政界再編?:これを歴史に例えるならば | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

政界再編?:これを歴史に例えるならば

秘書です。
民主党代表選。これをいまブームの歴史に例えるならば・・・



■<民主代表選>小沢氏、裏方一転名乗り 政界再編主導にらむ
8月27日2時32分配信 毎日新聞

 あえてトップを狙わず、「二重権力」「剛腕」の名をほしいままにしてきた民主党の小沢一郎前幹事長が、首相の座に直結する民主党代表選に名乗りを上げた。衆院当選14回、68歳。民主、自民両党を分裂させたうえでの政界再編を、政治家生活最後の大仕事と考えたのか。周辺によると、小沢氏は首相として政界再編を主導し、早々に自分の後継首相を選んで裏方に再び戻るとのシナリオを希望しているという。【編集委員・中川佳昭】

 小沢氏は、89年に47歳の若さで自民党幹事長に就任して以来約20年、「2大政党制」に基づく政界再編を目指し、自民党離党後の93年と09年に非自民政権を樹立した。政権交代の節目には、政党トップよりも幹事長、代表代行、代表幹事などのナンバー2として実質権力を掌握してきた歴史でもあった。

 小沢氏は自らの首を縦に振れば、間違いなく首相に就任できたことがある。91年10月、ポスト海部(俊樹首相)の自民党総裁選に、所属していた自民党竹下派の会長だった金丸信元副総理から立候補するよう強く求められた。金丸氏は「一郎、お前がやれ」と諭したが、小沢氏は固辞した。

 小沢氏は政治の師匠だった田中角栄元首相から「政党人の最高ポストは幹事長だ」と教えられたことを固く信じていた。96年に発刊された自らのインタビュー集で「極言すれば、自分のやりたい政治を実現するためには、むしろ総理にならない方がいい」とまで言い切っている。

 小沢氏は91年に狭心症で倒れたこともあり、健康不安も取りざたされた。行動がガラス張りになる首相に魅力を感じず、実権を握ることに腐心してきた。海部俊樹、宮沢喜一、細川護熙、羽田孜、鳩山由紀夫の各首相は、いずれも小沢氏の傘下にあったと言える。

 その小沢氏が今回、民主党代表選に立候補する。首相選びへの初挑戦である。裏権力から表権力への転換を志向する動きだ。

 その背景には、小沢氏を巡る政治とカネの問題で、東京第5検察審査会が再度「起訴相当」の議決をしても、首相本人が同意しなければ憲法75条の規定で起訴されないという点が念頭にあるとみられている。

 また菅直人首相、仙谷由人官房長官から「挙党一致」を拒まれ、小沢、菅両陣営の対決ムードがいや応なく高まったことも要因だ。参院選後、首相の再三の会談要請をはねつけたのは、「挙党一致には応じない」という菅首相の本音を見越したうえでの、代表選対決に向けた布石だったとみられる。

 小沢氏は出馬を決意するにあたり、側近に「菅政権の存続は国益に反する」と語った。この側近は「代表選で負けても、政界再編で勝てばいい。敵、味方を仕分けする」と小沢氏の胸中をそんたくしてみせた。


■要求のめば二重権力=小沢氏との対決「歴史的使命」―菅首相
8月27日1時33分配信 時事通信

 菅直人首相は26日夜、都内のホテルで側近の阿久津幸彦、寺田学両首相補佐官と懇談し、民主党代表選での小沢一郎前幹事長との対決に関し、「人事の要求をのんで再選しても、二重権力構造になる。これで良かった。すっきりする」と述べ、選挙戦で決着を付けることの意義を強調した。首相は「歴史的な使命を感じる。大きな時代の節目に立っている」とも語った。
 これに関し、首相周辺は同夜、首相サイドにはこれまで、小沢氏側から複数の人物を介して、小沢氏の幹事長起用や仙谷由人官房長官の交代を求める要求があったと明かし、「首相は対応に悩んでいた」と述べた。
 懇談で首相は、小沢氏について「バイタリティーやさまざまな言動はすごい」とし、代表選では「(党内)グループの足し算でなく、正々堂々と国民に民主党の姿を見せたい」と語った。 


いつも民主党をみていて思ったのは、民主党は旧東側諸国では党書記長(総書記)が一番偉くて、実務執行の責任者である首相はナンバー2であることに似ているということ。

いまの民主党で起きていることを歴史に例えるならば、毛沢東が劉少奇国家主席ら実務派に実権を渡しておきながら、一転してプロレタリア文化大革命で実務派を失脚させた歴史ですね。毛沢東についた周恩来は・・・

毛沢東も実務のトップにたつことなく、党側で「永久革命」を仕掛けた。日本政治でいえば政界再編か。

さて、90年代以後、二大政党制と首相主導体制の確立をめざしてきて、二重権力はよくないということで政治改革をしてきましたが、その夢が実現してみれば、なんてことはない、官僚主導政治が加速しただけという実務派の決定的な過ちも他方にあるだけに、これはなかなか複雑です。

たとえ、代表選で敗北しても永久革命論は「造反有理」の旗のもと、国会の議場において首班指名で、法案採決で・・・そんな大運動に発展していくのかどうか・・・「注視」しましょう。

首班指名といえば、1979年-1980年に、自民党から福田さんと大平さんの2人の首班指名候補が出て、当時野党の新自由クラブの4票が大平さんに投じられたりその後内閣不信任可決そしてダブル選挙へというドラマがありました。こんな歴史も参考になるかもしれませんね。