朝のニュースです | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

朝のニュースです

秘書です。2月がはじまりました。春の気配も感じられるようになりました。


■省庁再編 壁破れるか 参院選後に見直し
2010年2月1日 07時02分東京新聞
鳩山由紀夫首相が夏の参院選後に、中央府省の再編に取り組む方針を打ち出した。各省の縦割り行政を排し、政治主導で政策を推進するためだ。「政治とカネ」問題で内閣支持率が下降線をたどる中、あえて参院選後の重要課題を掲げたのは、政権運営への強い決意をアピールする狙いもある。ただ、政権の描く省庁再編実現には高い壁が待ち受ける。 (上坂修子)
 首相は施政方針演説で「国民の視点に立って、いかなる府省編成が望ましいのか、夏以降、抜本的な見直しに着手します」と強調した。演説には推敲(すいこう)の最終段階で、自ら省庁再編への意欲を書き込んだ。
 民主党は衆院選マニフェストで、幼稚園と保育所行政を担う「子ども家庭省」の設置や、社会保険庁(現日本年金機構)と国税庁を統合する「歳入庁」の創設を掲げている。
 国家行政組織法を改正し「省庁再編を機動的に行える体制を構築する」とも明記。各省設置法で担当分野を定める現在の仕組みを改め、政策ごとに各省の担当を柔軟に見直せるようにすることなどが議論されている
 だが、省庁再編はこの十年近く失敗の連続だった。「橋本行革」で実現した二〇〇一年の一府十二省庁体制のスタート以降、自民党政権下で何度となく浮上したが、ことごとく挫折した。
 直近では麻生太郎前首相が〇九年五月、幼保一元化と厚生労働省の分割を打ち上げたが、族議員の強い反発で白紙撤回。安倍政権時代にも「情報通信省」設置構想があったが、立ち消えになった。
 政府高官はこうした「部分修正」の失敗を踏まえ「(子ども家庭省など)個別具体論をやりだすとできない。各省設置法に手をつけないならやる意味がない」と、大再編を目指すべきだとの考えだ。
 大再編となれば、当然、各省が猛烈に抵抗し、難航は確実。強い政権基盤と国民の支持がなければ、達成できない大事業になる
 仙谷由人国家戦略・行政刷新担当相は「全体的な絵を描くとなると、これは大変だ」と壁の高さを認める。首相も「一年や二年で、簡単にできる話ではない」と、在任中に再編を完成させるとは言えなかった。



現行の省庁別の設置法の体系のもとで、新しい省庁をつくろうとしても徒労に終わるだけでしょう。各省設置法の枠組みをとっぱらって、政府設置法1本にして、時の首相の政策体系にあわせて柔軟に政府機構を微調整すればいい。

これこそが、平成維新でしょう。縦割りの弊害もなくなる。昔は、政府が政令で機構をいじれるようにすることには、野党が猛反対していたようです。でも、自民党内にも各省設置法の現行体系に反対している人は大勢います。

だから、1年や2年で、各省設置法の現行体系を政府設置法1本にすることはできると思いますが。




■小沢氏の責任問題、民主内で発言相次ぐ
(2月1日日経新聞)
 民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体の土地購入を巡る政治資金規正法違反事件で31日、政府・民主党内から小沢氏の責任問題に関する発言が相次いだ。小沢氏の元秘書で逮捕された石川知裕衆院議員の拘置が2月4日で期限切れとなり、捜査が大きな節目を迎えるのをにらんだ動きで、党内も慌ただしさを増しそうだ
 菅直人副総理・財務相は日本経済新聞のインタビューで、小沢氏に国会での参考人招致を求める意見があることについて「国会はほぼ日程通りに進んでいる。その中で並行的に何かやるというなら、国会の中で考えてもらえばいい」と述べ、2010年度予算の年度内成立を前提に、初めて招致に理解を示した。
 小沢氏に事件に関する一層の説明を求め、場合によっては幹事長職の辞任を求める発言も出始めた。枝野幸男元政調会長はさいたま市内での講演で、小沢氏について「(自らの)説明に一定の国民の理解と納得が得られなければ、けじめをつけていただかないといけない」と表明した。



