官邸外交敗北の総括:中国の進路にも重大な悪影響を与えた | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

官邸外交敗北の総括:中国の進路にも重大な悪影響を与えた

秘書です。
東京新聞の清水美和さんは、優れた中国ウォッチャーです。
官邸外交敗北の総括をしていただきましょう。
民主党のみなさんも「失敗の本質」を冷静に学んでください。



■菅政権が見逃した中国「強気の中の脆さ」=清水美和
中央公論 10月12日(火)18時9分配信

対中外交の無惨な失敗

 尖閣諸島沖の日本領海で違法操業していた中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突し逃走を図った事件で那覇地検は九月二十五日、公務執行妨害の疑いで拘置していた漁船船長(四十一歳)を処分保留のまま釈放した。尖閣を自国領と主張する中国政府は周辺海域への日本の法適用を認めず船長の解放を要求していたが、直ちにチャーター機で船長を帰国させ、日本に「謝罪と賠償」を要求してきた。事件をめぐる日中外交攻防の緒戦は日本の完敗に終わった。

 九月七日に事件が発生し八日未明に船長が逮捕されてから、中国政府はたび重なる抗議に加え日中間の閣僚級交流停止、中国人の訪日旅行自粛など対抗措置を次々に打ち出し、音を上げた民主党政権が事件の決着を急いだのは明らかだ。しかし、菅直人首相ら政府首脳は検察に対する働きかけを否定し、釈放は那覇地検独自の判断と口をそろえている。那覇地検は釈放理由について「わが国国民への影響や今後の日中関係を考慮した」と明言し外交的配慮を認めた。尖閣諸島の主権に関わる重要な外交判断を、捜査機関が行ったという政治外交史で前代未聞の汚点となった

 この結果は、日本の尖閣諸島に対する実効支配を大きく揺るがしただけでなく、中国国内の対外強硬論を勢いづかせる禍根を残した。なぜ日本の対中外交は無惨な失敗に追い込まれたのか。それを探ると一見、強気に終始した中国の対応に垣間見える脆さを見過ごし、表向きの強硬姿勢にたじろいで展望を見失った日本外交の根本的な欠陥が浮かび上がる。

「自制」も利かせた中国

 ひたすら強硬姿勢をエスカレートさせたかに見える中国だが、強く自制を利かせた面もある。対日抗議活動への大衆動員を避け自発的な街頭行動を徹底的に封じ込めたのは過去の外交紛争との大きな違いだ。一九九九年五月、コソボ空爆に向かった米軍機がベオグラード中国大使館を「誤爆」した事件では、党指導部の決定で抗議デモに学生が動員された。学生らは北京市西北のキャンパス街から大学のバスで米大使館周辺に送り込まれた。

 二〇〇五年三月に始まった日本の国連安保理常任理事国入り反対運動では学生のデモ動員はなかったが、街頭の宣伝活動は許された。このため、学生街で始まった自発的なデモが次第に膨れあがり日本大使館に向かった。これらの事件では、街頭行動が認められたのを知った学生、市民らが続々とデモに加わり、大使館に石やペンキを投げつける暴力行為に及んだ。治安部隊はデモ隊との衝突を恐れ、目前で投石が行われても手出ししなかった。

 これに対し、尖閣事件発生後の九月十八日に行われた抗議デモに学生の参加は許されず、日本大使館前のデモは治安部隊が取り囲み一般市民と遮断した中で行われた、文字通りの官製デモで混乱はなかった。満州事変の発端となった柳条湖事件が起きた「9・18」には例年、各地で愛国を呼びかける活動が行われ「反日」の機運が広がる。一九八五年には中曽根康弘首相の靖国神社公式参拝に抗議して北京大学の学生らが天安門広場をデモ行進した。

 胡錦濤政権は過去の教訓に学び、この日の大衆行動を徹底的に封じ込めた。中国では金融危機克服のため拡大した投資と融資が、不動産バブルを昂進させインフレを招いた。一層、深刻化する貧富の差と党特権幹部の腐敗に民衆は不満を募らせており、「愛国」を掲げた街頭行動は政府の「弱腰」を批判するデモに発展する恐れが強かった。中国政府は民衆の「ガス抜き」を図るため日本への攻撃を強めたが、対立が続けば大衆の街頭行動が抑えられなくなるリスクを抱えていた。対立が長引き「反日」のうねりが高まるのは、実は中国にとっても望ましくなかった。

