30代の価値観を変えた一冊、それは内村鑑三先生の「後世への最大遺物」です。
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地元群馬県には「上毛かるた」という県人なら誰でも暗唱できるカルタがあります。その「こ」が「こころの灯台、内村鑑三」だったので、子供の頃からは名前だけは知っていました。でもどんな内容の本かは知りませんでした。

10年ぐらい前、早稲田大学大隈塾リーダーシップ論の社会人講座に1年間通いました。その時に経営者や政治家、自治体の長など、様々なリーダーの講話をご本人から直接伺うという貴重な経験をしました。石破茂さん、竹中平蔵さん、品川女学院の漆校長、どなたの講義も気づきが溢れていましたが、その中でも元産業再生機構の冨山和彦さんの講義が一番心に残っています。

冨山さんの講義で心に残った事が、
経営者にとって1人のリストラであっても、その個人にとってはかけがえの無い人生である。経営者は従業員の人生を引き受ける覚悟がいる。
・人間は修羅場を通じてしか成長しない。あなた達ミドルマネージャーこそ、修羅場経験をもっと拾いに行くべき。
・「後世への最大遺物」という本があるので、是非読んでみたらいい。何の為に働くのか、何の為に生きるのか、の参考になる。

ここで僕の中の内村鑑三が繋がりました。あの上毛かるたの内村さんてそんなに偉大な人だったのか!早速本を買い読みました。


初めて読んだ時、「人間誰しもが遺せる遺物、利益ばかりあって害のない遺物、それが勇ましく高尚な生涯である」という部分にとても心を動かされました。ちょうど優大は8歳。奇跡を何度も起こして命を繋ぎ、親だけでなく、お医者さんや看護師さんや周りのみんなに、生きる勇気と命を慈しむ優しさを与えていました。

目の前で凄い生き様を見せつける息子を見て、親としては勿論嬉しいし、元気でいてくれる事は有難いです。一方で、1人の男として、俺の人生はこれでいいんだろうか?彼のように勇敢で高尚な人生を生きているんだろうか?自分にはどんな生き様が遺せるんだろうか?そんな風に葛藤が起こりました。

実際その頃は会社でもガムシャラに働いていたし、成果が出てきつつあったと思います。仕事の実力はそれなりに認められていたし、介護をやりながら(実際は頑張っていたのは妻だけど…)働く自分は同僚からも敬意を持たれているように感じました。

でも足りないんですよ、自分の中で。もっと大きな仕事、インパクトのある仕事にチャレンジを、もっと社会に影響を与えるような事をやらなければいけない。そんな変な焦りもあって、実は大手戦略コンサルティングファームに転職まで考えました 笑。それぐらい息子の命の輝きが眩しかった。

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でも、もしその時にコンサルに受かって仕事だけに命を懸けていたら、今の我が家はなかったでしょうね。その時以上に介護は妻任せになって、きっと彼女は壊れてしまっただろうし、息子の死に目に2ヶ月近く在宅勤務をさせて頂くような配慮も得られなかったと思います。つくづく、人生の巡り合わせの妙を感じます。

2011年に息子が亡くなって1-2年経ったある日、ふと気になってもう一度この本を読み返したんです。そしたら内村鑑三さんの意図は最初から違うところにあった事に気付きました。さっきのページの次のページです。

「この世は失望の世ではなく、希望の世の中、歓喜の世の中である事をわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということ」

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そうか、遺すんじゃなくて遺るんだ。何かをやろうとする必要はなくて、どんな人生を歩んだって、その人の足跡は必ず遺る。だから自分が信じる通りに、勇気をもって、与えられた命を生き切る。それが勇ましいという事なんだ。そんな風に素直にこの本を読むことができました。

勝ち負け論者だった自分が、息子の生と死をキッカケに感じ続けていた何か。生きるという事の意味が氷解したような気がしました。

せっかく与えられた命なんだから、楽しんで使い切れば良い。何ができるとか、将来どうなるとか、何を遺すとか、いつも先を見据えてばかりいる必要はない。今まさにこの瞬間に起こっている命の輝きを感じて生きる。この世の喜びと楽しみを味わい尽くす。それが生きるって事ですよね。

30代の後半に自分自身に起こった出来事と相まって、5年ぐらいかけて自分の価値観を変えてくれた一冊です。とても短いのですが密度が濃いので、腹に落とすのに時間がかかるかもしれません。夏休みとか、長い休みとか、仕事モードをリセットできるときに読むのがお薦めです!

20代の分は↓