民主党内から自浄をもとめる声が出始めたようです。以下のような記事がでてくるようになると、さすがに、民主党は自浄作用を働かせないといけません。


■「本命外し」談合組織へ指示=ゼネコン側、妨害恐れ献金-東北工事で小沢事務所
(1月31日-15:06時事通信)
 小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」をめぐる事件で、東京地検特捜部の家宅捜索を受けた大手ゼネコン鹿島本社の幹部が31日までに、取材に対し、東北地方の公共工事への小沢事務所の影響力行使について証言した。談合組織が決めた「本命」が気に入らない場合、受注業者から外すよう指示。妨害を恐れたゼネコン各社は、目を付けられないよう献金や選挙協力を続けてきたという
 小沢事務所をめぐっては、公設第1秘書大久保隆規容疑者(48)の西松建設事件での公判で、同事務所が約30年前から「天の声」を出してきたとする鹿島元東北支店幹部の証言を、検察側が明らかにしている。
 鹿島本社幹部によると、東北地方の大型公共工事の受注業者は、仕切り役の同社東北支店が、各社の談合担当者と協議して決めてきた。事件化などを避けるため、小沢事務所が発注元の国や自治体に直接受注を働き掛けることはなかった。
 東北地方での鹿島の影響力は大きく、小沢事務所といえども、特定の業者を指名して本命にすることは難しかったとされるが、いったん決まった「本命」を外すよう同事務所が求めれば、鹿島側も断れなかったという。このため、名指しされた業者を外した上で、改めて談合組織が本命を決め直していた。
 事件当時、小沢事務所では、大久保容疑者が談合組織との窓口役となり、「本命外し」の指示を出していたという。




この記事が事実かどうかわかりませんが、いずれ民主党としてしっかりと総括していただかなければならないでしょう。党として、これは不実だ、というのか、事実だ、というのか2つに1つです。

そもそも野党時代になぜ影響力が行使できたのか、野党だと職務権限と贈収賄との関係はどうなのかとか、いろいろ素朴に思うこともあったのですが、「妨害」や「本命外し」の強要がもしも万一事実とすると、「ネガティブキャンペーン」はまた別の体系になりそうですね。

では、この記事が事実だったとしましょう。あくまで仮定の話です。


そうすると、民主党のみなさんが幹事長の政治とカネについて、沈黙を保ち続けていたのは、みなさん自身への、「妨害」や「本命外し」がおこることへの恐怖なのではないですか?

ということは、みなさんが声をあげない限り、日本中が「妨害」や「本命外し」を恐れなければならない社会になるということではないですか。

だって、みなさんは、民主党幹事長室に、全国の陳情を一本化してしまったわけでしょう?

みなさんが選挙区事情やポスト配分の「妨害」や「本命外し」を恐れて、全国の団体組織を同じような「妨害」や「本命外し」の恐怖に陥れる可能性を黙認したということになります。


スターリンは子どもに優しかった、と信じられていたようです。しかし、その裏では大変な恐怖政治が行われていました。恐怖政治に支えられた、建前としての優しい政治こそ、本当の恐怖です。



■<放送法改正案>免許付与、現行を維持 設備と制作一体で
2月1日2時30分配信 毎日新聞
 今国会に提出が予定されている通信と放送の融合を促す「放送法等改正案」について、政府は、地上波のテレビ、ラジオ各社が希望する場合、電波を送信する設備(ハード)と番組制作(ソフト)に一体的な形で放送免許を付与する現行の申請手続きを認める方針を決めた。自民党政権時代の昨年8月、総務省の検討委員会がハードとソフトを分離して付与するよう答申し、放送界などから「行政が番組に直接介入しやすくなる」との批判が相次いだ。新政権は業界側の懸念に配慮し現行制度の存続を決めた。

 ハードとソフトを一体として無線局の免許(5年間)を与える現行の電波法では、国は免許を受ける放送事業者に関して、電波施設(ハード)の運用能力はチェックするが、番組内容は対象外。放送の自由に最大限配慮する形になっている。

 デジタル化で通信と放送の垣根が低くなることを受け、総務省の検討委員会は昨年、新規参入や番組の自由な流通を促すため、ハードの「免許」とソフトの「認定」を別々とする行政手続きの導入を求める答申をした。この分離手続きについて、放送界や識者は「放送業務への国の関与を強めかねない」との懸念を表明してきた。

 今回の放送法等改正案では、「通信と放送の融合を促すのには有効」として、答申通り二つの手続きに分離する制度自体は導入される。しかし、民主、社民の与党も国の関与の拡大を懸念していることから、政府は、ハード・ソフト一体での手続きを希望する地上波のテレビやラジオの放送事業者に対しては、現行と同じ手続きを認めることにした。【臺宏士】




