選挙勝利と増税の歴史考察:1986年ダブル選挙与党圧勝と増税に関する一考察 | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

選挙勝利と増税の歴史考察:1986年ダブル選挙与党圧勝と増税に関する一考察

秘書です。

ぶれたら、国民に信頼されません。


■鳩山氏「勝っても皆さんが認めたと思わない」 増税発言、火消し躍起
6月27日7時56分配信 産経新聞

 参院選の序盤情勢調査で民主党の失速が明らかになり、楽観ムードだった民主党から悲鳴が上がった。菅直人首相の消費税率引き上げ発言に対する世論の反発は広がっており、「黙っていてもらう」はずだった民主党、小沢一郎前幹事長の「心配」が的中する皮肉な展開となっている。

  「参院選で民主党が勝っても皆さんが消費税を上げることを認めたとは思っていない。参院選ではなく、衆議院の解散で国民に信を問うべきだ」  

 鳩山由紀夫前首相は26日、鳥取県倉吉市で講演し、小沢氏に続いて消費税増税の動きを牽制(けんせい)した。

 小沢氏に近い細野豪志民主党幹事長代理も26日の民放番組で「(消費税率は)7%から10%という可能性ももちろんある。10%と決め打ちしているわけでもない」と述べ、税率を柔軟に設定する可能性に触れた。いずれも菅首相の消費税発言への批判を和らげたいという意図がみえる。

 首相の側近、荒井聡国家戦略担当相も26日、札幌市で記者団に「『強い社会保障』の全体像を描き上げてから具体的な税制抜本改革を提示すべきだ」とあえて首相の方針に異を唱えた上で、首相の勇み足をやんわりとたしなめた。

 「どこかで首相が少し意気込んじゃったのか」

 民主党の失速は数字で表れ始めた。

 共同通信が行った電話調査(24~26日実施)でも、3人区の大阪府で当選圏に入っている民主党候補は1人だけ。複数区で複数当選という「民主党単独過半数」への前提は各地で崩壊しつつある。

 選挙戦で軽々に税金を争点化するのは“鬼門”とされる。

 平成10年の参院選では、終盤になって恒久減税問題が浮上、自民党の故橋本龍太郎首相(当時)の発言が揺れ動いたことから有権者の不信を招き大敗、退陣に追い込まれた。

 「今は厳しい。自民党の県議団が職域を動員しているが、こちらには風がないよ…」

 26日、民主党のある県連幹部は、題が浮上、自民党の故橋本龍太郎首相(当時)の発言が揺れ動いたことから有権者の不信を招き大敗、退陣に追い込まれた。

 「今は厳しい。自民党の県議団が職域を動員しているが、こちらには風がないよ…」

 26日、民主党のある県連幹部は、菅内閣発足時の「ご祝儀相場」が終わってしまったことを嘆いた。

 ただ、対する自民党に「風」が吹いているわけではない。

 自民党の谷垣禎一総裁は26日、新潟県魚沼市での街頭演説で「民主党の乱暴な政治に歯止めをかけて、与党の多数を阻止しなければならない。それが国民のみなさんから私に課せられた使命だ」と声を張り上げたが、自ら消費税率引き上げを掲げているだけに、民主に代わる選択肢として、自民党を印象付けることは容易ではない。

 「ジェットコースターみたいなものだ。急降下して、また急上昇…」

 今月16日、民主党の中堅議員は、こう言って菅内閣の発足を歓迎したが、その時に語った「また失速しないようにしないといけないね」という言葉が、現実になりつつある。



こういうときこそ、歴史的考察が必要です。さて、ここで1986年、中曽根政権下での衆参ダブル選挙での与党圧勝と増税の関係について、歴史考察をしましょう。

当時、中曽根首相の税制改革についてのブレーン的存在だった由井常彦教授は「1986年同日選圧勝と安定政権の誕生」こそが中曽根政権の税制改革の原因であり、1986年の同日選圧勝が大蔵省(現在の財務省)の「大型間接税」導入への「激しい衝動」を生んだ、と証言しています。

由井先生によれば、大蔵省の解釈では、税制改革失敗の究極的な原因はいつも政権の不安定性にあり、「圧倒的な与党の議席を持つ今回の内閣のような安定した政権は今後当分ありえない」、それゆえ、大蔵省内において「このチャンスを逸することなく一刻も早く抜本改革をという目に見えない力が省内を駆り立て」るようになったのです

そして「大蔵省と周辺の責任ある人々をして、一刻も早い実現、そして妥協的な案より、公約に十分そぐわなくても理想的な改革へ、と駆り立てることになった」とのことです。

ここでいう「妥協的な案」とは中曽根首相が念頭においていたとされる「蔵出し税」であり 、「公約にそぐわない理想的な改革案」が売上税につながる「大型間接税」と思われます。


中曽根首相は86年6月の衆参ダブル選挙で「国民が反対し、党員も反対するような大型間接税は導入しない」と公約してました(同年6月14日)。さらに国会審議の中で「縦横十字に投網をかけるような大型間接税はいたしません」と中曽根首相は答弁しています。

そこで、選挙大勝後の中曽根首相は政府税調に対して、「国会で言ったことは守ってほしい」と大型間接税を行わない旨を確認して、複数の選択肢をもってくるよう注文したのです。

ところが、大蔵省が税制調査会と協議して中曽根首相にもってきた4つの選択肢は、「ヨーロッパタイプの付加価値税がよろしい」というものでした。

1979年の大平首相はこれを鵜呑みにして選挙で敗れたことの記憶に新しい中曽根首相は、出てきた案をみて大蔵省という所が「政治家殺し」であることを思い出し、「私は、君らには殺されないよ」と「日本的な消費税」を作れと命じたのです。

しかし、この「日本的な消費税」も、同日選挙のときの公約に違反するとの強い批判を受けることになり、この批判をかわすために、大型間接税の課税範囲を限定すれば必ずしも大型ではないとしたが、配慮したつもりの自民党の伝統的支持者である中小事業者、零細小売業者が反発し、また、税制の「公平」の原則を重視する自民党の新たな支持者の反発も招き、売上税の断念と中曽根首相退陣に追い込まれたわけです。

(以上、財団法人世界平和研究所編集(1995)『中曽根内閣史 理念と政策』財団法人世界平和研究所
    中曽根康弘(2004)『自省録-歴史法廷の被告として-』新潮社、より)

以上のことは、選挙で集約された合意形成に基づく市民的公共性以外に、官僚が考える国家的公共性が存在しそれが優位に立つかどうかの問題でもあります。「マニフェストは見直してもいい」といった瞬間に国家的公共性が優位に立ちます(市民的公共性の観点からは選挙、あるいは党内の大衆討議なきマニフェストの修正は許されないはずです)。そのことを前提として、この1986年のダブル選挙における与党圧勝と増税に関する歴史的教訓から、何を学びますか?