『We need to talk about Kevin』 (邦題:少年は残酷な弓を射る)が6月30日頃から日本でも公開されるらしい。

この映画は航空機の小さな画面で英国公開時に見た。実に後味は悪かったが、忘れ難い映画のひとつでもある。この映画ほど親になるということの恐怖を疑似体験させてくれるものはほかにないかもしれない。古くは『オーメン』も非常に恐ろしかったが、オカルトの要素が強いので、「これは作り話なのだから」と自分を納得させながら見ることができた。ところが、この作品はもっと現実に起こりうることの連続であるがゆえに、余計に恐ろしいのだ。子供のころオカルト映画を見て怖がっていた自分に親から何度となく「生きている人間の方が本当はずっと怖いのよ」と言い聞かされてきたが、実際、Kevinのような子供を持ってしまったら、知的で冷静に見えるティルダ・スワントンでさえあれ程振り回されてしまうのだ、どうしたらいいのか全く見当もつかない。


映画館と違って航空機で見る映画はいつでも止められるし、ほかの映画に変更できる。しかし、この映画はどうなるのだろう、という不安感と興味に惹かれて、とうとう最後まで不快感を抱きながらも見てしまった。

もしかすると自分に自閉症の兄が居るためかもしれない。Kevinのおむつがなかなかとれない、言葉が遅い、壁にペンキを塗りたくってしまう、妹は特に問題なしなど、母から聞いた話も交えてオーバーラップすることが多く、ティルダ・スワントン演ずる母親にひどく同情してしまった。彼女に非があるというより、自分ではどうしようもない理不尽な状況の中に取り残されてしまっているように見える。乾いた画面、淡々とした描写、バックグラウンドミュージックと物語の悲惨さとの間にかなりギャップがあって、映画自体からは突き放した距離感を味わった。メディアなどが犯罪者の家族を糾弾することはよくあることだが、報道する側の単純な論理とは全く別なそれぞれ個人の事情を垣間見させてくれる映画である。