(名誉ある決断)「名誉ある決断」とは何か | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

(名誉ある決断)「名誉ある決断」とは何か

民主党と民主党政権待望論者が早期解散を求めている。私も、そうした「党利党略」をすべて否定するつもりはない。しかし、総理・総裁がそうした民主党の「党利党略」にのる判断をすることは「不名誉な決断」ではないか。

総理・総裁が党内の政治情勢云々で「先手を打つ」などという発想ではなく、政策本位で、国民にとってベストのタイミングで信を問うことが「名誉ある決断」である。

総裁は党のため、党は国民のためにある。そうした視点に立つ決断が「名誉ある決断」である。

国民は党のため、党は総裁のためにある。そうした視点に立つ決断は「不名誉な決断」である。

「名誉ある決断」とは何か。

第一に、マニフェストなくして解散なし、の正論に立つことが「名誉ある決断」である。

マニフェストには、小泉政権にはじまる改革路線を継承・発展させるのか、小泉政権以前に先祖返りするのか、そこをはっきりと総括しなければならない。

第二に、今国会で、幹部公務員法をふくむ国家公務員制度改革関連法案を今国会で成立させる、との正論に立つことが「名誉ある決断」である。

今日の新聞報道によると、民主党の鳩山由紀夫代表は昨日の記者会見で、政権交代後の各省庁の幹部人事を巡り、「局長クラス以上は辞表を提出していただく」と幹事長時代に発言していたことについて、「現実の法律などをひもとくと、降格人事を行うのは法的には難しい。辞表という形に必ずしもならないと理解をしている」と述べ、軌道修正したという。(毎日新聞)

こんな腰の引けた「偽りの霞が関改革」論者に国を任せるわけにはいかない、というぐらいの強い決心をもって今国会で幹部公務員法を含む国家公務員制度改革関連法案を今国会で成立させようではないか。

マニフェストについての全党的議論をすることで小泉政権以後についての総括をなし、今国会で最後の最後まで成果をあげる努力をする。それこそが「名誉ある決断」である。その上で、なお、憂国愛党の精神に基づいてなすべき「名誉ある決断」があるかどうか、それは総理総裁ご本人が決断すべきことである。少なくとも、いま、解散を行うことは「名誉ある決断」ではない。(7月1日記)


(参照記事)朝日新聞社説「解散・総選挙」「首相は堂々と信を問え」

「衆院の解散・総選挙に向けて、麻生首相がようやく重い腰をあげようとしている。あすまでに自民党の役員人事と閣僚の補充人事を行い、12日の東京都議選直後の衆院解散。8月2日か9日の投開票をめざす。これが首相の思い描くスケジュールらしい。

何度か解散を考えながら、結局は踏み切れずにきた首相のことだ。今回も思惑通りに運べるかはさだかでない。それでも、自民党内はてんやわんやである。『不人気の首相の下で選挙は戦えない』と退陣を求めるグループや、党総裁選の前倒しを画策するグループがあちこちで気勢をあげている。『万歳突撃解散だ』『解散権の乱用だ』。幹事長経験者から、当選1回の小泉チルドレンまで、首相の手による解散への反発が広がり、土壇場にきてまさに断末魔のような様相だ。

5日の静岡県知事選や東京都議選の結果によっては『麻生降ろし』の動きが雪崩をうつ可能性も出てきた。いずれにしても衆院議員の任期切れまであと70日余。解散・総選挙はもう目前に迫っているのに、この期に及んでこの混乱である。

もちろん、総裁選の前倒しは党則で認められている。だが、それを求める議員たちの目的はといえば、胸を張れるものとはとても思えない。新しいカオで選挙に臨めば、勝てるかもしれない。とにかく今は首相を批判する側に身を置いた方が得策だ。そんな計算からに違いない。

安倍、福田と2代の首相が政権を放り出した。その後を引き継いだ麻生首相も含め、自民党は3代の首相が国民に信を問わないまま政権を乗り換えてきた。これ以上、首相のいすのたらい回しが許されないのは当然のことだ。総選挙では、巧も罪も引っくるめて自民党政権の過去4年間を有権者が評価する。人気がないからと、選挙間近になって党のカオを変えようというのはあまりにご都合主義だろう。

麻生政権が迷走と停滞を重ねてきたのは事実だが、同時に、世界同時不況の中で全力を注いできた緊急経済対策という実績もある。それを掲げて有権者の審判を受けるべきなのだ。今回の党役員・閣僚の人事にしても、人気者の東国原・宮崎県知事への立候補打診にしても、自民党は小手先の策に走りすぎていないか。

公明党は、なお8月下旬以降への選挙先送りに期待をつないでいる。党が全力を挙げるという都議選から日程を離した方が、選挙戦術上やりやすいということのようだ。党利党略をすべて否定するつもりはないが、日本という国を率いる首相にとって最も優先すべきは一日も早く、堂々と国民に信を問うことである。この大義を見失ってはならない」