実は日本行のフライトで前回の『タイム』と一緒に見たのだが、どうにもブログに書く気にならなくて、数日経ってしまった。ジョージ・クルーニーが監督した映画では『Good Night and Good Luck』を思い出すが、ブッシュ政権時代に正義感を正面に出したあの映画と比べると、本作は大統領選を題材にしてクリーンなイメージと裏腹なスキャンダルを隠す候補者(ジョージ・クルーニー)と彼を支える人々(ライアン・ゴスリングやフィリップ・シーモア・ホフマン)との間のきれいごとでは済まない確執を描き、オバマ政権下での米国の複雑な状況を反映しているようにも見える。リアリティがあるので、大統領選の舞台裏はこういう感じなんだろうな、ということは理解できるが、見たくないものを見てしまった的な後味が残る映画であることは否めない。ただ、『アーティスト』と『タイム』のように、現実から若干距離を置いた映画を見た後だった影響もあるのかもしれないし、人物描写に重点があり、おまけに米国の一地方都市という特に魅力がない舞台設定、あるいは、単に自分が米国好きではない(だから英国を選んだ)せいかもしれない。

 と、ここで英国生活が長かった友人と話して、やっとこのモヤモヤ感が解消できた。つまり、この映画でスキャンダルの原因となる訓練生が21歳の金髪美人で、如何にも誰からも好かれそうな優等生で、上院議員のお嬢さんであることが面白くないのだ。これが、英国のBBCITVなどのテレビドラマだったら、ジョージ・クルーニー扮する大統領は恐らくこういう女性を選ばない。少なくとも人種を超えてアフリカンまたはアラブ、インド系の訓練生を選ぶだろう。また、ライアン・ゴスリングの恋人であれば、ヘレン・ミレン(『クィーン』)、クリスティン・スコット・トーマス(『イングリッシュ・ペイシェント』)、シャーロット・ランプリング(『愛の嵐』)またはヘレナ・ボナム=カーター(『英国王のスピーチ』)あたりで、視聴者の予想を外してくるはず。更にもっと過激だが予想可能なのは、大統領のスキャンダルの相手はライアン・ゴスリング自身かフィリップ・シーモア・ホフマン(この場合の設定は高校または大学の同級生)かも。ただ、後者は英国の場合にだけ成り立つ設定なので、舞台が米国になったとたん、すべてがオジャンだ。というのは大統領の出た高校は全寮制パブリック・スクールではないだろうし、必ずしもケンブリッジ大学みたいに○○カレッジとかいう寮生活でもないからだ。

 ところで、米国での「当たり前」の枠組みを強く意識させられた近頃の出来事としては、米テレビ版『シャーロック・ホームズ』の配役が挙げられる。ホームズがニューヨークに行く設定はまだ許される。また、ホームズ役のスコットランド人ジョニー・リー・ミラー(『トレイン・スポッティング』)は良い選択だと思う。しかし、なぜワトソン君がよりによって女優のルーシー・リュー(『チャーリーズ・エンジェル』)なのだろうか?これでは「アメリカ人は、シャーロック・ホームズの面白さの本質を全然分かってない」と思われても仕方がないし、また、米国的「正しい価値観」を押し付けているような印象まで受ける。そうなったとたん、テレビドラマは洗脳の道具となっていくのではないだろうか。