対外戦略:日米新共通戦略策定、中国が反発したときに菅民主党政権は耐えられる? | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

対外戦略:日米新共通戦略策定、中国が反発したときに菅民主党政権は耐えられる?

秘書です。
民主党の対外政策の基本戦略、一度、党内で徹底的に議論したほうがいいのでは?
党分裂を恐れて根本的な議論を回避したまま、日米共通戦略策定、防衛計画大綱見直し・・・
国家戦略の優先順位もなく、出てきたものをこなしていっても、どこかで周辺諸国からブラフをかけられたら、また官邸「柳腰」がはじまるのでは?


■日米が新共通戦略策定へ、「対中」主要テーマに
読売新聞 11月21日(日)3時4分配信

 【ワシントン=小川聡】日米両政府が、来年春までにまとめることで合意した日米同盟の新たな共同声明に関し、日米両国が地域や世界で実現を目指す新たな「共通戦略目標」を策定することが20日、分かった。

 13日に横浜で行われた日米首脳会談の際に、菅首相とオバマ大統領が確認した。日米が中国にどう対処するかが主要テーマとなる見通しで、「対等な日米関係」を掲げ、中国はじめアジア重視の立場を強調してきた日本の民主党政権の姿勢が改めて問われそうだ。

 新戦略目標の策定は、大統領が新共同声明のとりまとめを求める中で「共通の目標を深化させたい」と提案、菅首相も同意したという。両政府は、早ければ12月上旬にも、局長級で協議を始めたい考えだ。


→この記事は、このあと、日米の共通戦略目標は2005年2月にもまとめられていて、日米の公式文書としてはじめて対中共同対処に言及し、中国が反発した経緯がある、としています。

→さらに記事では、複数の日米関係筋は、新戦略目標の狙いについて、「05年以降、地域の安定を脅かすような中国の行動が増えており、対中戦略強化を含めて確認する」としている。「「05年と基本は同じでも、日本の民主党政権との間で確認することに意義がある」と強調する、とあります。

→中国から猛烈な反発を受けたとき、「柳腰」官邸ははたして耐えきれるのか?6月に戻ったはずの日中関係は?そして戦略的互恵関係は?圧力をかければ「柳腰」がはじまると思われれば、当然圧力がかかることでしょう。先の秘密訪中の延長と位置付けられるかもしれない12月の民主党訪中団でのやり取りも注目となります。


→圧力をかければ屈するとのイメージは、ロシアとの関係にも影響か。

■露大統領の国後訪問情報、首相に伝わらず 説得の機会逸す
産経新聞 11月21日(日)1時40分配信

 ロシアのメドベージェフ大統領が北方領土・国後(くなしり)島を訪問するという確度の高い情報が菅直人首相や仙谷由人官房長官ら政府首脳に事前に伝えられなかったことが20日、分かった。政府関係者が明らかにした。今月1日の大統領による訪問直前の10月末、在モスクワの日本大使館から外務省欧州局に伝えられたが、菅首相らの耳には届かなかった。外務省から官邸に至る情報伝達ルートのどこかで握りつぶされた可能性がある。当時、菅首相と大統領はともにハノイに滞在。情報が伝われば日露首脳の直接交渉も可能だっただけに、日本側は訪問阻止の絶好機を逸したことになる。

 日本固有の領土である北方領土への大統領の訪問計画は9月下旬に表面化した。北方領土問題への対応では強硬派で知られていた前原誠司外相は同29日にロシアのベールイ駐日大使を外務省に呼び、訪問取りやめを要請。大統領はロシア極東のカムチャツカ半島まで来たが、「天候の悪化」を理由に引き返した。

 大統領の訪問計画は10月29日に再び浮上し、在モスクワ大使館は確実性の高い情報を外務省に上げた。このとき菅首相と前原氏は東南アジア諸国連合(ASEAN)関連会議出席のため、ハノイに滞在。大統領とラブロフ露外相も10月30、31日、ASEAN関連の会合出席のため、ハノイにいた。

 だが、外務省内には9月の経緯を踏まえ、「今回も大統領は訪問しないのではないか」との雰囲気が強かった。結局、情報は菅首相や仙谷氏に伝わらず、大統領は1日、旧ソ連時代も含めロシア最高指導者として初めて北方領土に足を踏み入れた。

 ハノイ滞在中の菅首相は沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件以降ぎくしゃくした中国との関係修復を図ろうとしていたが、10月29日には温家宝首相との正式な会談がキャンセルされるなど、中国への対応で忙殺されていた。このため、外務省筋は「『大統領の国後島訪問は間違いない』との情報が伝わっていたとしてもロシア側に説得をはかる余裕はなかった」という。だが、官僚側が勝手に菅首相の事情を斟酌(しんしゃく)して、情報を伝えなかったのだとすれば、問題が残る

 菅首相は大統領訪問を受けて3日に一時帰国(7日に帰任)させた河野雅治駐露大使から報告を受けたが後の祭り。政権内の意思疎通と問題処理能力の欠如が問われる結果となった。

 ■北方領土問題 1945年8月9日、ソ連は41年に署名され当時有効だった日ソ中立条約を無視し、対日参戦した。ソ連軍は終戦後の8月18日、千島列島への攻撃を開始。その後、南進し28日に択捉(えとろふ)島、9月1日から4日に国後島、色丹(しこたん)島、歯舞(はぼまい)群島をそれぞれ武装解除し、5日までに北方四島(北方領土)を占領した。サンフランシスコ平和条約で日本は千島列島を放棄したが、北方領土は含まれていない。北方領土には終戦時約1万7300人の日本人が居住していた。四島の総面積は約5千平方キロで福岡県とほぼ同じ。

→記事が事実とすれば、情報は、どこで誰がとめたのか?何が何でも日中首脳会談という空気がそうさせたのか。

→目先の二国間のことに追われて、多国間の戦略的なアプローチができない。どこかからブラフ、圧力をかけられるとそこだけに追われる「柳腰」。こんな縦割り的、状況追随的な対応は、民主党に基本戦略(判断の優先順位)がなく個別対応の羅列だけだということに根本問題がありそうです。