尖閣は核心的利益?:鄧小平方針放棄しつつある? | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

尖閣は核心的利益?:鄧小平方針放棄しつつある?

秘書です。
1978年の鄧小平の尖閣問題の方針が放棄しつつあるとの報道。
昨日の菅総理の所信表明は基本的にこの鄧小平方針を中国が堅持していることが前提でしょう。
そして、きっと同盟国の米国の対アジア政策も同様でしょう。
もしも報道が事実で、1978年鄧小平方針の放棄ということは、日本にも領土防衛のための重大な決心と戦略が求められるということにつながります。


■中国、尖閣も「核心的利益」に=台湾・チベットと同列-香港紙
(2010/10/02-17:27)時事通信
 【香港時事】香港紙サウス・チャイナ・モーニング・ポストは2日、北京の外交筋の話として、中国指導部が今年に入ってから、尖閣諸島(中国名・釣魚島)など東シナ海の領土・領海問題を台湾、チベット、新疆問題と同じ「核心的国家利益」と位置付けたと報じた
 尖閣近海で9月7日に起きた日本の海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突事件で中国側がこれまでより強硬な姿勢を示したのは、この政策調整があったためとみられる。 
 同紙によると、中国指導部は昨年末の会議で、国の統一にかかわり、対外関係の中でよく取り上げられる問題を「国家利益」と規定し、特に重要な台湾問題などを「核心的国家利益」とすることを決定。さらにその後、東シナ海と南シナ海の領土問題も「核心的国家利益」に分類したという。
 中国のある日本専門家は同紙に対し、中国は尖閣問題で「論争を棚上げにして、共同開発する」というかつての最高実力者、トウ小平氏の方針を放棄しつつあると指摘している。

→本ブログは、終始一貫、中国共産党中央委員会総会を前の派閥抗争が尖閣強硬姿勢と関連しているとの解説報道に疑問をもってきましたが、もしも、この報道が事実とすれば、中国国内の派閥抗争は一切関係ありません。もっと、深刻な大転換の可能性があります。

(1)1978年の鄧小平方針は、台湾や香港の漁船が尖閣にくることがあっても、中国の漁船がやってこない一つの大きな背景だったのではないかとの指摘があります

◇時論公論 「尖閣漁船問題 中国強硬姿勢の背景」
2010年09月23日 (木)NHKブログ
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/60722.html

・・・尖閣諸島をめぐり、日本と中国との対立が最初にクローズアップされたのは、32年前の1978年。まさに、日中の間で平和友好条約の締結交渉が行われている時期でした。
この交渉の過程で、日本側は、尖閣諸島が日本の領土であることを確認しようとしていたといわれています。ところが、その年の4月、中国から100隻以上もの漁船が、大挙、尖閣諸島に押し寄せ、領海を侵犯する事件が起こりました。
日本側の抗議に対して、当時の最高実力者鄧小平氏は、「二度とこのような問題は起こさない」とした上で、双方の意見が異なるこの問題の解決について、「次の世代はもっと『賢く』知恵があろう」と述べて、棚上げすることを提案。結局、尖閣諸島の日本帰属は明文化されず、事実上棚上げになりました。

確かに、その事件の後、尖閣諸島をめぐり、幾たびか対立もありましたが、香港や台湾からは、尖閣諸島への上陸をめざす抗議船が日本の領海を脅かす事態がおきたものの、中国の漁船が直接、そのような抗議活動に参加することはありませんでした。これまで中国漁船が、台湾や香港の抗議船に同調しなかったのは、鄧小平氏のいった「二度と問題は起こさない」といった言葉を尊重したためと見られます。それにもかかわらず、今回中国政府が、強硬な姿勢をエスカレートさせている背景には、・・・


→「それにもかかわらず、今回中国政府が、強硬な姿勢をエスカレートさせている背景には」→サウスチャイナモーニングポスト紙が指摘するように、1978年の鄧小平方針の放棄があるかもしれません。

