(政府VS市場?)「コミュニティ+市場」VS「政府」の時代だ | 中川秀直オフィシャルブログ「志士の目」by Ameba

(政府VS市場?)「コミュニティ+市場」VS「政府」の時代だ

100年に一度の世界金融危機に対して、米欧各国は、大規模な財政出動によって、今までの政策転換を為し、「市場の時代」から「政府の時代」へ、「小さな政府」から「大きな政府」へと、一見、振り子が戻ったかのようであるが、違う。


オバマ米次期大統領は、コミュニティ・オーガナイザーの経験者である。ここが21世紀初頭において決定的に重要なメッセージである。そして、コミュニティとネットワークを結合させて選挙に勝利している。



「市場VS政府」の二項図式の発想自体が間違いである。


二項図式は、最終的に、市場原理主義か、原理主義的社会主義かの両極に至る。両方とも、人を大切にする社会ではない。二項図式がもたらす原理主義は、人を幸福にしない。


「市場VS政府VSコミュニティ」の三項図式の発想こそが正しい。


社会主義とは、「政府+コミュニティ」VS「市場」だった。市場原理の抹殺を図ったが失敗に終わったというのが20世紀の総括である。


保守本流とは、「政府+市場」VS「コミュニティ」だった。企業にコミュニティ原理を持ち込みつつ、地域コミュニティを破壊していった。そしてコミュニティ原理に基づく日本的経営も新たな挑戦のときを迎えている。


いま我々が目指すべきは、「コミュニティ+市場」VS「政府」なのだ。これが世界ではじまっている「第三の道」だ。


この「コミュニティ+市場」の方向をめざす政府が、「賢い政府」なのだ。


人を大切にするコミュニティ、環境を大切にするコミュニティ。


その再生のために、コミュニケーション、環境に投資が行われるべきだ。それが「社会投資国家」だ。


それが、小泉改革後の「新しい地平」だ。


小泉改革以前に戻っても、そこは「断崖絶壁」だ。


正しい方向に進もう。前に進もう。新しい地平を切り開こう。そのための財政を行おう。(12月7日記)



(参照記事)朝日新聞「政策転換を読み解く」「補助線」「『政府の時代』失敗に学べ」


「世界同時不況の淵で、米国では大恐慌時を上回る規模の『新ニューディール政策』作りが動き出した。欧州も雇用創出などを掲げて財政出動を打ち出す。新自由主義の旗手として登場した仏・サルコジ大統領もいまや、政府介入の先頭に立つ。日本も財政抑制路線から事実上、政策を転換した。『自由放任』の『市場の時代』から 『政府の時代』へと再び、振り子が戻ったかのようだ。


経済のかじ取りをめぐる『市場対国家』の物語を描いたピュリツァー賞作家、ダニエル・ヤーギン氏の話を聞いたことがある。社会主義が崩壊し、市場経済化が本格的に進んだ時期だった。『国が経済を管理する<管制高地>から撤退したことは、20世紀と21世紀の大きな違いだ。政府が経済を支配するコストが高く、その効果にも幻滅が広がった』。一方で、『だが市場の時代は続くのかどうかは、いくつかの問題点にどういう答えをだすかだ。市場への信認は、いつでも変わり得る』とも語った。


雇用創出や生活水準の向上で市場は成果をあげられるのか。成長の成果は幅広く分配されるのか。途上国では人口の急増、先進国では高齢化の重荷にどう対応するか――などを『信認の条件』にあげた。富の配分の偏り1つをみても今、『市場の失敗』への失望が強まる。


再び『大きな政府』に向かうのか。だがオバマ米次期大統領が掲げる『変革』は違うようだ。『大きな政府か、小さな政府かではない。目指すのは効果に集中する賢い政府』という。かつて『大砲もバターも』と財政を膨張させ高金利とインフレを生んだ『政府の失敗』に学び、賢い選択を目指すのだろう。


翻って日本。『定額給付金』や『道路財源』の迷走に続いて来年度予算編成でも、危機を口実にした族議員らの圧力に押し切られたかのような転換だ。『疲れ気味だが(歳出抑制の)旗を立て続ける』(与謝野馨・経済財政担当相)のか、『果敢な対応』に重点を置くのかはあいまいなままになっている。


だが約10年前の金融危機時、『何でもあり』の政策で巨額の債務を抱え、税収に穴を開けて終わった『愚』を繰り返すことにならないのか。とりわけ当時の失敗を知る『政策新人類』の危機感は強い。『重要なのは、経済が強くなり、将来につながる投資をどれだけするかなのに』と塩崎恭久・元官房長官。『役所の割拠主義にのっていては大胆な手はうてない。税金をただばらまくことが、政府の役割なのか』と、渡辺喜美・元行革担当相は言う。自己利益の追求を動力とする『市場』が信認を得るにはある種の『正統性』が要るのと同様に、『政府の時代』への支持も、政府が役立つという成果があってこそだ」