(臨時国会)野党だからこそ国会改革の先頭に立とう | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

(臨時国会)野党だからこそ国会改革の先頭に立とう


いよいよ臨時国会が始まるが、私は、自民党総務会総務、衆議院内閣委員会委員として、この国会に臨ませていただくことになった。

小沢民主党幹事長がどのような哲学と戦略目的で国会改革を主張されるのか見守りたいが、自民党は自民党なりの哲学と戦略目的をもって国会のあり方を考え、それが小沢民主党幹事長と同じならば協力すればいいいし、違うならば国民の前で堂々と議論して信を問えばいい。

いま一番重要なことは、万年与党と万年野党による55年体制は終わり、二大政党制の時代が来た、ということにあわせた国会改革の断行である。自民党は万年野党のしきたりから脱却しなければならないのは間違いない事実である。

ここ数年の民主党は、万年野党だからこそ許容されてきた戦術を、政権奪取の戦略目的のために使ってきた。強行採決の演出の派手なパフォーマンスはその典型的な一つである。自民党は何度も煮え湯を飲まされてきたが、あのような見苦しいことを自民党は真似てはいけないと思う。

夏の選挙が終わってから、多くの人から野党・自民党への期待を聞いてきたが、自民党への期待は、選挙目当てのパフォーマンスではない本物の対案を国会に提示して政府案の問題点を明らかにしていくことであると思う。

そのためには、委員会審議レベルへの議員立法については20名の署名が集まれば提出できるようにすべきである。同じ分野の法案が複数提出されてもいいと思う。他の党との共同提案もどんどんやるべきである。民主党議員と一緒でもいいだろう。

そして、委員会の修正協議や採決については、部会と併行審査をしつつ、現場主導で議論をしていけばよいのではないかと思う。党議拘束は本会議でやればいい。

 私はこのようなルールづくりを総務会に提案していきたいし、自らも、内閣委員会で堂々たる対案路線をとっていきたい。

また、私が質問に立つときには、首相・閣僚・副大臣・政務官のみに答弁を求め、官僚に意見を聞きたいときには公聴会の開催を要求するようにしたい。官僚のみなさんは国会対策ではなく、決められたことの日々の執行に専念していただくようにすべきである。だから、悪名高い「国会質問の事前通告」(質問取り)については、官僚のみなさんが来ることはお断りし、政務官らに紙で項目だけお知らせすることにしようと思っている。官僚のみなさんが徹夜で想定問答集を準備する風物詩をなしにしようではないか。大臣を守るためではなく、国民を守るための行政官としての仕事に専念していただこうではないか。

それから、テレビ中継の入る予算委員会等の総括質疑で呼ばれていない大臣も長時間着席を強要しているのもおかしい。大臣は省庁に戻り、政治主導の先頭に立つべきであり、答弁に呼ばれた大臣だけが着席していればいいではないか。

 報道によれば、民主党は議員立法を禁止する一方で、委員会レベルの党議拘束はかけないようにも伝えられている。真偽のほどは定かではないが、与野党が委員会レベルで党議拘束をかけないことで、国民が期待するような議論が展開されるのではないかと思うし、それでこそ、政治主導になると思う。

 野党だからこそできる国会改革がある。自民党こそ国会改革の先頭に立とうではないか。
(10月25日記)

(参照記事)日経新聞「風見鶏」坂本英二・編集委員の「小沢流の国会改造計画」

「『白亜の殿堂』の呼び名もうなずける。国会議事堂はいま1936年の建設以来初めて外壁の洗浄や窓の取り換え作業が進行中で、完成当時の輝きを取り戻しつつある。歴史的な政権交代と建物を一新する工事の時期が重なったのは、どこか象徴的でもある。

民主党の小沢一郎幹事長は26日の臨時国会の召集に合わせ、この議事堂2階に部屋を構える。国会前庭や霞が関の官庁街を望み、出入りにも便利な一等地。かつて自民党幹事長として使った部屋に、18年ぶりに凱旋する。

鳩山政権のキーマンとして注目度が増す小沢氏がまず照準を合わせたのは国会改革だった。ただ芥川龍之介の短編小説『藪の中』に登場する証言者たちではないが、官僚の答弁禁止などへの政界の反応は立場によって大きく食い違っている。

あえて極端な例から紹介したい。野党として対決姿勢を強める自民党の幹部。『我々が民主党のスキャンダルについて捜査当局の見解をただすのを封じるためだ。間違いない』。自民党は鳩山由紀夫首相の個人献金の虚偽記載問題、小沢氏の西松建設献金事件などを徹底追及する構えだ。ややうがった見方にも思えるが、野党が中立的な行政機関への質疑を通じ、法的な問題点を浮き彫りにする戦術をとってきたのは事実だろう。

政治家主導で政策決定をしていく布石、との受け止め方は与野党双方に浮上している。『真の狙いは憲法や条約に関する有権解釈の権限を官僚の手から奪い返すことだ』。有権解釈は法解釈などをめぐる政府の公式な立場。小沢氏は自民党幹事長だった当時、国際貢献への自衛隊の積極派遣をめぐって『憲法上の制約が大きい』とする内閣法制局の見解と真っ向から対立した。内閣法制局長官や外務省国際法局長の国会の答弁が禁じられれば『憲法や条約の解釈は必要なら政治家の責任で変更すればよい』としてきた主張に一歩近づくことになる。

順番が逆になったが、肝心の小沢氏本人の説明はこうだ。21日に都内で開いた『小沢一郎政治塾』で学生や会社員らを前に熱弁をふるった。『国会から官僚支配をなくしていかなくちゃならない。今までの国会中継なんてNHKでしょうがなくやっているけど誰も関心ない。それではいかん。自分たちの理念、政策を議論し合う議会にしなくては』。

小沢氏は『会期を区切らない通年国会の導入』『開催曜日を限定する定例日の廃止』にも意欲を見せる。いずれも93年に出版した『日本改造計画』で触れた長年の持論だ。国会を野党と政府が論争する場ととらえ、与党の議員立法を原則認めず、質問機会を減らす考えを示している。自民党の若手は最近、顔を合わせた民主党の同僚議員に皮肉をぶつけた。『国会から官僚や与党議員を排除し、目指すところが独裁じゃないのか』。

小沢氏への警戒感が根強いのは、『剛腕』『壊し屋』などの異名をとってきた過去の行動と無縁ではない。一方、当の本人は与野党のざわめきを気にするふうもなく『前例通りにやっては何の進歩もない』と意気軒高だ。はたして改革は国会を活性化させるのか、空洞化させるのか――。

時代を変える政治手腕への期待と独断専行への不安が交錯するのは、これまでも小沢氏が実権を握ったときに繰り返されてきた光景である。本人はきっと『おれに批判的なやつはいつも色眼鏡でしか見ない』と反論するだろうが」