【本の紹介】平原卓『読まずに死ねない哲学名著50冊』ホッブズ・ロック・ルソー | なか2656のブログ

なか2656のブログ

ある会社の社員が、法律などをできるだけわかりやすく書いたブログです

最近、ネットのなにかの本の紹介のニュースで、平原卓『読まずに死ねない哲学名著50冊』という本が最近刊行され、面白いという記事がありました。

先日、私の地元の本屋さんの店頭に並んでいたので手にとってみたところ、本当に面白かったので購入しました。




古代ギリシアのプラトンの「ソクラテスの弁明」、中世のマキャベリの「君主論」、近代のジャン・ジャック・ルソーの「社会契約論」、現代の部分ではハイデガー、サルトルなどの著書、レヴィ・ストロースの「悲しき熱帯」などの各著書が取り上げられ、それぞれが約10頁でコンパクトに、平明に解説されています。

たとえばこの近代ヨーロッパにおいて、ホッブズ『リヴァイアサン』により始まり、ジョン・ロック『市民政府論』(市民政府二論)、ジャン・ジャック・ルソー『社会契約論』に至る、「社会契約」の考え方は、人文科学における哲学の分野であるとともに、法律を学ぶ者にとっても非常に大事な部分です。



その点、この『読まずに死ねない哲学名著50冊』は、これらホッブズ『リヴァイアサン』からルソー『社会契約論』に至るまで、どのように「社会契約説」が議論され変遷していったかをわかりやすく解説されています。

少し難しい単語に関しては、脚注を欄外に飛ばして、ここで分かりやすい解説がなされています。たとえばルソーの『社会契約論』ででてくる「一般意思」もわかりやすい解説がなされています。

この点、私は漠然しかわかっていなかったので、明治大学の辻村みよ子先生の教科書(『比較憲法 新版』)で、「(フランスの)一般意思の表明としての法律の概念を理解することなく、安易に「国家による自由」を志向することには問題がある」等の記述があると、「ここ詳しく知りたい!」と思っていたところがよくわかって、目からうろこが落ちる思いです。



少し前に、私はこのブログで、行政書士試験の一般知識の部分で、ホッブズ、ロック、ルソーなどの近代ヨーロッパの思想がごくたまに出題されることの対策について記事を書きました。

・【行政書士試験】平成20年の一般知識の問47のロック、ルソーなど政治思想の問題について

この『読まずに死ねない哲学名著50冊』の、ホッブズ、ロック、ルソーの該当ページを読むことも、行政書士試験や、さらにその上位の試験に大いに役立つと思いました。

(もちろん、勉強方法等に関しては、専門家である、たとえばLECの黒沢レオ先生などに質問していただければと思います。)

とはいえ、なにより、このような分野を知ることは、法律全般の勉強になります。

たとえば、これも今年出版され、現在、私の脳内で絶賛ブーム中である、樋口陽一・小林節『「憲法改正」の真実』では、自民党憲法改正草案の緊急事態条項がなんとホッブズ『リヴァイアサン』にさかのぼって両先生に批判されています(126頁)。

ここまで憲法のバックボーンにある哲学にまでさかのぼり、「近代より前に戻るのか」と自民党憲法改正草案を批判する、気迫のこもった論考を私は読んだことがありません。



また、樋口陽一先生は、これも最近の著書である『いま、「憲法改正」をどう考えるか』のなかで自民党憲法改正草案が憲法前文の第一段落から「人類普遍の原理」の文言を削除したことについて、この「人類普遍の原理」とは社会契約論であるとさりげなく指摘しておられます(104頁)。

そういった意味で、法律を勉強している人間は、やっぱりもう少しこういう哲学の本を読まないといけないなと反省する思いでした。


そういえば、新聞などによると、政府・与党は大学の文系学部を廃止しようとしているそうです。とくに人文学部がそのやり玉にあがっているようです。

冨山和彦なる諮問委員は、文科相の検討委員会において、「大学は、シェークスピアではなくトヨタの工場の最新機器の使い方を教える職業訓練学校にすべき」との、いわゆる「G型L型大学改革」なるものを主張しているそうです。

この構想では、たとえば法学部は、憲法や刑法でなく、道路交通法、大型第二種免許の職業訓練を行うべきだとされています。

私はこのニュースを読んだとき、この諮問委員とこの人物を招へいした文科省の双方のあまりのレベルの低さに呆れてしまいました。

憲法・刑法などの基礎的な法律を勉強せず、道路交通法のような個別法を勉強し、大型第二種免許を取得し、そのような上っ面な知識や簡単な資格試験で一体何をしようというのでしょうか?

そして、うえでも私が改めて感じたとおり、人文科学の学問分野は、深い部分で、法律学などの社会科学のバックボーンとなっていることは誰にも否定できません。

その人文科学を廃止するというのでしょうか?

さらに、現代社会において、社会科学や人文科学の歯止めなしに、野放しに自然科学が発展してゆくことが許容されるとも思えません。

先般の理研のSTAP細胞騒動ひとつをとっても、若い科学者のエリート達への倫理教育や、あるいは、細胞、バイオという分野の研究を規制する法律が十分であったのかが問題となるでしょう。近年は、AIやドローン等の科学技術があまりにも高度に発展し、それらの人間への安全性やプライバシー等の問題、あるいは、それらが人間の職を奪うのではないかという危険も顕在化しつつあります。

したがって、政府・与党が推進している、大学における人文科学・社会科学という学問分野の廃止は、例えるなら文化大革命のようなものであって、結果としてわが国を滅ぼす暴挙であると思います。

読まずに死ねない哲学名著50冊 (フォレスト2545新書)



「憲法改正」の真実 (集英社新書)



いま、「憲法改正」をどう考えるか――「戦後日本」を「保守」することの意味





法律・法学 ブログランキングへ
にほんブログ村 政治ブログ 法律・法学・司法へ
にほんブログ村