通信と放送が融合する時代に、何かそこから生まれてくる価値こそが次の時代をリードする日本の生命線になるように思うのですが。今の「テレビ離れ」傾向の中で、ますますテレビから人々が離れていかないように、願っております。規制では人々のハートはつかめません。ソフトがおもしろくないと。スポンサー離れと番組の低コスト化とそれに伴う・・・



■海兵隊の移転期限、延長を=大幅な人口増に懸念-グアム知事
(1月31日-22:50時事通信)
 米領グアムのカマチョ知事は31日までに、メイバス海軍長官に書簡を送り、在日米軍再編に伴う在沖縄海兵隊のグアム移転期限を予定されている2014年より延長するよう要請した。多数の海兵隊員の受け入れがグアムのインフラや社会・経済に与える影響を最小限に抑えるためとしている。
 書簡は28日付で、「われわれはぜい弱な地域経済と限られた財源しか持っておらず、(人口増大の)影響を受け止める能力に恵まれていない」と訴えている。 
 現行計画では、海兵隊員約8500人とその家族約9000人がグアムに移転する予定。ただ、米軍普天間飛行場の移設問題の行方次第で、在日米軍再編の計画全体にも影響が出る恐れがあるとの見方が浮上している。





米国は常に強くたくましく、なんでもわがままを聞いてくれる。反抗期の自分を許してくれる・・・そんな、50年代のティーンネイジャーがお父さんをみるのような目線で日米関係をみてはいけません。米国には米国の内部の事情がある。日本が何かすれば、相手の国内事情に作用をもたらす。お互いが相互作用して変化していくのです。米国の内部事情を理解して、相手の立場になれないで、なんで「友愛」が可能なのでしょうか。相手の立場に立って考えてみることがすべての基本ではないのでしょうか。民主党政権は、米国の立場、沖縄県民の立場に本当に立って考えてみたことがあるのかどうか。A4版の紙の上の報告をみて、自分の選挙勝利にいかに有利に発信するかしか考えていないようにみえてなりません。本当の優しさがそこにあるのでしょうか。発言のブレは相手の立場に立つという本当の意味での相手への優しさからではなく、常に世論調査をいかに自分に有利に導くかという自己愛=相手への冷たさから来ているように思えてなりません。



さて、昨日、日中歴史共同研究の報告書が公表されました。





■<日中歴史共同研究>報告書を公表 南京事件隔たり埋まらず
1月31日21時36分配信 毎日新聞
 日中両国の有識者による「日中歴史共同研究委員会」は31日、報告書を公表した。1937年の南京虐殺事件について、日中双方は虐殺行為に及んだ日本側に責任があるとの認識では一致したが、犠牲者数を巡って中国側が「三十余万人」、日本側が「20万人が上限」と主張するなど、近代を中心に歴史認識の違いが改めて浮き彫りになった。

 報告書は「古代・中近世史」「近現代史」の各章で、日中双方の委員論文を掲載。ただし、「天安門事件」(89年)などを含めた第二次世界大戦後の現代史部分は、国内世論への影響を懸念する中国側の要請で非公表とされた。委員会は今後、新メンバーで第2期の共同研究を行う予定だ。

 報告書で中国側は、南京虐殺事件について「(第二次大戦で日本が)敗戦後、極東国際軍事裁判で、日本国民は初めて日本軍による暴行の真相を知った」と批判。同裁判と南京国防部軍事裁判所の判決などを基に「被害者数は延べ三十余万人」との従来の見解を示した。これに対し、日本側は「20万人を上限に4万人、2万人などさまざまな推計がなされている」と反論して、溝が埋まらず、両論併記された。また日本側は、犠牲が拡大した「副次的要因」として「中国軍の南京防衛作戦の誤り」などを指摘し、引き続き検証作業が必要との認識を示した。

 1937年の盧溝橋事件では、中国側が「偶発性があるかもしれない」と、一部歩み寄る姿勢も示したが、「歴史の推移からみれば、必然性も帯びている」と、日本の侵略計画が一貫していると批判した。日本側は、紛争解決に努力したものの関東軍などに押し切られたとの認識を示した。【中澤雄大】

 ◇ことば・日中歴史共同研究

 小泉純一郎首相の靖国神社参拝で日中関係が悪化したことから、06年10月、安倍晋三首相と胡錦濤国家主席が首脳会談で合意、同年12月に始まった。日中各10人の有識者で研究委員会を構成。報告書は、近現代史の戦後部分を除いた549ページが公表された。外務省ホームページでも閲覧できる。

