65回目の原爆の日に考えたこと(中川語録) | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

65回目の原爆の日に考えたこと(中川語録)

昨日、広島は65回目の原爆の日を迎えた。

式典には私も出席し、初めて参加して核廃絶の素晴らしいメッセージをスピーチされた国連の潘基文(バン・キムン)事務総長とも久しぶりにお会いして、親しく懇談させて頂いた。

また、ルース米国大使はじめ、各国74カ国の代表が列席したことも評価したい。オバマ米大統領来日の際には是非、広島の地を訪れて頂きたい。

昨日のニュースでは、被爆直後の模様が語られていた。何の罪もないのに苦しみの中で死を迎える人、目の前で死にたえていく人に救いの手をさしのべたくても何もできなかった人、これらのみなさんの無念の思いを胸に、いかなる未来への教訓を学ぶべきか。

第一に、65年目の広島は「報復」ではなく「和解」のモデルであるということである。日米関係は「和解」のモデルでなければならない。

第二に、いかなる国であれ、いかなる戦略的な目的であれ、非戦闘員を殺傷することは断じて許されないということである。特に、兵士を守るために非戦闘員を殺傷することは許されない。この点は、21世紀の国際的な規範として確立することを日本外交の指針にしなければならない。


では、核の傘についてはどう考えればいいのか。

私は、日本が核の傘から離脱すべきというのであれば、自らが通常兵器による「非核の傘」を世界に提供して、核兵器を無力化しなければならないと思う。「非核の傘」とは衛星を含むミサイル迎撃体制を確立することだ。他国にも「非核の傘」を広げるということは、同盟国米国をはじめ、集団的自衛権の行使をするということになろう。

この開発には膨大な負担が必要になる可能性がある。また、ある国からは攻撃的兵器だと批判されるかもしれない。武器輸出三原則の修正も必要になるだろう。それでも、被爆国としての道義的立場から、この負担を分担すべきと思う。核の傘から離脱するということはそれだけの覚悟が必要だということだ。

テロリストが簡単に核兵器を持てる時代に、核兵器を無力化する「非核の傘」は重要な戦略的課題であると思う。

一部に、米国が怖くて核の傘から離脱できないという説があるようだが、それは冷戦時代の発想である。21世紀の今日、真の怖さは新たな戦略的構想もなしに核の傘の離脱や基地撤去をとなえてそれが実現し、その結果生じることへの責任を日本自身が負うことにある。

(8月7日記)中川秀直