 さらに中国が自制したのは、尖閣周辺の海域で主権を誇示し日本に抗議する活動だ。この点で中国が、どれほど「我慢強かった」かは、二〇〇八年六月、尖閣海域で台湾の遊漁船と海保巡視船が衝突し遊漁船が沈没した事件と比べれば明らかだ。遊漁船の乗員・乗客は全員救助され船長も取り調べ後、釈放されたが、台湾の劉兆玄行政院長(首相)は立法院(議会)答弁で尖閣の領有権確保のためには「開戦も排除しない」と述べた。事実上の大使に当たる許世楷台北駐日経済文化代表処代表が召還され、事件から六日後には台湾から出港した民間抗議船を護衛して巡視船九隻が尖閣周辺の領海に侵入し海保巡視船と対峙した。この日、中国海軍の東海艦隊も極秘裏に台湾近海に駆逐艦二隻と護衛艦一隻を待機させ衝突が起きたら台湾を支援する態勢を取ったという(中国紙『国際先駆導報』)。

 台湾では国民党の馬英九政権が〇八年五月に発足してから日が浅く、親日的だった民進党の前政権と異なる厳しい対日姿勢を打ち出す必要があった。また、台湾は日本と外交関係がなく、「直接行動」以外、対抗手段を持たなかったという事情もある。今回の事件をめぐり中国では台湾と比較して政府の「弱腰」を批判し、「海軍を出動させよ」という声がインターネット上にあふれた。しかし、中国政府は香港と台湾の活動家が乗り込み尖閣海域を目指した抗議船を護衛しなかった。別に尖閣海域に向かった中国の漁業監視船も海保巡視船に阻止されると日本領海侵入を断念した。

 中国の海上保安庁に当たる海監総隊の巡視船は尖閣海域に向かうことはなく、海軍も後方支援に出動しなかった。これは海軍や、その別働隊とも言える海監総隊が出動すれば胡政権の思惑を超え事態がエスカレートする恐れが強かったためだ。背景には、胡政権が海洋権益問題で党・軍内の強硬論に譲歩を重ね、海上警察力や海軍を十分にコントロールできないという事情がある。

海洋権益確保の要求

 胡政権は日本を重視する姿勢をとってきたことで知られ、今回の強硬な対応には政府高官にも意外感を口にする人が多い。確かに胡政権は〇六年十月、小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題で五年も首脳相互訪問が途絶えていた日中関係を、安倍晋三首相の公式訪中を受け入れ打開した。安倍首相の靖国に行くとも行かないとも言わないという態度を、事実上の参拝断念と受け止め歓迎したのは胡主席の決断にほかならない。

 胡主席自身、〇八年五月に来日し早稲田大学での講演で「歴史を語るのは未来のため」と語り、日本の明治以来の近代化や戦後の平和的発展を公式に評価した。胡政権に先立つ江沢民政権が歴史問題を言い立て日中関係を悪化させただけに、胡主席の姿勢は日本各界から好意的に受け止められた。

 〇八年六月に日中両国は双方の主張する排他的経済水域(EEZ)が重なる東シナ海で、主権問題を棚上げし長年の懸案だったガス田の共同開発で合意した。胡政権の対日外交は頂点を迎えたが、実はそれが暗転の始まりになる。日中の合意に中国国内では、日清戦争で台湾を日本に割譲した下関条約(一八九五年)以来の「売国外交」という厳しい批判が党・軍内から噴き出した。とくに日本が主張するEEZの日中境界線の中国側で、中国が多くの年月と資金を費やし開発した春暁(日本名・白樺)ガス田に日本の出資を受け入れることは激しい反発を買った。最高指導者が主導した合意にもかかわらず、日本の出資をめぐる条約交渉は開始まで二年を要し、開始後まもなく尖閣事件で中断の憂き目を見た。

 ガス田共同開発の合意に対する反動のように中国では海洋権益確保の主張が高まり、「海洋国土」の防衛が叫ばれるようになった。海洋国土とは、領海のみならず周辺の接続海域やEEZを含む管轄海域全体を指す中国独特の表現で、メディアでは盛んに登場する。それによると、三〇〇万平方キロメートルに及ぶ中国の「海洋国土」のうち「中国が実際にコントロールしているのは半分にも満たず、海洋資源が関係国に大量に簒奪されている」(『国際先駆導報』)という。

