官邸の一体化:後藤田正晴官房長官に学ぼう! | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

官邸の一体化:後藤田正晴官房長官に学ぼう!

秘書です。
今朝の読売新聞の3面に、
「菅氏が理想とする官房長官像は「中曽根内閣の後藤田官房長官」。」
との表現がありました。
そこで、後藤田さんの『情と理 後藤田正晴回顧録(上・下)』講談社から、菅氏がめざしているところの官邸機能の一体化について学習しましょう!

(1)旧内務省人脈

後藤田さんは、中曽根さんの内務省の2期先輩でした。中曽根さんと後藤田さんの関係を語るとき、このことが決定的に重要です。

「内務省で(中曽根さんは)僕の2年後輩ですから。旧制高等学校の上級生と下級生は1年しか違わなくても生涯、先輩後輩です。内務省は採用年次によって、やはり同じ関係です。年齢じゃないんです。採用の年次です。採用年次の上にはかなりの敬意を表する。中曽根さんは仕事のできる将校でしたよ。」(『上』31-32ページ)

そして、少なくとも当時、役所の年次は同じ省内だけではなく、霞が関に一般的だったようです。

(2)ポイントは官房副長官(二階堂進型官房長官)

後藤田さんは田中内閣で事務系の官房副長官をやっています。官房長官が党人派の場合、事務系を含めた官房副長官が実権を握る可能性があります。

「官房副長官には政務と事務があるんだけれど、事務の副長官といえども、政治と役人の半々です。だいたい省庁の事務次官というのは、行政と政治の接点ですよ。あれは純粋に事務屋のトップだと思ったら間違いです。ましてや官房副長官といのは事務の副長官といえども、それより政治の方に近いです。」

「僕の時は(=田中内閣の事務系官房副長官の時は)いっさいを任されたんだ。たまたま山下元利君が政務の副長官ですよ。ところが彼は僕より4年か5年、役所の後輩なんだよ。大蔵省の役人だった。官僚出身なるが故に僕をたててくれるんだね。それから、時の官房長官が二階堂進先生だ。この方は純粋な政党政治家ですから、いっさい役所のことは任せるということだ。二階堂さんは党との関係、野党との関係を専らやっているわけでしょう。

「(事務系官房副長官に)大蔵省も考えられますが、これは各省が嫌うんです。総合調整というのは人事と企画と予算でやるんですね。いちがん効いているのは予算による総合調整です。それを大蔵省にやられえうわけです。そこにもってきて、人事に関与してくる官房副長官を大蔵省にやられると息がつけないということですよ。しかも内政審議室というのが最近になってできた。これはひとつ下のレベルの総合調整をやっているわけですが、ここには大蔵省から来ている。そのうえ副長官までとなると、そうでなくても大蔵天下といわれるのに、各省はいやがるんですね。だから大蔵出身の官房副長官というのはないんです」

(以上、「上」282-284ページ)

菅内閣では、政務の副長官に、官僚OBがなるのではないでしょうか。その場合、党人派の官房長官は二階堂進型官房長官になるのではないでしょうか。そして、大蔵出身政治家の官房副長官抜てきがあるかどうかも注目です。後藤田さんの時代と違って、「政治主導」「政務3役主導」の時代。大蔵出身政治家が政務の官房副長官になれば・・・

(3)プランニングと人事

「役所の総合調整は何でやるかといえば、ひとつはプランニングですよね。それから人事、もうひとつは予算調整です。これは大蔵大臣がおやりになる。最近は怪しくなってきたけれどね。ところがプランニングの方は、なかなか各省、各庁がいうことを聞かない。人事については形骸化しているんです。各省で決めて、形の上だけの閣議了解となる。田中さんは、それをピシャと押さえて事前に了承されることにしたんです」(「上」309ページ)

さて、国家公務員制度改革基本法の与野党協議の際、当時、政府自民党側は省庁を越えた一括採用案を提示していたが、民主党の修正要求で、各省採用に戻った。そのときの責任者が、また、菅内閣中枢でご活躍されることでしょう、きっと。

それでもかろうじて残った内閣人事局構想を、さらに、骨抜きにして国家公務員法改正案として衆院を強行採決していまは参議院で審議しています。これを参議院でも強行採決するのか。

万一、法案が成立すると、骨抜きされた内閣人事局の長は官房副長官が兼務します。基本法与野党協議のときの骨抜きの功労者がつくのか、どこの省のOBがつくのか・・・