睡眠導入剤等を服薬した被保険者の自損事故と車両保険金の免責 | なか2656のブログ

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1.はじめに
最近、石田満『保険判例の研究と動向 2014』を読んでいたところ、熊本大学法学部教授遠山聡先生判例評釈を書かれている興味深い判決(岐阜地裁平成25年2月15日)があったので読んでみました。

この岐阜地裁判決は、車両保険などに加入する被保険者が睡眠導入剤を服薬したうえで自動車を運転し、自損事故を起こしたという事案です。

主な論点は、被保険者が睡眠導入剤を服薬したうえで自動車を運転していた場合、保険会社が保険金の支払を免責されるとして、その根拠はどうなるのか、という問題です。

たとえば、三井住友海上火災保険の自動車保険の普通保険約款をみると、車両保険については、つぎのように規定されています。

三井住友海上火災保険
家庭用自動車総合保険普通保険約款(2014年10月改定版)

第3章 車両保険
4条(保険金を支払わない場合)

(1)当社は、次のいずれかに該当する事由によって生じた損害に対しては、車両保険金を支払いません。
①次のいずれかに該当する者の故意または重大な過失
ア.保険契約者、被保険者または保険金を受け取るべき者
(略)

(3)当社は、次のいずれかに該当する者が(略)、麻薬、大麻、あへん、覚せい剤、シンナー等の影響により正常な運転ができにおそれがある状態でご契約のお車を運転している場合(後略)
①保険契約者、被保険者または保険金を受け取るべき者
(後略)

このように、三井住友海上の車両保険の約款の4条をざっとみると、1項で、保険契約者等の「重大な過失」があてはまるように思われます。その一方で、その下の3項で、「麻薬、大麻、あへん、覚せい剤、シンナー等」の「等」の部分に睡眠導入剤も含まれるようにも思われます。

そのうえで、今般の岐阜地裁判決をみてみたいと思います。

2.事実の概要
(1)保険契約の内容

本事件の保険者と保険の種類の内容はつぎのとおりでした。
・保険者:Y海上火災保険株式会社(三井住友海上火災保険)
・家庭用自動車総合保険

(2)事件の概要
Ⅹは岐阜市の産婦人科医であり、平成21年5日ごろに医療法人との契約により、岐阜市の診療所Bの院長となった。しかし、犬山市の診療所Aで帝王切開手術を行う際には、こちらの診療所に行くこともあった。(Ⅹが普段勤めていたBから犬山市のAまでは約20キロの距離であった。)

平成21年9月28日未明のおよそ2時20分ごろ、自動車を運転している途中、路外逸脱による自損の自動車事故を起こした。この事故により、自動車は全損の状態となった。そのためⅩはY保険会社に対して車両保険金の請求をした。ところが、Yは約款上支払えないと保険金の支払いを拒絶したため、ⅩがYに対して車両保険金約885万円の支払いを求めて訴訟を提起した。

3.判旨(岐阜地裁平成25年2月15日判決・判例時報2181号152頁)
「本件保険約款第3章第3条③は、保険契約者等が、麻薬、大麻、あへん、覚せい剤、シンナー等の影響により正常な運転ができないおそれがある状態で被保険自動車を運転している場合に生じた損害については、車両保険金の支払が免除される旨を定めており、ここに言う「麻薬、大麻、あへん、覚せい剤、シンナー等」とは、使用の影響により正常な運転ができないおそれがある状態を生じさせる薬剤を例示したものと解されるところ、前示のとおり、マイスリーもソセゴンも、使用の影響により正常な運転ができなくなるおそれのある状態を生じさせる薬剤である以上、医師である原告は、そのことを十分認識していたというべきであるから、被告は本件約款の同条項に基づき、本件事故による本件車両の損害について、車両保険金の支払を免れることとなる。」

このように、岐阜地裁判決は、車両保険の約款3条3項(2014年10年改定版では4条4項)の「麻薬、大麻、あへん、覚せい剤、シンナー等」とは、使用の影響により正常な運転ができないおそれがある状態を生じさせる薬剤を例示したものであり、マイスリーなどの睡眠導入剤もこれに含まれるとして、約款4条3項により、保険会社の保険金支払の免責を認めています。