 ◇戦後史部分が非公表に……中国側が強く要請

 31日に公表された初の日中歴史共同研究報告書は、中国側の強い要請で戦後史部分が非公表となり、両国の歴史認識の溝を埋めるために始めた事業の限界と複雑さを露呈する結果となった。一方で、中国側の論文には、中国共産党の役割を軸とする革命史観から脱却して実証主義的に記述する試みもみられ、宣伝色の強かった歴史研究の変化の兆しもみられた。【中澤雄大、北京・浦松丈二】

 研究成果は当初、日中平和友好条約締結30周年に当たる08年中の発表を目指したが、1年以上遅れた。ある日本側研究者は「現代史部分の認識の差が原因。天安門事件の評価など、共産党指導部の正当性を揺るがす問題に触れることを中国側が恐れた」と指摘する。

 論文執筆過程の討議要旨の公表も見送られた。再三の合意不履行は、歴史研究を「愛国教育」の重要な柱と位置づける中国政府が委員に圧力をかけているとの見方も出ている。

 両国は第2期共同研究として継続することで一致したが、両国の国内世論が今回の報告内容をどう受け取るかは未知数だ。日中外交当局者は「継続には双方の国民感情の安定が不可欠」と指摘する。

 中国国内の対日世論は、共同研究のきっかけとなった反日デモ(05年)当時よりは好転している。だが、国内に遺族が生存する南京虐殺事件で日本に譲歩したと受け取られかねない記述は不可能だ。

 南京虐殺については、犠牲者数の根拠だけでなく、虐殺や強姦(ごうかん)、略奪の実態を詳細に描いた。細菌戦を展開した731部隊について簡単に触れた程度なのとは対照的で、日本国内に虐殺自体を否定する意見が存在することを念頭に置いたものとみられる。

 中国側の革命史観にとらわれない記述で注目されるのは、抗日戦争での共産党と国民党との関係性だ。「国共両党の間にいろいろ摩擦が起きているが、両党が協力して日本に抗戦する大局は一貫して変わらなかった」と記述した。

 中国では中台関係改善の流れを受け、抗日戦争での国民党の役割を見直す動きが進んでいる。報告書は、国民党が中国を代表して行った列強との交渉や当時の国際情勢にも多くの紙幅を割き、日中戦争をより広い視野からとらえている。

 日本の敗戦についても「歴史の転換点」と指摘し、「平和発展の道を歩み出した」と評価した。これは日本の「軍国主義化」を警戒する中国の若者を中心とした「愛国世論」とは異なっている。

