば、東京都立桜修館中等教育学校では今春、辞書にある「道」の言葉の意味を示し、考えたことを500字以上600字以内で書かせた。柳沢忠男副校長は「論理立てて思考し、表現できるかを見ています」と語った。

 鎌田さんはPISA型の高校入試問題について、「全体から見るとまだ少ないが、数年前よりは増えている。文章から抜き出すのでなく、自分の言葉で書かせるのが特徴で、入試が変われば授業も変わる。今後はもっと、思考力や表現力を育てるような授業が広がっていくのではないか」と話している。



→この教育を受けた世代が社会の中堅層になるとき、日本は変るかもしれませんね。なんとなく「空気」がそうだから、そう思う、なんてことはなくなりそうですね(みんなが日本は4%成長なんてできないといっているから、私も4%成長はできないと思う、という「空気」を読むことが政策通になる思考停止の政策論はこの時代にはもうなくなるでしょうね)。

→彼らが社会人になったら、温かく迎えましょう。くれぐれも、排除しないように!

→また、「考察力」世代が排除されないようにしておくためには、この「考察力」世代が合意形成をできる能力も同時に身につけておく必要がありまね。すなわち、

①証拠をもとに自分の意見を主張する。証拠は他の人が検証可能なもの。物的証拠を示すことが一番。


実は、現代の日本社会の政策論争は、手続きの瑕疵につての議論(例えば、私は郵政民営化には賛成だったが党内手続にミスがあったから反対した)か、相手の人格攻撃を行い信頼を失墜させる議論が非常に多い。そして、不得意分野の議論については、得意分野に強引に話をもっていって話がすれ違う(例えば、郵政民営化について議論しているのに、諫早湾の議論にすりかえる)。こんなことをしているから、国際社会の交渉では通用しないんですね。

②熟慮と十分な議論により納得を得ること(熟議)。熟議をすれば現段階ではとりあえずそれでいこうという暫定的な合意(合意することについての合意)ができる。

熟議型民主主義(deliberative democracy) は、個人の幸福は他者との関係に関わり、個人の選好は熟議の過程で変化するものであり、個人的価値を加算しても社会的価値にならないと考えます。

熟慮型民主主義は、個人は常に自己利益の最大化を考え、個人の選好は所与のもので不変であり、個人的価値を加算すると社会的価値になると考える利益集積型民主主義 (aggregative democracy) の代案です。


来年の通常国会では民主党は3分の2再議決をやってくるのかもしれませんが、これは熟議ではありません。熟議は多数決主義の対極にある概念です。

③調整力。各自が自分の考えを述べるようになったとすると、同時に必要なのが調整力です。


「管理の預言者」とも評せられるFollett,M.P.(1918)は『新しい国家 民主的政治の解決としての集団組織論』において、「集団過程の本質とは・・・作用と反作用の過程であり、相違を生み出す単一かつ一体化の過程であり、また諸々のものを一つの統一体に統合するものである。複合的相互作用行為、すなわち集団の構成員達が複雑に交織すること(interweavings)こそ、社会的過程なのである。」 、「社会的過程の核心は、同一性にではなくて、相互浸透を通して相違性が調和しつつあるもの(the harmonizing)にあるのである。」 と指摘しています。

 Follettは、以下の4つの調整(co-ordination)を組織の基本的原則とします。

第一に、1つの情況の中の全ての要因を相互に関連づける活動(reciprocal relating)としての調整である。
第二に、責任ある関係者の直接の接触(direct contact)による調整である。
第三に、早期の段階(early stages)における調整である。早期の段階(early stages)における調整について、Follettは「政策の調節は、各部門の政策が別々にでき上がってからではできないのである。」、「彼らの賛成を得るために、完成してしまった案を、彼らに提示するようなことをしてはならない。その案が、まだ作業段階にある間に、彼らを協議に参加させるべである。」と述べている 。
第四に、継続的プロセス(continuing process)としての調整である。 継続的プロセスについては、Follettは継続的な機関が設けられるべきとしている。これは調整の継続的機関としての事務局の重要性を指摘していると考えられる 。

Follettは「調整を強制することはできない。それは自己活動でなければならない。しかもそれは、最も早い段階において始められなければならない。そして常に行われていなければならないのである。」と、早い段階の開始と継続的プロセスの重要性を指摘しています。

調整こそ、コンピューターには代替できない最も人間的な労働です。

実は、官僚主導の根幹にあるのはこの「調整」の機能ではないでしょうか(根回しってやつです)。
これが政治任用の人間や新人議員にはなかなかできない(人的ネットワークがないですから)。この調整機能に、手続の段取りの独占(例えば会議の庶務権の独占)、物的証拠となる情報の秘匿(そして有利な情報だけのマスコミリーク)、そして後に人格攻撃として火がつくインフォーマルな根拠のないうわさ話の流布が加わると・・・

民主党はこの「調整」の機能を軽視しているみたいですね。小沢さん全盛期には「党中央」とあがめて1人の調整力に依存していた。だから、表立ったなりふり構わぬ官僚主導に戻らざるをえなくなったみたいですね。(新人議員が辻立ち50回と握手何万回だけを繰り返していては、考察力も調整力も身につかないのでは?それでどうして国民生活第一の政治ができるのか?国会議員の仕事は次の選挙に勝利すること(それは目的ではなく手段です)ではなく、いまの国難にあたること(それこそ目的)。残念ながら、手段と目的が逆転しているようです)

「考察力」と「調整力」をもった新しい世代の台頭を楽しみに待ちましょう。そして、将来、彼らを温かく迎えましょう。せめて、そのときまで、なんとか日本を維持するようにがんばりましょう。だから、来年も、誰にも幸せ感のない重苦しい「閉塞」状況をつくる「空気」の支配と徹底的に戦い続けましょう。