 〇八年十二月には尖閣周辺の日本領海に海監総隊の巡視船二隻が侵入し九時間も徘徊して尖閣への主権を主張する前代未聞の事件が起きた。海監は海保に当たる政府機関だが、前身の海軍海洋調査隊が一九六四年に創設された当時から要員も海軍で訓練し、海軍の別働隊と言える。中国の外交筋によると、その後の内部会議で、この航行を指揮した司令官は尖閣周辺侵入時に無線を切り、外交問題になるのを恐れる本部の帰還命令をさえぎったと得意げに報告したという。その後も司令官への処分は行われておらず「愛国的行動」として追認されたようだ。

 胡主席自身、〇九年三月の全国人民代表大会(国会に相当)の解放軍代表団全体会議で「断固として国家主権、安全、領土を防衛せよ」と指示し、海洋権益確保の姿勢を強めていく。外交路線の転換が明確になったのは〇九年七月の第一一回駐外使節会議だ。世界から大使を集め五年に一回開かれる会議では、外交の基本路線が示される。胡主席は中国が「政治の影響力、経済の競争力、親しいイメージを広げる力、道義で感化する力」の「四つの力」を強めるよう呼びかけた。〇四年の同じ会議では「平和安定の国際環境、善隣友好の周辺環境、平等互恵の協力環境、友好善意の世論環境」の「四環境」を整備するよう呼びかけたのに比べ、挑戦的な姿勢を強めた。背景には金融危機で欧米や日本に比べ中国が国力を上昇させ、大国にふさわしい国際的地位を得るべきだという声が国内で高まったことがあった。

 この会議で胡主席はトウ小平氏が示した「韜光養晦、有所作為」(能力を隠して力を蓄え、少しばかりのことをする)という抑制的な外交方針を「堅持韜光養晦、積極有所作為」に修正した。能力を隠し、力を蓄えることを堅持するが、より積極的に外交を展開するという意味だ。この変化は、胡演説の全文が公表されなかったため気付く者が少なかった。新たな外交方針について中国外務省の高官は「国際問題により積極的な役割を果たすという意味だ」と解説する。


軍がリードする強硬路線

 しかし、この方針で自らが主張する対外強硬路線を実現し影響力を拡大したのが中国人民解放軍にほかならない。今年三月に起きた韓国海軍哨戒艦沈没事件では、北朝鮮の魚雷攻撃と断定した米国と韓国が事件現場の黄海で合同軍事演習をすると五月に予告した。すると、中国メディアには軍人が盛んに登場し、中国の玄関先に米空母が侵入する演習に反対する発言を繰り返し、メディアやインターネットには軍人の発言を支持する意見が広がった。

 七月一日には最高位の上将である馬暁天副総参謀長が香港のテレビ取材に「中国領海に近すぎ強く反対する」と発言した。これに対し中国外務省の秦剛副報道局長は、六日の記者会見では「馬副総参謀長の発言に注意している。状況をよく見た上で態度表明をしたい」と述べ明言を避けた。しかし、八日になって「外国の軍用機や艦艇が黄海や中国近海で、中国の安全と利益に影響する活動を行うことに断固反対する」と述べ、公式に反対を表明した。軍人の発言がメディアやインターネットの支持を得る形で事態を決定した。中国の強硬な反対で米韓は黄海合同軍事演習への米空母の参加を断念することになった。

 米中の南シナ海をめぐる対立も、軍が実際の行動で強硬路線をリードした。〇九年三月、米海軍の調査船が南シナ海公海上で中国の情報収集艦など五隻に取り囲まれ航行妨害を受けた。トラブル地点について、米国側は公海上としたが、中国側は「中国のEEZで許可なく活動した」と主張した。事件は政権発足直後で対中関係の改善を目指していたオバマ政権が深入りを避け、双方が再発防止に努めることで手を打った。