(2)それでは、1978年、鄧小平は何といってたのでしょうか。

以下は、田畑光永氏のホームページからの引用です。

http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-1322.html

①1972年9月27日の田中角栄・周恩来会談

 田中「尖閣諸島についてどう思うか? 私のところにいろいろ言ってくる人がいる」
 周 「尖閣諸島問題については、今回は話したくない。今、これを話すのはよくない。石油が出るからこれが問題になった。石油が出なければ、台湾も米国も問題にしない」

 周恩来はこれだけ言うと、「国交正常化後、何ヶ月で大使(館)を交換するか」と別の話題を持ち出してしまった。(『記録と考証 日中関係正常化・日中平和友好条約締結交渉』2003年、岩波書店刊 68頁)

②1978年10月25日、日中平和友好条約の批准書交換のために来日した鄧小平副首相(当時)が日本記者クラブでの会見で次のように述べた(当時の新聞報道による)。

 「尖閣列島は、われわれは釣魚島という。名前、呼び方がちがうのだから、たしかにこの点については双方に食い違った見方がある。こういう問題は一時タナ上げしてかまわない(この部分の中国語は「這様的問題放一下不要緊、等十年也没有関係」。直訳すれば「こういう問題は放っておいていい、十年経とうがかまわない」)。われわれのこの話合いはまとまらないが、次の世代はわれわれよりもっと智慧があろう」

中国で報道された記事には「中日国交正常化を実現する時、われわれ双方はこの問題に言及しないことを約束した。この問題で挑発して中日関係の発展を妨害しようとする連中がいるので、両国政府はこの問題を避けることが利口なやり方だとわれわれは考えたのだ」という一文が入っている。



→今年、日中の経済力は逆転します。マルクス主義の下部構造決定論的な見方でいっても、日中両国関係の大転換が検討されてもおかしくないときです。日本の決心と戦略が問われます。1978年日中平和友好条約締結の「前提条件」のところに遡る深刻な問題です。

菅総理の所信表明に盛られた戦略的互恵関係の御守護札は、鄧小平方針の放棄の前には・・・


■「尖閣」、日本人は怒りを忘れてしまったのか
時評コラム 田原総一朗
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100929/246798/?P=5
鄧小平の戦略的「先延ばし」発言に乗った日本政府
 さて、尖閣諸島と言えば、思い出すのは中国の最高実力者だった鄧小平である。日中平和友好条約の批准書交換のために訪日した1978年10月、鄧小平は「尖閣諸島の問題は次の世代、次の次の世代に持ち越して解決すればよい」と述べた。先延ばしが好きな日本はこれを安易に受け止めたが、実はこれこそ、中国の中国たる戦略ではなかったか。

 この鄧小平発言があったとき、日本はハーグ国際司法裁判所に訴えて、尖閣諸島が日本固有の領土であることを、きちんと決着すべきだった。そうせずに鄧小平の戦略的「先延ばし」発言に乗ってしまったのは失敗だったと思う。いまや中国としては経済大国、軍事大国になり、次の次の時代が来たということではないか

 今年10月末にレンタルが始まる中国の大作ドラマ「三国志」を観る機会があった。全95話に及ぶ長大なドラマである。その一部を何度か観たのだが、そこには義理人情などまったく通用しない世界が描かれていた。裏切りあり、密告あり、何でもあり、なのである。要は、勝つか負けるかの世界である。日本の歴史ドラマに見られる正義とか信義といったものはない。

 今や中国は経済力を高め、軍事大国にもなった。何でも言えるような立場になった。そうした中国と向かい合うには、日本は確たる戦略を持たねばならない。日本には平和憲法があるのだから武力の行使をしてはならない。あくまでも、外交で勝負するしかないのだ。日本はあらゆる外交手段をもって対応していくべきだと思う。

(以下略)