京都への旅で訪れるところの代表格は、清水寺や知恩院、そして二条城、金閣寺と銀閣寺といったところでしょうか。
修学旅行でもおなじみで、中坊進二も昔々で中学生のころにそれらを見学した記憶があります。
中でも、金閣寺と銀閣寺は対のような感じがあり、また対比的ということもあって鮮明な記憶として残っています。
その後、京都はご縁があって何度か訪問しているのですが、行く度に異なる印象となっているのは、歳を重ねてきているからでしょうか。
修学旅行のときは、金閣寺のきらびやかさが強烈で、歴史に登場する人物の栄華や豪放磊落さといったものをすぐ想像できました。まさに金色がその象徴でした。実は、そのときの中坊進二は、金銀という対のイメージからすると、銀閣寺も金と銀の違いこそあれ、きらびやかさはどちらも引けを足らないだろうと想像していたので、実際に目の当たりにしたとき、期待が裏切られたようで、がっかりした気持ちになりました。銀という感じは全くなく、むしろ灰色と茶色の建物という感じです。
ところが、それ以降、何度か京都を訪れるにつれて、銀閣の方が中坊進二の好みに合っているような気がしています。中坊進二の好みが銀閣にあってきたということなのでしょう。
質素、静寂であり、自己主張を抑え気味にしている、わびやさびの世界がそこにある、ということで、年配者になると、金閣よりも銀閣が自分のことのように思えるというような点もあるのではないでしょうか。
もちろん、人それぞれですから、一概には言い切れませんが、そんな感じがします。