 しかし、米国の弱腰を見た中国は、その後も南シナ海で米調査船に対する嫌がらせを続け、今年三月には訪中した米国務省高官に、中国は南シナ海の海洋権益を台湾やチベット、ウイグル問題と同じ「核心的利益」と見なすと通告した。これは主権と領土に関わる問題で外国の要求に妥協はできないという意味だ。六月にシンガポールで行われたアジア安全保障会議で馬副総参謀長は米国が南シナ海、東シナ海で中国の活動を厳しく監視していると非難し、台湾への米国の武器売却などとともに米中軍事交流の妨げになると主張した。

 エスカレートする中国の強硬姿勢に、クリントン米国務長官は七月にハノイで開かれた東南アジア諸国連合地域フォーラム(ARF)で、南シナ海の領土紛争には中立を維持するとしながら航行の自由を守る必要を訴えた。武力による威嚇を戒め多国間協議を通じた紛争解決を仲介する姿勢を示した。これに対し、中国の楊潔外相は声明を出し、クリントン発言は「実際には中国への攻撃」と批判した。中国海軍は南シナ海で大規模な実弾演習を行い、陳炳徳総参謀長が現場で「軍事闘争の準備をせよ」と指示した。軍の行動と主張が中国の強硬姿勢をリードし、それを牽制する米国の対応で海洋の緊張が高まった

胡錦濤のメッセージ

 中国人民解放軍は近代国家としては実に異様な軍隊だ。国家財政に支えられながら、いまだに「党の軍隊」を自認し「国軍化」を「もっとも危険な思想」と排撃する。しかも軍の統帥権は党中央軍事委員会が掌握し、国家軍事委員会は存在しているがメンバーは党と同じで形骸にすぎない。党中央軍事委員会の一一人のうち、主席は軍歴のない胡錦濤総書記が兼務しているが、他のメンバーはすべて軍人で、全国人民代表大会や中央政府の国務院も干渉できない。戦前の日本軍が、統帥権は天皇にあるという建前で内閣や国会の干渉を許さず軍部独裁体制を築いていったことを想起させる。

 中国革命を導いた毛沢東、トウ小平と異なり、江沢民、胡錦濤という軍歴のない指導者が軍事委主席に就任してから、軍人をいかに統制し服従させるかは常に難題で、最高指導者は軍の主張や要求に迎合して地位を保ってきた。二年後に党指導部を一新する共産党第一八回大会を控え、総書記を辞任しても軍事委主席に留任し影響力を確保したい胡主席は、軍の強硬路線を受け入れ権力基盤の確保を図っている。胡指導部の外交路線は絶えず軍の意向に左右されるリスクを抱えているのだ。

 こうした経過を踏まえれば、尖閣事件で中国が示した強硬姿勢のナゾが解ける。九月十二日未明に副首相級の戴秉国国務委員が丹羽宇一郎日本大使を呼び抗議したことは日本で大きな反響を呼んだ。戴国務委員は胡主席の分身とも言える腹心で外交の舵を取る。北朝鮮の核問題をめぐる六ヵ国協議を創設し、米中の戦略・経済対話を取り仕切ってきた。安倍訪中による日中関係の打開も、当時外務次官だった戴氏が谷内正太郎外務事務次官とのパイプで実現させた。これまで、いかなる外交紛争でも大使に直接抗議したことのない戴国務委員が丹羽大使を呼び出したのは、強硬姿勢が胡主席自身の意思であることを日本側に悟らせる行動だった。

 船長の拘置後まもなく、春暁ガス田の操業開始に必要なドリル状の資材が運び込まれたのは、胡主席の主導で合意にこぎつけたガス田共同開発が尖閣事件で風前の灯となり、中国で単独開発の動きが強まっていることを示すものだ。中国の招待で九月二十一日から訪中を予定していた一〇〇〇人規模の日本青年上海万博訪問団に関し、中国側は直前になって受け入れ延期を通知した。日中の青年交流は安倍訪中に先立ち日中両国政府が合意し関係正常化の導水路となった。胡主席は師と仰ぐ胡耀邦総書記が一九八〇年代に始めた青年交流を復活させ、これに並々ならぬ情熱を注いできた。

 胡政権の対日外交を代表する事業が尖閣事件で次々と延期、中止に追い込まれたのは、中国船船長の拘束によって胡主席の対日重視路線が挫折しつつあることを日本側にアピールしたかったためではないか。しかし、民主党政権の中にそれに気付いた者がいただろうか。

