(官主から民主へ)自民党は官僚政治の転換には協力すべきである | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

(官主から民主へ)自民党は官僚政治の転換には協力すべきである

下記の日経新聞記事は「いま日本では2つの政権交代が進行中だ。一つは自民党から民主党へ。もう一つは官主から民主へである。歴史的にみれば、明治以来の官僚政治を転換するという点で『もう一つの政権交代』の意味が重い」は正論である。

明治以来の官僚主導政治を転換し政治主導政治にする。このことを、自民党がこれまでやろうとしてできなかったから、民主党に政権交代をさせたのが今回の選挙結果であろう。

民意は、民主党に、官僚主導政治を転換し政治主導政治にする覚悟と意思と能力があるのかを評価することになるだろう。

先日のテレビでも述べたが、政治主導の実現には、①幹部公務員の人事権の掌握、②大臣及び機関の法的権限の確保、③官僚の与党根まわしによる大臣指示けん制の根絶(政府・与党二元体制の克服)の3つが必要である。

議院内閣制をとる欧州国家でも、「政治的官吏」(幹部公務員)は政権と命運を共にする。だから、政治主導の政治ができる。私が同志とともに国会に提出した「幹部公務員法案」により、幹部公務員の人事権を掌握することなく、真の政治主導は実現できないと、私は思っている。
 
自民党は官僚政治の転換には協力すべきである。「『官主』から『民主』へ」という「もう一つの政権交代」については、自民党も国会審議を通じて協力できる。ここは総裁選でも大いに議論すべきであろう。「幹部公務員法案」についても臨時国会で議院立法で提出すべきであろう。民主党が本当に政治主導政治をやる覚悟があるならば、この法案は必要不可欠であり、また、必ず成立するはずである。(9月14日記)


(参照記事)日経新聞「核心」岡部直明・本社主幹「『官主』から『民主』へ」「もう一つの政権交代」

「『308』。総選挙での民主党の獲得議席数をみて、戦後の国際通貨史を思い浮かべた。1971年8月のニクソン・ショック(金ドル交換停止)を受けた同年12月のスミソニアン合意での円レートである。戦後の1ドル360円時代から1ドル=308円への円切り上げに経済界には緊張が走った。それは73年の変動相場制移行への分岐点になった。

この歴史的な議席を背景に、鳩山由紀夫政権は戦後日本の政治経済システムを転換させる大きな使命を帯びている。スミソニアン体制が固定相場制から変動相場制への転換点になったように、この政権交代を『官主』政治から『民主』政治への足がかりにしなければならない。

冷戦後の20年間、日本はなぜ『失われた時代』から抜け出せなかったのか。それは官僚主導政治の行き詰まりにつきる。冷戦後の大転換期に、官僚の発想を超えた国家戦略を打ち出せず、グローバル社会で存在感を著しく低下させた。官僚頼みの政治に安住した弊害は大きかった。

『官主』から『民主』へ。本紙がこの表題を掲げてキャンペーンを始めたのは92年の元日社説である。政治主導への転換は民主主義の大前提であるはずなのに、なぜこうも長い間、実現できなかったのか。

自民党の長期にわたる1党支配のもと、政・官・業の三角形が形成され、族議員による利益誘導政治がはびこった。その一方で政策立案から政策調整まで政策決定を官僚が担うのは当然視された。選挙で選ばれた政治家より試験で選ばれた官僚が主導する政治である。それを暗黙のうちに許してきたのは日本人の間に根付いた『お上意識』だったのかもしれない。

日本ほど『官僚』が浸透した国はない。ある役人は米国で自己紹介するにあたり『私は財務省の官僚(ビューロクラット)です』とやって、失笑を買ったという。官僚は日本ではエリートかもしれないが、『フランス語とギリシャ語の<恐るべき合成語>は1つの綽名(あだな)、悪口になっている」』(ロバート・マートン著『社会理論と社会構造』)。米国の世間一般では形式主義と権威主義の代名詞なのである。

その官僚組織が『霞が関』といった地名で呼ばれるのも世界ではまれだ。権力を示す地名には『ダウニング街10番地』(英国首相官邸)、『中南海』(中国共産党要人の官邸)などがある。建物なら『ホワイトハウス』(米大統領官邸)、『エリゼ宮』(仏大統領官邸)などだろう。

日本で政治主導が定着すれば行政官庁の集合地としてならともかく、官僚組織としての『霞が関』は死語になる日がくるはずだ。民主党政権が政治主導への転換で模範とするのは同じ議会制民主主義の英国である。各省庁に100人もの政治家を送り込んだり、外交、財政など基本政策を束ねる『国家戦略局』を設けるのも英国モデルだ。

その英国でも官僚機構改革は簡単ではなかった。各省事務次官との会合を『在任中一番暗い気持ちになったとき』と述懐するのはサッチャー英首相だ(『回顧録』)。欧州内でジスカールデスタン仏大統領、シュミット西独首相の仏独枢軸と渡り合う鉄の女でさえ、何事も変えたくないと願望する官僚には手を焼いた。しかし『衰退にぬくぬくと身を任せるより、混乱になってもよいから衰退に抵抗することの方を選んだ』と官僚機構改革を断行する。そこがサッチャー流だ。

官僚主導から政治主導への転換は政治の意思と能力にかかっている。国家戦略局もつねに魂を入れ続けないと、末期の経済財政諮問会議のように形骸化してしまうだろう。基本政策が『骨太の方針』と名付けられたのも、大方針は任せるが肝心のことは各省庁の領域だという含意があった。

国家戦略局では官僚を超えた大戦略を打ち出すことが先決である。まず外交や予算編成の戦略を示すことになるが、重要なのは世界経済危機、地球温暖化の危機、核拡散危機のなかでの国際協調である。中長期の視点で日本経済を再生し、グローバル危機の克服で先頭に立つことだ。戦略だけでなく政策の細部への目配りも欠かせない。『悪魔は細部に宿る』という。大胆にして細心でなければ、戦略は稼働しない。

政治主導への転換には、ポピュリズム(迎合主義)に乗った官僚たたきではなく、官僚を使いこなす能力と度量が求められる。民間の専門家や有為な官僚の政治任用制を確立する必要もある。その予備軍としてシンクタンクの機能を活用することだ。少なくとも主要閣僚は最大限、長く務め、G20などで一目置かれる存在になってほしい。

政治家と官僚の本分はおのずと違う。マックス・ウェーバーは『職業としての政治』で官僚は「怒りも偏見もなく」職務を遂行すべきだとし、政治家の資質としては情熱、責任感、判断力の3つをあげている。いま日本では2つの政権交代が進行中だ。ひとつは自民党から民主党へ。もうひとつは官主から民主へである。歴史的にみれば、明治以来の官僚政治を転換するという点で『もうひとつの政権交代』の意味が重い。日本は成熟した民主国家になれるかどうかの分岐点にさしかかっている」