在来型の英雄型リーダーシップ論の否定なんですが | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

在来型の英雄型リーダーシップ論の否定なんですが

秘書です。

幕末において、薩摩と長州が「共闘」することは、当時の幕府側の人は「不思議だ」と思ったことでしょう。

そして、公務員法改正法案の「自民・みんなの党」の共同提案について、民主党の山岡賢次国対委員長が「みんなの党は公務員(制度改革)で(考えが)合わない、と自民党を出た人たち。自民党と一緒に対案を出すのは不思議だ」とコメントされているようです(毎日新聞)。

この「共闘」の背後では、大勢の人がいろんな努力をしていたのだと思います。



■あっちこっちに自称「竜馬」 混迷政界に英雄かぶれ
2010年4月6日23時50分 朝日新聞

今年のNHK大河ドラマになり、脚光を浴びる幕末の志士、坂本竜馬。土佐を脱藩し、薩長同盟と倒幕を実現させた英雄に自らを重ね合わせる政治家が、最近目立つ。新党を立ち上げた人、自民党を離れた人、立て直しを図る人。夏の参院選を前に混迷する政治情勢を打破する意気込みだが、「竜馬かぶれ」が過ぎないか。

 「2人を、鳩山邦夫という坂本竜馬が結びつけることができれば最高だ」。鳩山邦夫元総務相(61)は与謝野馨元財務相(71)と舛添要一前厚生労働相(61)の名を挙げて言った。自民党に離党届を出した3月15日。実力者2人と新党を組みたい自分を、薩長同盟を実現させた竜馬になぞらえた。「竜馬と親戚(しんせき)だということが最近分かった」とも述べた。

 しかし「同盟」は実現せず、前原誠司国土交通相(47)には「私、坂本竜馬大好きなんで、極めて不快。自民党の古い方々を薩長同盟になぞらえられても」と批判された。与謝野氏は結局、平沼赳夫元経済産業相(70)との新党へ動いた。

 一足先に昨年8月、「みんなの党」を結成した渡辺喜美氏(58)も、鳩山氏と同様に「同盟」を訴える。国会本会議で2月、「みんなで坂本竜馬をやっている。薩長連合、政界再編で維新開国を目指す」と胸を張り、同盟のみならず「倒幕」もうたった。

 「麻生おろし」を昨年断念した自民党の中川秀直元幹事長(66)は今、「みんなで竜馬をやろうじゃないか」というキャッチフレーズを掲げる。中川氏は「現代は1人では変えられない。竜馬のように危機感を持つ同志のネットワークを拡大し、危機を乗り越えたい」と説明する。

 小沢一郎民主党幹事長(67)も竜馬に言及していた。少々意外とも思える発言は、新進党の党首だった1996年、かつて幹事長として取り仕切った自民党に挑む総選挙を前にして飛び出した。

「竜馬は5年に2万キロも歩いて維新のレールを敷いた。僕も脱藩して3年、竜馬を見習いたい」

 「みんなにご自分の竜馬があって、それになりたいと言う」。高知県立坂本龍馬記念館(高知市)の森健志郎館長(68)は話す。「先見の明があるとか、柔軟性とか、友達が多いとか。竜馬の優れたところは色々言われるが、原点は私心がないこと。竜馬を名乗られる方は、そこを間違わないようにしてほしい」(大谷聡)


「英雄かぶれ」といわれるようでは、まだ、「みんなで竜馬をやろうじゃないか」の意味がよく伝わっていないようですね。

「現代は1人では変えられない。竜馬のように危機感を持つ同志のネットワークを拡大し、危機を乗り越えたい」

の意味するところは、一人の英雄的リーダーにより世の中を変えるという、在来型の英雄型リーダーシップ論の否定なのであって、「英雄かぶれ」の対極にあります。

現代のリーダーシップ論は、脱・英雄型リーダー論に向かっています。

例えば、ジョセフ・ナイは以下のように語っています。


「最近の研究によると、1920年代から1990年代までにリーダーシップは200通り以上に定義されていて、年代の古いものはリーダーが自分の意志を他人に押しつける能力という点を強調しているのに対して、年代が新しくなるにつれて、リーダーとフォロワー(リーダーに従う人々)の間の共感という部分へ関心が移ってきているようだ」