官邸の大きな誤算

 中国漁船は九月七日午前、尖閣沖で違法操業中、海保巡視船から退去警告を受け二隻の巡視船に接触、衝突して逃げ、四時間近くの逃走劇の後、停船命令に応じた。政府は対応を協議し八日未明に船長を公務執行妨害の疑いで逮捕した。外交的配慮を言うなら、政府は船長を強制送還することもできた。

 現に〇四年三月、尖閣諸島に中国人活動家七人が上陸した事件で、政府は小泉首相の靖国神社参拝で緊張した日中関係を考慮し、送検を見送り強制送還した。船長の身柄を送検し日本の司法手続きで処罰すれば、尖閣海域に日本の法律を適用するのは「荒唐無稽」(中国外務省)とする中国政府が激しく反発することは火を見るより明らかだった。

 しかし、民主党代表選のさなか総理官邸を仕切った仙谷由人官房長官らは外交的配慮を否定し「法令に基づき厳正に対処していく」とあえて船長の逮捕、送検を認めた。これは客観的には中国の海洋進出に対し尖閣実効支配を主張する外交戦を挑んだに等しかった。先に火中のクリを拾ったのは日本だったのである

 しかし、中国がガス田協議延期や閣僚交流停止など強硬な対抗措置を矢継ぎ早に打ち出すと、仙谷長官は尖閣とガス田問題は「次元が違う」、「日中のハイレベル協議をしたい」と弱音を吐き始める。それは中国に「あと一押し」の自信を与えたに違いない。中国が独占するレアアース(希土類)について事実上の対日輸出制限を始め、河北省の「軍事管理区域」で日本人四人を拘束したことを発表すると、もう政府は持ちこたえられなかった。大阪地検特捜部検事の証拠隠滅事件という弱みを抱える検察当局は、自ら泥をかぶって釈放決定を行う「救いの手」を差し伸べ、政権に「貸し」を作ったのではないか。本来なら捜査当局による外交判断など論外として排除すべき政権も、それにすがりついたのだ

 中国の強硬な対応を読みきれず司法手続きを開始させた官邸の判断が、まず問題だ。中国の党・軍内には海洋権益確保を求める声がうねりのように高まり、二年後の党大会を控え、軍の支持獲得に腐心する胡主席に安易な妥協はできない。外務省は官邸に中国の国内事情を十分説明していたのか。

 中国が外国との対立で激しい非難を繰り返し恐怖を与えるまで対抗措置を口にするのは常套手段だ。たじろいで弱みを見せれば、ますます中国は居丈高になる。菅政権には、中国との交渉術について経験を持つ政治家も、指南するブレーンもいなかった

 胡政権が軍に迎合し対外強硬路線を強めたことで対抗するパワーを欠いた対中外交は今後、無力であるばかりか有害になろう。尖閣事件では日本が司法手続きを粛々と進める一方、中国の海洋進出に懸念を強める周辺諸国に理解と連携を求めて中国の孤立を図るべきだった。国内事情から事件解決を長引かせることができない中国は、対日非難を重ねながらもいずれは事態収拾に動かざるを得なかった。そうすれば対外強硬路線は国際的孤立を招くという教訓を中国に残し、胡政権に党・軍の対外強硬論を制御する手がかりを与えたに違いない。民主党政権は彼我の力関係を顧みず中国に外交戦を挑み、逆に脅されてすくみあがった。さらに検察に釈放決定をさせる責任回避をしたことは、尖閣の主権を危機に陥れたばかりでなく中国の熱狂的ナショナリズムを昂進させ、この大国の進路にも重大な悪影響を与えたことになる

 船長の帰国後も日本に強硬姿勢をとり続けてきた中国も「必ず謝罪と賠償をしなければならない」と主張した最初の外務省声明から「謝罪と賠償を要求する権利がある」(外務省報道官談話)とトーンダウンした。「尖閣は日本固有の領土だ。謝罪や賠償は考えられない」と突っぱねた菅首相に対しても名指し批判を避けている。インターネットでは船長が尖閣海域の漁業に必要な中国政府発行の通航証を持っていたかどうかを問題にして英雄扱いを戒める論調も出始めた。中国が強気の中に垣間見せる弱音を見逃さず、対中外交の展望を切り開く情報収集力と判断力が菅政権に問われている
(了)