ども。はまやんです照れ

9か月ぶりでしょうか??2024年も明けて、2月も終わりそうだと言うのに、2023年のご報告を看板持ち

久しぶりにブログを書いたら、ノリにノってしまいまして、超絶キラキラ超大作となっていますので、覚悟してお読みください笑凝視


色々ありすぎて、もう2023年は一瞬過ぎました…。人生で一番濃厚な1年を過ごしたなぁと思います。
不妊治療のブログですが、色々ありすぎた不妊治療以外の部分がメインです…がざっと振り返ります。

⬆️溺れるようなワンタンの量笑

①仕事のこと

仕事は相変わらずです。今の職場で2年目なので、ある程度、職場の全体像が見えてきました‼️

臨時職員というスーパー宙ぶらりんな立場なのに、

責任者をさせる職場。

給料もらってるのに与えられた仕事をしないのかと言う上司。

責任者をするのはいいけど、それをしない先輩の方が私の給料の3倍もらっている事実。謎だし、先輩仕事しないし、文句しかありません。先輩、責任者が私になったことをひがんでいるのか、全然仕事しないし、相変わらず話が長いし…。締め切り守らずに、職場内でこれまでも迷惑をかけてきていたことが私が責任者になってから発覚!とんだ先輩でした…。なのに、自分はめっちゃ仕事してる!と自負がすごい。なぜ…どこからくる、その自信?

何でも「はまやんが責任者でしょ?」と仕事を縦に割ろうとする先輩。

てか、あんたが去年してた仕事を私がしてる時点でおかしいわ!みんなで協力して仕事しましょーぜ!

※先輩とは同一人物ですよ!!

そして、研究のバイトもしてるので、しっかり翻弄されました。夜中の電話、週末潰して残業せずにバイトバイトバイト…。アカハラ?パワハラ?と思える指示が多くて、時給はよかったけれど、もう絶対!絶対!、今後引き受けない!と心に決めました‼️研究プロジェクト終わりそうでこっちとしてはよかった(笑)


②大学院のこと

3年の長期履修で申し込んでいましたが、2年履修で頑張りなさい物申すと指導教員に言われ…単位取得のため、怒涛の科目履修をしました。

前期は、週3授業に充てました。土曜日は、毎週丸1日潰れました💦夫は土曜日もほったらかし(笑)「今日も課題やるの?」と毎晩、毎週末聞かれる始末。いかに私が課題が、課題が…と愚痴っていたか(笑)ごめんよ、夫くん驚きネガティブ

そして…期末のレポートは、8月に8本ですよ、8本!しかもですね、1本あたり2000~5000字…書きまくり、キーボード叩きまくりました!!リアル自転車操業です🚴‍♂️もうネタに尽きるよ…てなくらい書いていました‼️

でも、人間不思議なもので、後期にほとんどレポート書かなくなると、脳ミソ休眠状態(笑)人間日々継続した鍛練が必要です指差し


③家族のこと

びびちゃんとの別れから始まった2023年1月。

2月には新築マンションを購入&入居しました。ここで、びびちゃんと3人の生活が始まるんだとワクワクしていたマンションの2022年12月の入居前内覧会。でも、引っ越したときにはもうお腹の中にはいない現実。

色々複雑で、気持ちの切り替えもうまくいかないまま、新年度を迎えました。


転居によって、義理実家から少し距離的にも離れたのと大学院に入学したのをきっかけに、義父母に会いに行く頻度は月1回ほどになっていました。すごくすごくいいご両親飛び出すハートなのですが、近くなりすぎるとやはり疲れてしまいました💦新婚当初に子どもができたら、面倒見てもらおう!と激近物件🏠️に4年間、住んでいました。毎週土曜日にご飯食べに行くのが当たり前になり、おかずを大量に持たされて…というのが段々と苦痛に感じるようになりました。

ですが、新年度が始まってからは、本当に忙しくて、自分の体を休める暇もないので、6月は全く行けずでした。


7月上旬。義父から夫に「手伝って欲しいことがあるから来てくれないか。」とメールがありました。

大体こんなことを言ってるときは何か悪いことがあったとき。もしかしたら何か病気かもしれないよ、ということで、私も一緒に行くことになりました。


案の定、会った瞬間。




 

