(リーダー論)時代を先取りするリーダーとは | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

(リーダー論)時代を先取りするリーダーとは


下記の岩見隆夫氏のリーダー論はおもしろい。

小沢氏を「乗っ取り型リーダー」として、大連立もその一環だった、との見立てである。「乗っ取り型リーダー」だからこそ、1993年の「日本改造計画」の政権構想を死守することなく、民主党内の社会党左派である横路グループとその支持母体である官公労と手を組むことができたのであろう。93年、小沢氏は時代の先取りをして小沢ビジョンとして「日本改造計画」を策定したが、それを全否定して民主党代表となったのである。

ところで、リーダーシップ論で思うのだが、「俺が、俺が」というリーダーシップというのは、もはや時代遅れなのではないだろうか。

ネットワーク型社会の時代、ピラミッド型組織が急速に変化しつつある。そんな中で、ピラミッドの頂点で、「俺が、俺が」というのは時代遅れではないか。

むしろ、逆ピラミッドで国民を上にして、国民が舞台の上で主役を演じられるように、縁の下の力持ちとなったり、コーディネーターとなったりするのがリーダーなのではないか。

そもそも、小泉総理を「俺が、俺が」と勘違いしている人が多いように思う。じっくりと合意形成をする我慢強さがあったし、「丸投げ」といわれるほど部下を信頼した。また、2005年総選挙は「国民が主役」で決着をつけるものだった。小泉劇場の主役は国民だったのである。これらのことを理解せずに勘違いしたまま小泉総理を真似ると、間違いを起こすことになる。そして、「国民が主役」だった2005年総選挙の否定も、極めて重大なことになる。時代を先取りしたつもりで、時代から淘汰されることになるだろう。(3月7日記)

(参照記事)毎日新聞「近聞遠見」の岩見隆夫氏「乗っ取り型リーダー」

「<小沢一郎政治塾>が開設されたのは2001年である。当時、小沢は自由党の党首、志ある若者を育てるためだった。講義のなかで、小沢は次のようにリーダーの定義をしている。『リーダーとは、自分の目指すものを明確に掲げ、自分で決断し、自分の責任において実行できる人物である。学者や評論家とは違うのだから、自らのビジョンを現実のものとすべく、行動に移さなくてはならない。その際に重要なのは、他人に責任を転嫁することなく、結果に対して責任を負うということだ』。今回、残念なことに、ビジョンではなく政治資金をめぐる疑惑で、民主党代表の小沢は責任を問われる羽目になった。若者たちに説いた手前も、すっきりさせなければならない。

とにかく、政界は狂態さながらだ。手負いのリーダー次々に、である。麻生太郎首相の度重なる放言・失言に仰天し、中川昭一前財務相の酔いどれ会見に絶句し、そして野党第1党党首の金銭疑惑にがく然だ。リーダーは交代期に入ったのかもしれない。麻生、中川は疑惑でなく資質が問われている。小沢の資質はどうなのか。民主党幹部の1人は、『最後の乗っ取り型リーダーじゃないか。戦後政治60余年の後半に現れ、政界を席巻した2人の乗っ取り型、田中角栄と金丸信の系譜だ。小沢はこの2人にもっとも目をかけられた。3人ともゼネコンと因縁が深く、それを足場に政界制覇を意図したのだが、いずれも検察捜査の対象になった。いかにも古いリーダーのタイプだ』と言う。

同じ角栄人脈で首相の座を手にした竹下登、橋本龍太郎、小渕恵三は乗っ取り型ではない。田中、金丸、小沢の3人は金権的で、政治手法も猛々しく、独裁者の風ぼうを漂わせていた。特に小沢の場合、『2人の先輩よりも戦略的、独断専行的だ。まず自民党に見切りをつけたあと、政党の離合集散のなかで民主党を乗っ取り、それをテコに天下取りを狙った。一昨年の大連立の画策は結果的に失敗だったが、乗っ取り型の面目躍如ではないか』(先の民主党幹部)とみる。

07年11月2日、福田康夫首相との会談で大連立の合意をみた小沢は、これで権力に到達できると考えた。当時の内情を知る自民党幹部は、『だれも小沢が福田の召使になるとは思わなかった。むしろ、福田が召使になる恐れのほうが強かったが、参院少数派の自民党としては、あえて危険な賭けに出ざるをえなかったのだ。ところが幸か不幸か、小沢の論理を民主党幹部はだれ1人理解できず、つぶれた』と振り返る。理解以前に、小沢の危なっかしいのっとり主義を恐れたのだ。

いわば党首の反乱で民主党は壊れかけた。菅直人代表代行が小沢から、『(今後は)大連立にこだわらない』という言質を取り、辛うじて崩壊を食い止めたいきさつがある。今回の党首疑惑は、小沢民主党2度目のピンチと言っていい。追い風に乗って政権に近づきつつあった民主党は、一転右往左往の混乱に陥った。党内からは、『いまは真空状態だ。小沢さんに頼り過ぎたという反省もある。ここはうまく(代表を)辞めてほしい、とみんな願っているのではないか』などと切羽詰まった声が聞こえてくる。乗っ取り型リーダーは時代に合わなくなったということだろう」