(内閣総理大臣)それでもなお、「ブレず」に信念を貫く覚悟が求められる | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

(内閣総理大臣)それでもなお、「ブレず」に信念を貫く覚悟が求められる

今日の日経社説は「道路の新交付金」について「前政権が決めたとはいえ、閣議決定した方針が簡単に骨抜きされる。国民が麻生首相の指導力に厳しい視線を向けるのも無理はない」とする。


この社説の筆法を借りれば、首相の指導力への厳しい視線の原因は、「骨抜き」との印象を与える政策を決めている人々がつくっている、ということになる。


一般に、総理大臣になる人はみな、「自分がいえば政治家も役人もみんないうことを聞く」と思う。しかし、3ヶ月もすれば、それは幻想であることが分かる。これまでの総理大臣はみんなそうだったといえるのではないか。


そこからが、「真の政治」のスタートであり、総理大臣としての本領発揮のときだ。


その総理をしっかりと支えるのが重要閣僚と党幹部の使命だ。


抵抗勢力は、いついかなるときも、どんなテーマででも、どこまで総理が本気かを試してくる。権力には対抗権力が必ず発生する。そのとき、抵抗すれば折れる総理と思われたら、総理の発言は誰もいうことを聞かなくなる。


総理が、腹を固めて、言ったことを死守する。自分がたてた旗を安易に降ろさない。


民意は、05年の郵政民営化における小泉元総理の捨て身の戦いを見て以来、総理の指導力の基準を「ブレないこと」に位置づけているのである。


「ブレないこと」は、霞が関や族議員との熾烈な戦いとなるかもしれない。それは政権の不安定化につながるという側近の声もあるだろう。それでもなお、民意は「ブレず」に信念を貫く覚悟を、内閣総理大臣の資格として求めているのである。(12月11日記)


(参考記事)日経社説「一般財源化に逆行する道路の新交付金」


「政府・与党が地方の道路整備などに充てる1兆円程度の新たな交付金の創設を決めた。2009年度から道路特定財源を一般財源化する政府のこれまでの方針を事実上、反故にする内容だ。


政府・与党の合意では揮発油税などの暫定税率は維持し、揮発油税の4分の1を自動的に回す『地方道路整備臨時交付金』を廃止する。その一方で設けるのが新交付金だ。暫定税率の維持はいいとしても、これでは看板の掛け替えにすぎない。


新交付金の名前は『地域活力基盤創造交付金』というらしい。地方経済は疲弊しているから魅力的な響きがするが、その使い道の大半はこれまでと同じく道路に限るので、実際には何も変わらない。


一般財源化とはお金の使途を限定せず、毎年の予算編成で必要な分野に充てるという意味だ。政府は道路財源の全額を一般財源化する方針だったのだから、地方向けのお金も自治体が自由に使い道を決められないとおかしいのではないか。


政府は今年5月に特定財源の一般財源化を閣議決定した。道路予算の無駄遣いが明らかになるなかで、暫定税率を復活したことに国民の理解を得るためだった。当時、福田康夫前首相は『国民の目線に立って生活者財源にする』と話していた。ならば、まず道路予算を抑制し、環境対策など他の分野に充てる財源をつくることが先だ。


道路予算の中身も総点検する必要がある。国土交通省が11月下旬にまとめた交通量の新たな将来推計によると、これまで右肩上がりとみていた交通需要が今後減少する見通しになった。需要が伸びないのだから予算を精査し、経済効果が大きい事業に重点化すべきだ。


経済情勢からみて景気対策が必要としても、通行量が極端に少ない道路をつくるためにお金をばらまいても効果は小さい。同じ公共事業に使うにしても、大都市部の空港整備など優先すべき事業はほかにある。この1カ月余り、政府や自民党内では道路財源の地方への配分額やその方法を巡る駆け引きが続いた。『一般財源化に際して地方に1兆円を移す』という麻生太郎首相の発言がきっかけだった。


新交付金の創設は自民党の道路族の主張に麻生首相が押し切られたことを意味する。首相の発言は二転三転し、わかりづらかった。前政権が決めたとはいえ、閣議決定した方針が簡単に骨抜きされる。国民が麻生首相の指導力に厳しい視線を向けるのも無理はない」