あぁ。めっちゃ痩せてる。





これはもしかして…と思いました。

もうお義母さんの表情がいつもと全く違いました。そして、お義母さんまで痩せていました。



義父「抗がん剤のポートを作る手術するから(同意書に)サインしてほしい。」

はまやん「どこのがんですか?前立腺?」⬅️治るものだと思ってあまりにも気軽に聞いてしまいました。

義父「いや、十二指腸。もうダメだって。肝臓にもうつってる。」



義父は、

十二指腸がん、肝転移、stage4

でした。

何もしなければ、余命5~6ヶ月。

明確な治療法はないものの、抗がん剤治療をしたら、11~12ヶ月。



医療従事者である私も聞いたことなく、珍しいガンであることは間違いないと思いました。


そして、血圧、尿酸位しか問題のなかったお義父さんにとって、あまりにも突然で、かける言葉も見つかりませんでした。

お義父さんは、何も治療しないことを望んでいました。ですが、お義母さんから説得され、治療を選択したようでした。


でも、頭に真っ先に浮かんだのは、子どものこと。

お義父さんの余命にはどう考えても間に合わない。あの時、流産していなければ…今考えても仕方ないことを考えてしまいます。


そこからは、毎週、夫婦でお義父さんに会いに行きました。途中、体調を崩して、入院したときには、コロナのせいで、面会できなかったり…緩和ケア病棟は面会OKで、余命宣告されている一般病棟にいる患者には適用されないってなんて不公平なんだと思いました。

5類になっていたからまだましだったのかもしれませんが、コロナ禍で最期を看取った方々はこんな気持ちだったのかと身をもって理解しました。


義父は、抗がん剤を3回したところまでは、効果が出ていて、「治療頑張る💪正月のおせちを一緒に食べよう。」と言って、8月にはおせちの注文をしていました。でもこのときにはもう食べられても子どもの量くらいしか食べられず。抗がん剤の影響で、便秘になったり、足が浮腫んだり。

9月下旬には、氷しか食べられなくなっていました。

それでも先生は、余命月単位と。ほんとか!と思いましたよ。私は一応医療職ですからね!(笑)


10月には、在宅で穏やかに最期を過ごすのか、緩和ケア病棟に移るのか、選択が迫られました。

私も嫁であるものの、言いたいことをみんなに言って、どうにかお義父さんの希望の自宅に連れて帰りたいとプッシュしましたが、叶いませんでした。緩和ケア病棟の看護師さんと相談して、気持ちを聞き取ろうとしましたが、お義父さんの希望よりも、お義母さんの看病疲れがかなり出ていてどうにもできませんでした。

結果的には、一般病棟から緩和ケア病棟に移り、面会にほとんど制限がなくなったものの、話ができたのはたった4日間。

遠方から兄弟にも面会してもらい、お別れらしいものではなかったものの、間に合ってよかったです。


結果的には、確定診断から3.5ヶ月という本当に短い期間で、お別れとなってしまいましたが、病気と闘いました。ナイフでグサグサ刺されるほどの痛みと言って、リビングにうずくまっていた姿を考えると、やっと楽になれてよかったという思いもあります。こんな未来を全く想像していなかっただけに、本当に現実か。何度も夢であってほしいと願いました。

この年齢になって、初めてお葬式関係の仕切りをして、まさかの義理実家が完全なる無宗教で、お坊さんが来ないお通夜、お葬式。そして、法事がありませんでした。

私の信仰は仏教だ!と強く胸を張って言わないものの、さすがの違和感を覚えました。

葬儀に遠方から来てくれた両親もかなり驚いていました。


④不妊治療のこと

2023年、びびちゃんの流産から始まり、一旦不妊治療はお休みしました。

もう不妊治療を始めて4年目だったので、年齢的にも何もしないことは、不安ではあったものの、私生活が忙しすぎて、そんなことを考える余裕は99.8%位ありませんでした。

とにかく凍結費用を忘れずに延長更新すること照れ札束これが超重要任務でしたびっくりマーク

私の未来の我が子たちですニコニコ


生理の様子がおかしいので、2回くらい通院しましたが、リプロの先生からは、移植しないの?と聞かれましたが、「まだ、しません。」と答えていました(笑)


ですが、生理の間隔が明らかに開いてきている気がして、閉経の日が近づいているのを感じて、


だめだ。もう大学院卒業は待てない。

移植しよう。


と思い、年末から移植に向けてこれまでに検査をしてきました。

治療の記憶はすっかり忘れているもので、痛みがないと勝手に記憶がすり変わり、悶絶する検査が多々。私は子宮の通りが悪いのか、毎回、痛いです。

でも、検査をするのは、

何もないことを証明するため。

安心して、移植に望むため。

未来の我が子たちの卵を無駄にしないため。

と思って、お金も時間もかかるけど、やり尽くしました看板持ち


早く赤ちゃんおねだりがお腹に帰ってきてくれないかなぁと思う焦る気持ちもあるものの、1つ1つ着実に。

未来のえびちゃん(4AB)歩く(⬅️次期スーパーエース)を確実にこの世に迎えるために。



また、移植したとき恐らく来月!?に、更新したいと思います看板持ち