「リーダーシップの理論家たちは「リーダーシップの共有や、リーダーシップの分散」を口にする。彼らが示唆するイメージとは、ヒエラルヒーの頂点に君臨するというよりは、同心円の中心に位置するリーダーなのである」

「ジェンダーの面から行われているリーダーシップの研究では、昔なら「女性的なリーダーシップのスタイル」とみなされたような手法の成功例が増えていることを報告している。ステレオタイプ的なジェンダーの観点からすると、男性的リーダーシップのスタイルは、断定的で、競争的で、独裁的であり、他人に命令することが中心となる。これに対し、いわゆる女性的スタイルは、協調的で、全員参加を促し、統合的で、フォロワーたちを自らの側に引き込むことをめざすものである」

(以上、ジョセフ・ナイ『リーダー・パワー』(日本経済新聞社)より)

また、ヘンリー・ミンツバーグは、英雄型マネージャーと参加型マネージャーを以下のように比較をしています。

(英雄型)自分を強く押し出す
(参加型)コラボレーションを大切にする

(英雄型)マネージャーは、製造やサービスの最前線に立つ人よりも重要な役割を負っている
(参加型)マネージャーの存在意義は、製造、サービスといった重要な仕事をこなす人々を後押しすることである

(英雄型)地位が高くなるにつれて人材としての重要性も増し、その究極の存在こそCEOである
(参加型)組織はヒエラルキーではなく、ネットワーク状をなしている。マネージャーは頂点に鎮座するのではなく、構成員の間に身をおきながえら、適宜その役割を果たしていく。

(英雄型)CEOが大胆かつ具体的な戦略を計画的に練り上げ、組織全体に上位下達で伝える。CEOが大 転換を推し進め、他の人材はみな、その手足となって働く。
(参加型)戦略は人々のネットワークから自然発生的に生まれる。意欲あふれる人材がそれぞれ小さな問題を解決すると、それぞれが積み重なって大きな施策となる。

(英雄型)CEOが変革を重視しても、社内の大勢が抵抗するため、容易に実現しない。このため、部外者による変革が求められる。
(参加型)変革の実行は組織づくりと切り離せない。だからこそ、部内者が強い意志で変革に立ち上がるべきである。

(英雄型)マネジメントとは、判断を下し、人的資源を含む経営資源を配分することである。したがって、報告書に基づく事実情報に基づく分析が大きな比重を占める。
(参加型)マネージャーの役割は、だれもが本来有している前向きなエネルギーを引き出すことにある。そのためには、状況をよく見極めたうえで判断を下し、人々の中に入り、個々のやる気を引き出していくのが大切であろう。

(英雄型)業績の向上はリーダーの手腕によるところが大きい。数値化できる業績、とりわけ株主価値に重きを置くべきだ。
(参加型)よりよい組織が実現したいならば、それは全員による努力の賜物にほかならない。数字に表すことが難しい人材価値こそ大きな意味を持つ。

(英雄型)リーダーシップとは、自分の意思どおりに周囲を動かす力を意味する。
(参加型)人々を大切にし、その信頼を勝ち取ることこそリーダーシップの極意である。

(以上、ヘンリー・ミンツバーグ『H・ミンツバーグ経営論』(原書は2003年11月『ハーバード・ビジネス・レビュー』の「THE FIVE MINDS OF A MANAGER」)


マネージャーとリーダーの差はこの際おいておくとして、ミンツバーグがいうところの「参加型」のことを、ボスは「みんなで竜馬を」という言葉で表現しているのでしょう。

一人の英雄があらわれて、颯爽と活躍し、世の中を良くしてくれる、私はお茶の間でそれをみている・・・そんなことでは世の中は変わりません。

身の回りのできることから一つひとつ変革に立ち上がりましょう。その一つ一つの相互作用が大きなうねりをつくります。

いずれにしても、英雄型であれ、参加型であれ、記事に引用されている高知県立坂本龍馬記念館の森健志郎館長がおっしゃる、「原点は私心がないこと」というご指摘。ここが一番大事なところですね。どこまで私心を捨てることができるのか。ここが後世の史家の判断材料になるのだと思います。