アルフレッド・ヒッチコック監督の『北北西に進路を取れ』をテームス川沿いのサウス・バンクにあるナショナル・フィルム・シアター(NFL)で見た。10月10日までNFTはヒッチコック特集を組んでいて、50以上の作品を公開するらしい。サイレントかトーキーか、またはイギリスかアメリカでの撮影かの違いでいくつか焼き直し作品はあるものの、一人の監督が50を超える映画を撮る機会が与えられること自体稀だろう。全盛期は年2本の割合で完成度の高い作品を制作しているのだから驚きである。

さて、『北北西に進路を取れ』は日本に居る頃に見て、面白かったという記憶だけはあるものの、実際見てみたら、トウモロコシ畑でプロペラ機に追い回される場面以外、何も覚えていなかった。健忘症なのかもしれない。映画自体は何しろ手に汗握る展開だが、いまどきの映画のように超高速で話がすっとぶわけではなく、きちんとしたテンポで進んでいく。しかも、トウモロコシ畑前のバス停シーンなど、とても長いのだが、そのせいで主人公役のケーリー・グラントが間違えられた相手であるはずのジョージ・キャプラン(FBIまたはCIAのおとりで存在しない人物)を待っている間のイライラと同調してしまう。しかも、今まで全く気付かなかったのだが、ヒッチコックのスリラーは半分コメディなのだ。観客が笑う場面が結構多く、ケーリー・グラントがコメディアンとしてもかなり優れていることが分かった。アメリカ人っぽい発音をするので、気付きにくいが彼はヒッチコックと同じイギリス人である。前に見たときは自分が若かったので随分オジさんだな、と思ったものだが、映画の撮影時にすでに54歳だったことを考えると見た目はずっと若いし、今見るととてもカッコいい。

ケーリー・グラントが逃げ回るので、テンポよく場面が変わる。それに合わせて、タクシーでの移動、ベンツを酔っ払い運転、寝台車での移動など乗り物も変わるのが面白い。また、ニューヨークとシカゴ間は寝台車で行くほど遠かったか、と驚いた。また、1960年頃のシカゴの街並みが見られるかと期待していたが、シカゴ駅しか映らず、すぐバスで一部のトウモロコシ畑以外なにもない、アメリカの原風景のような場面になってしまう。アメリカらしい風景として、他にも国連ビル、ラシュモワ山などが出てくる。ル・コルビュジェ設計の国連ビルのエントランス場面は実物らしいが、待合室内部はスタジオ撮影だそうだ。また、ラシュモア山の4人の大統領の彫像は実はスタジオセットだとか。『めまい』と同様見るものを高所恐怖症に陥れるような音楽と撮影方法は普通ではない。2時間半があっという間で、やはり傑作なのだと再認識した。また、他のヒッチコック映画も見たくなった。