夜の日中関係ニュース:日中平和友好条約第2条とソ中友好同盟相互援助条約 | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

夜の日中関係ニュース:日中平和友好条約第2条とソ中友好同盟相互援助条約

秘書です。
数日前に、中国の新華社電は北方領土問題についての事実関係について、比較的客観的な報道をしたと伝えられております。他方、下記のような報道も。



■スターリン、千島主権に懸念=「北方領土」に固執-毛沢東に伝える・中ソ外交文書
 (2010/11/04-19:42)時事通信
【北京時事】旧ソ連のスターリン書記長が1949年に中国共産党の毛沢東主席との間で新条約締結について協議した際、千島列島の主権について強い懸念を伝えたことが、北京で3日に公表された中ソ外交関係文書で明らかになった。同年の新中国建国により45年にソ連と国民党政府の間で結ばれた中ソ友好同盟条約が破棄されれば、千島列島の帰属を決めたヤルタ協定の合法性に影響すると見ていたという。4日付の北京青年報が報じた。
 ソ連は、千島列島に北方領土が含まれていると主張しており、今回公表された文書はスターリンがこれら領土に固執していた証拠と言えそうだ。
 中ソ友好同盟条約はヤルタ協定に基づいたものだが、毛は同条約を破棄し、新条約を結ぶため、49年12月にモスクワを訪問。毛が同月18日、劉少奇副主席に送った電報によると、スターリンが毛との会談で「中ソ友好同盟条約を変えれば、(ヤルタ協定で決められた)千島列島の問題に及び、米国が千島を持って行ってしまう。条約は改めなければならないが、2年後なら可能だ」と語ったという。中国社会科学院の陳之◆(馬ヘンに華)教授は、同条約がヤルタ会談でソ連の対日参戦の見返りとして、米英が認めた条項を形にしたものだったことから、同条約を改定すれば、米英に対して千島列島条項修正への口実を与えてしまうことを懸念したと解説している。
 ところが、翌50年1月22日の会談で、スターリンは毛に「ヤルタ協定は放っておけ。条約を改める立場を取ったからには、最後までやらなければならない」と指摘。同条約に代わる中ソ友好同盟相互援助条約は同2月14日に調印された。
 結局、中ソの新条約調印後、米英はヤルタ協定の改定を言い出さず、ソ連が千島列島の主権を失うかどうかという問題には波及しなかった。日本政府は北方4島が日本固有の領土で、千島列島には含まれないという立場を取っている。

ヤルタ協定
 第2次世界大戦末期の1945年2月、戦後処理問題を話し合うため、米英ソの首脳がソ連のクリミア半島ヤルタで会談を開き、国連設立のための会議招集、米英仏ソによるドイツ共同管理などを決めた協定。ソ連の対日参戦と、その代わりに南樺太と千島列島のソ連帰属、中国東北地方でのソ連の諸特権獲得などを米英が認める秘密の合意もあった。(北京時事)(2010/11/04-19:45)

→この記事のインプリケーションは何でしょうか?何か政治的なインプリケーションがあるのでしょうか?ないのでしょうか?

→1978年日中平和友好条約締結、1950年に締結した中ソ友好同盟相互同盟条約は1979年4月に中国が廃棄をソ連に通告。

→日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約の第2条は有名な反覇権条項です。


第二条  両締約国は、そのいずれも、アジア・太平洋地域においても又は他のいずれの地域においても覇権を求めるべきではなく、また、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対することを表明する。

→当時の中国の日本の北方領土返還の支持は、この2条の反覇権条項にもからんだものだったように思われます。1978年の平和条約は日中関係の政治的基礎。


(参考)ソ中友好同盟相互援助条約(ソヴィエト社会主義共和国連邦と中華人民共和国との間の友好,同盟及び相互援助条約)

http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19500214.T1J.html

[場所] モスクワ
[年月日] 1950年2月14日作成,1950年4月11日発効
[全文]
 ソヴィエト社会主義共和国連邦最高会議幹部会及び中華人民共和国中央人民政府は、ソヴィエト社会主義共和国連邦と中華人民共和国間の友好及び協力を強化し、日本帝国主義の復活及び日本国の侵略又は侵略行為についてなんらかの形で日本国と連合する国の侵略の繰り返しを共同で防止することを決意し、国際連合の目的及び原則に従って極東及び世界の長期にわたる平和及び全般的安全を強化することを希望し、ソヴィエト社会主義共和国連邦と中華人民共和国との間の善隣及び友好の関係を強化することが、ソヴィエト連邦及び中国の人民の基本的利益に合致することを深く確信して、この目的のためにこの条約を締結することに決定し、次のとおりその全権委員を任命した。

(全権委員氏名省略)

 両全権委員は、その全権委任状を交換しそれが良好妥当であると認めた後、次のとおり協定した。

第一条

 両締約国は、日本国又は直接に若しくは間接に侵略行為について日本国と連合する他の国の侵略の繰り返し及び平和の破壊を防止するため、両国のなしうるすべての必要な措置を共同して執ることを約束する。

 締約国の一方が日本国又はこれと同盟している他の国から攻撃を受け、戦争状態に陥つた場合には、他方の締約国は、直ちに執ることができるすべての手段をもって軍事的及び他の援助を与える。

 また、締約国は、世界の平和及び安全を確保することを目的とするあらゆる国際的行動に誠実な協力の精神をもって参加する用意があることを宣言し、かつ、これらの目的の最もすみやかな実現のために全力を尽す。

第二条

 両締約国は、相互の合意の下に、第二次世界大戦の間同盟していた他の国とともに日本国との平和条約をできる限り短期間内に締結するために、努力することを約束する。

第三条

 両締約国は、他の締約国に反対するいかなる同盟をも締結せず、また、他の締約国に反対するいかなる連合及びいかなる行動若しくは措置にも参加しない。

第四条

 両締約国は、平和の強化及び全般的安全のためにソヴィエト連邦と中国との共通の利害に関するすべての重要な国際問題については、相互に協議する。

第五条

 両締約国は、友好と協力との精神をもつて、また、平等、互恵、国家主権及び領土保全に対する相互尊重の原則、並びに他方の締約国の国内事項に対する不干渉の原則に従い、ソヴィェト連邦と中国との間の経済的及び文化的連携を発展強化し、互いにあらゆる可能な経済的援助を与え、かつ、必要な経済的協力を行なうことを約束する。

第六条

 この条約は、その批准の日から直ちに効力を生ずる。批准書の交換は、北京において行う。

 この条約は、三十年間効力を有する。締約国の一方が条約を廃棄する希望をこの期間満了の一年前に通告しないときは、条約はさらに五年間引き統き効力を有し、この規定に従い順次延長される。

 千九百五十年二月十四日にモスクワにおいて、ひとしく正文であるロシア語及び中国語により本書二通を作成した。

(署名省略)