4.高裁判決(名古屋高裁平成25年7月25日判決・判例時報2234号115頁)
地裁判決で敗訴したⅩはこれを不服として控訴しました。高裁において、Ⅹは、本件事故当時、Ⅹが薬物等の影響により正常な運転ができないおそれがあったとはいえないのであり、また、Yの主張する免責条項の適用については立証がされていないなどと主張しました。

これに対して高裁判決は、当裁判所もⅩの請求は理由がないものと判断するとし、地裁判決の「当裁判所の判断」は判決文の記載のとおり妥当であるとしてこれを維持しました。

すなわち、本件の普通保険約款3章3条③の「麻薬、大麻、あへん、覚せい剤、シンナー等」とは、使用の影響により正常な運転ができないおそれがある状態を生じさせる薬剤を例示したものと解されるのであり、マイスリーなどの睡眠導入剤もこれに含まれるとの地裁の判断を維持したものです。

そのうえで、高裁判決は、Ⅹが高裁で追加して新たに主張した反論に対して、つぎのような判断を付け加え、その反論を採用しませんでした。

「(ⅩのいたBクリニックから目的地のAクリニックまでは約20キロで、自動車であれば30分から40分であるにもかかわらず)、ⅩはAの手前で本件事故を起こしたのであるから、本件事故現場までの走行ルート自体、通常の走行ルートを外れるか、かなりの低速での走行を余儀なくされたことが強くうかがわれる。」

「(Ⅹは平成21年9月ごろからマイスリーを毎晩就寝前に服用しており、マイスリーを服用すると、その副作用としてもうろう状態が現れることから、)Ⅹがいつものようにマイスリーを服用していたとすれば、B出発後のⅩの走行態様等が通常のものではなかったことがうかがわれることや、本件事故前後の状況をⅩが記憶していないことを合理的に説明することができる。」

「また、Ⅹは、マイスリー等の薬効の持続時間を問題とするが、前示のとおり、作用には個人差がある上、もうろう状態等は服用する用量に依存してあらわれる」

5.最高裁(最高裁平成26年7月18日)
Ⅹは高裁判決を不服として上告をしました。しかし、最高裁平成26年7月18日上告を棄却し、Ⅹの敗訴が確定しました。

6.検討
(1)これまでの裁判例
自動車保険、第三分野における傷害保険、生命保険の分野における災害関係特約などの分野において、酒気帯び運転などはメジャーな案件ですが、この訴訟のように、睡眠導入剤の服用のみが真正面から争点となる訴訟はあまりない、かなりレアなケースであると思われます。

そのため保険法に関する主だったテキストなどにあたってみても、睡眠導入剤に言及している本が少ないのが現状です。しかし、平成26年7月に2冊ものの書籍として刊行された、山下友信・永沢徹『論点体系 保険法2』369頁において、この論点に関する説明がなされています。

そのなかでは、「麻薬、大麻、あへん、覚せい剤、シンナー等」による免責(以下、「麻薬等運転免責条項」という)の適用が肯定された事例と、否定された事例がいくつか紹介されています。

麻薬等運転免責条項の適用が肯定された事例として、被保険自動車を運転してガードレールに衝突するという第1事故を起こし、その翌日にも車道をはずれて走行不能になる事故を起こした被保険者がシンナー吸引の常習者であるとして、この麻薬等運転免責条項の適用による保険会社の保険金支払いが免責が認められた事案があります(静岡地裁沼津支部平成21年11月30日判決)。

その一方で、不安神経症の治療として、デプロメール、ロヒプノール、デジレル、メイラックス、セパゾンなどの抗うつ剤を処方されていた被保険者が林道を走行中に自動車とともに崖から転落したという事案で、麻薬等運転免責条項の適用が否定された事案があります(名古屋地裁平成16年1月30日判決)。(山下友信・永沢徹『論点体系 保険法2』369頁・山下典孝執筆部分)

なお、生命保険の判例集に、これは平成3年と少し古めの裁判例ですが、生命保険の災害関係特約の分野に関連して、「睡眠薬服薬中の事故死」が争点となったつぎのようなめずらしい裁判例がありました。

この判旨は、「厳寒期、被保険者は20袋の睡眠薬を服用したうえで人家から約150m離れた畑の中にある小屋で眠っていたが、覚醒して歩きだし、側溝に転落して心不全で死亡した。側溝は50㎝の高さであり、仮に、健康であったならば、容易に這い出すことができたが、それができなかったのは、相当体力が弱まっていたためと推認される。この体力の低下は雪の中で大量の睡眠薬を服用し寝込んだことによりもたらされた結果といえる。」