 だが、こうした歴史研究は国内で論議を呼ぶ可能性もあり、革命史観に基づく歴史教科書や大衆向けドラマに反映されるには、相当な時間がかかりそうだ。


■日中歴史研究報告書のポイント
(1月31日-17:18時事通信)
 日中歴史共同研究報告書の近現代史に関する記述のポイントは次の通り。
 【日清戦争(1894~95年)以降】
 日本=近代の日中関係史において日清戦争は一つの転換点。日本が有利な不平等条約体制が形成され、日本国内でも中国を蔑視(べっし)する傾向が生まれたことなど、それ以前とは異なる傾向が顕著に見られた。
 中国=日本の拡張行為はやむことなく持続して中国人の抗日意識を激化させ、日本軍政決定者に、したい放題の横暴な心理を作り出した。
 【田中上奏文(1927年)】
 日本=対中政策を協議した東方会議に関連して「田中上奏文」と呼ばれる怪文書がある。これは田中義一首相が昭和天皇に上奏したとされるもので、中国への侵略計画だった。だが「田中上奏文」は、実際の東方会議と大きく離反していた。
 中国=真偽に関して学界で多くの議論があったが、いかに作られたかについて不明な部分がある。だが、その後の日本の拡張路線はまさしくこの文書に書かれたようになった。
 【柳条湖事件(31年)】
 日本=関東軍の作戦参謀・石原莞爾らを首謀者とする謀略によるものであった。武力発動は政府や陸軍指導部の基本方針に反する行動として開始された。急進的な軍人たちは、謀略によって日中間の衝突事件を引き起こし、満州の「危機」を一挙に打開しようとした。
 中国=関東軍が中国東北地区を侵略するため発動した九一八事変(満州事変)は、日本が実施した「満蒙(満州・蒙古)政策」の必然の産物。30年からの世界経済危機と国内の政治・社会危機の影響の下、日本は「満蒙危機」を騒ぎ立て、関東軍と軍部はそれぞれ東北地区を武力で侵攻・占領する計画を制定した。
 【日中全面戦争(37~45年)】
 日本=戦闘は8年を越え、宣戦布告による戦争以上にし烈なものとなり、両国国民に大きな負担と犠牲を強いた。特に戦場となった中国に深い傷を残したが、その原因の大半は日本側が作り出したものと言わなければならない。
 盧溝橋における最初の発砲事件は「偶発的」であり、現地では局地的解決の努力がなされた。しかし、衝突事件を好機とみなした支那駐屯軍(後の北支那方面軍)や関東軍は、蒋介石政権の打倒と華北占領という構想を実行していく。
 中国=盧溝橋事件の発生は、かなり大きな程度、日本の中国侵略政策と関係している。事件は非常に速い展開で日本による全面的な対中国侵略戦争につながったが、歴史的変化のプロセスを見ると、盧溝橋事件は必然的に起きたものと言える。
 【南京虐殺事件(37年)】
 日本=日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵および一部の市民に対する集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦(ごうかん)、略奪や放火も頻発した。日本軍による虐殺者数は、極東国際軍事裁判(東京裁判)における判決では20万人以上(松井石根司令官に対する判決文では10万人以上)、47年の南京戦犯裁判軍事法廷では30万人以上とされ、中国の見解は後者に依拠している。
 一方、日本側の研究では20万人を上限として、4万人、2万人などさまざまな推計がなされている。犠牲者数に諸説がある背景には、「虐殺」の定義、対象となる地域・期間、埋葬記録、人口統計などの資料に対する検証の相違が存在する。
 中国=日本軍の南京での放火、殺人、強姦、略奪は国際法の重大な違反であり、第2次大戦後、連合国は東京と南京でそれぞれ軍事法廷を開き、南京大虐殺に対する審判を行った。
 東京裁判の判決書は、「占領後の最初の1カ月で南京市内では2万件近い強姦事件が発生した」「日本軍隊占領後最初の6週間以内に、市内と付近で虐殺された市民と捕虜は計20万人を超えた」と認定した。南京戦犯裁判軍事法廷は「被害者は総数30万人余りに上る」と認定した。
 【中国人犠牲者数】
 日本=国民政府軍の死者は約132万人、負傷者180万人に上っている。中国共産党軍の死傷者(失跡者を含む)は58万人を超えると推定される。非戦闘員の犠牲の多さや日本軍によるさまざまな「非違行為」は、戦後の日中両国民の中に、新しい関係構築を妨げる深い傷跡を残した。
 中国=不完全な統計によると、中国軍人・民衆の死傷者は3500万人以上、直接的な経済損失は1000億ドル以上、間接的な経済損失は5000億ドル以上に上った。関東軍731部隊や100部隊は、中国人を使った人体実験、生体解剖も実施した。



この新聞記事を読んだ限りなのですが、ボスが、中国のある歴史教育施設から、日中戦争に関する歴史的事実に反する不適切な写真数枚を外すことについて日中共同での努力して成功したことを、スタッフとして見てきた経験から、新聞各紙の見出しにおどる悲観論の陰に、いくつかの重要な予兆、すなわち、春の兆しといってもいいのではないかと思うことがあります。

まず、中国側が、計画的な侵略だったとする根拠とする、田中上奏文について「怪文書」という表現ではあるけれども、公式的な文書ではないこと、すなわち、客観的な証拠としての真実性がないことを認めたとみられることです。

次に、南京事件の犠牲者の数ですが、報道によれば、中国側は「南京戦犯裁判軍事法廷は「被害者は総数30万人余りに上る」と認定した。」と述べています。主語が中国政府や中国の研究者ではなく、「南京戦犯裁判軍事法廷は」としているところが重要です。これは30万人という数字が、客観的科学的な歴史分析を積み上げたものではなく、あくまで軍事裁判が認定した数字である、ということを意味しています。つまり、客観的科学的な歴史研究の結果、別の数字になることがありうる余地を残しているとも解釈できるのではないでしょうか。

中国全土には、いろいろな歴史研究者がいます。若い研究者もいます。北京の1機関の研究者がそういったからといって、全土のすべての研究者が同意見とは限らないでしょう。

この記事にある日中歴史共同研究のメンバーでもあった故・小島朋之先生が、たぶん、この日中歴史共同研究を補完するトラック2.5としてスタートさせたであろう、中国全土の若い歴史研究者との対話を行った下記のプロジェクトなどに、きっと、今朝の新聞見出しにあるような日中歴史研究の「冬」の寒さの中で、若い世代の研究者から「春」の兆候がみられるのではないかと思います。


「中国における対日歴史認識および歴史研究動向に関する緊急調査」
http://www.kojimatomoyuki.com/symposium.html