仙谷官房長官との質疑を終えて(中川語録) | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

仙谷官房長官との質疑を終えて(中川語録)

今日、衆議院内閣委員会で仙谷官房長官と1時間質疑応答をした。

官邸スタッフが作成して総理と官房長官が衆人環視のもとでやりとしたメモを「厳秘」の私的メモであるという。こんなことを認めていては、政策決定過程の情報のほとんどが私的メモとして国民の知る権利の対象外になってしまう危険性がある。

また、流出ビデオについても、私は海上保安庁文書管理規則に基づく秘密文書指定など特別の扱いをしなければ国家公務員法上の実質秘にはならないと考えるとの立場から、いつから何を根拠に、漁船衝突事件の映像は国家公務員法上の実質秘となったのかを来たが、官房長官は回答しなかった。

その代わりに捜査機関の捜査情報だとおっしゃった。しかし、従来から、捜査等への支障と事件の内容を国民に説明するという公益上の必要性について、慎重に比較考量を行なった結果、公表が相当であると判断した範囲に限定してではあるが、広報用ビデオを作成していた。流出した44分ビデオと従来の広報ビデオとはどこがどう違うのか。なんでもかんでも捜査上の情報として非公開にするやり方に危険性を感じる。

菅総理は仙谷官房長官を中曽根政権の後藤田官房長官に例える。中曽根-後藤田体制では、情報公開を国家戦略にどう活用したか。1983年8月31日に起きた大韓航空機事件は、わが国自衛隊傍受テープを日米両国が公開したことで、ソ連も撃墜の事実を認めた。私は、全面公開による事実関係の確定こそ、日中関係改善の礎と考える。

1971年に国家機密文書が新聞された件での米国連邦最高裁の判断は、国民の知る権利が国家機密の指定に優越するのであり、国家機密が国民の知る権利を優越するというのなら、よほどの国益の侵害がなければならないという判断の原点であると思う。 あれから30年近く経過し、情報革命の時代を迎え、さらに公開こそが公共性という時代が来ている。それなのに、菅民主党政権は情報公開を恐れている。むしろ規制強化をしようとしているのではないか。時代の流れに反する反動といわざるをえない。 かつて、権力に対する猜疑の体系こそが近代民主主義の原則だといっていた仙谷官房長官が、権力に関連する情報を次々に非公開にしている姿を見るのは悲しいことである。

仙谷官房長官は尖閣ビデオの取り扱いの一任を受けた閣僚として、全責任を取って職を辞するのが政権中枢にある政治家としての本懐であろう。 それでもなお、権力への未練が捨てきれないというのであれば、我々自民党が国民とともに「介錯」することになる。

(11月12日記)中川秀直