「よって、被保険者の側溝への転落を原因とする死亡と雪の中で睡眠薬を服用して寝込んだ行為との相当因果関係があるのみならず、右死亡は、右行為による凍死と同視し得るものであるというべきである。厳寒の季節に小屋で睡眠薬を服用し野宿するような行為は極めて危険であり、重大な過失といえる。」(名古屋高裁平成3年7月17日判決・長谷川仁彦・宮脇泰・山近・矢作法律事務所『生命保険契約法 最新実務判例集成』405頁)

この平成3年の裁判例は、被保険者が睡眠薬を20袋も飲んでしまったという重大な死の原因を認定しつつも、「精神障害の状態」に関する免責条項等を適用するのではなく、被保険者の「重大な過失」の免責条項を理由として、保険会社の保険金の支払いを免責としています。

(2)再び睡眠導入剤と自損事故の判決を考える
この記事の冒頭でもふれたとおり、この裁判については、熊本大学法学部教授の保険法の遠山聡先生が詳細な判例評釈を書いておられます。

その遠山先生の判例評釈によれば、つぎのような解説がなされています。麻薬等運転免責条項(薬物免責条項)が列挙する「麻薬、大麻、あへん、覚せい剤、シンナー等の影響により正常な運転ができないおそれがある状態」については、従来、道路交通法との関係により説明がされてきました。すなわち、この文言は、道交法117条の2第3号「麻薬、大麻、あへん、覚せい剤又は毒物及び劇物取締法第3条の3の規定に基づく政令で定める物の影響により正常な運転ができないおそれがある状態」と同義であるとされています。

そして、麻薬等運転免責条項が、麻薬、大麻、あへん、などを例示列挙として、その適用を幅広く認めようとする、今回の事件に関する岐阜地裁判決のような考え方の論拠のひとつは、麻薬等運転免責条項の最後に「シンナー等」と「等」という文言があることであると思われます。しかしこの点、遠山先生は、「シンナー等」とは、「毒物及び劇物取締法第3条の3の規定に基づく政令で定める物」のことであり、これはすなわち「トルエン並び酢酸エチル、トルエンまたはエタノールを含有するシンナー、接着剤、塗料」(毒物及び劇物取締法32条の2)のことであり、これを短く表現するために「シンナー等」としているに過ぎないとしておられます。

そのうえで、たしかに約款は保険者と保険契約者との合意内容を規定したものであり、道交法が定める刑罰法規とは別であることは言うまでもないが、しかし約款文言を離れて安易な拡張解釈を認めることは慎重であるべきであるとされています。

そして、麻薬等運転免責条項の薬物にはマイスリーやソセゴンなどは含まれないとします。そして、遠山先生は、本事件の判決は、麻薬等運転免責条項による免責ではなく、被保険者の「重大な過失」の免責条項を理由として保険会社を免責とする余地があったのではないかとしておられます。

(3)おわりに
遠山先生のご見解は明快で非常にごもっともだと思うのですが、しかし上告棄却の判決とはいえ、この事案が一応最高裁まで行ってしまい、確定してしまったという現実があります。

また、普通保険約款をはじめとする約款の解釈の原則のひとつに、「客観的解釈の原則」があります。つまり、契約締結時の具体的事情や、個々の保険契約者の理解ではなく、一般的な保険契約者の理解するであろう意味において客観的画一的に約款を解釈すべきという原則です(山下友信・竹濱修・洲崎博史・山本哲生『有斐閣アルマ保険法[第3版]』61頁)。

この原則によれば、一般的な保険契約者にとっては、マイスリー等の睡眠導入剤による、もうろう状態を原因とする自損事故は、「被保険者の重大な過失」というよりは、むしろ麻薬等運転免責条項の「シンナー等」の「等」に含むとするほうが、しっくりとするのではないでしょうか。

さらに、お恥ずかしい話ではありますが、保険会社の支払査定担当者であっても、すべての担当者が睡眠導入剤がこの「シンナー等」に含まれるか否かをしっかりと知っているか否かという問題があります。もちろんこれは、単に私が生命保険会社の主に入院給付金の支払査定担当の人間であったせいかもしれません。損害保険会社の支払査定担当の方々にとっては、これらのことは常識の事柄なのかもしれません。

最後に、保険会社がもし今後、このような睡眠導入剤に関連する保険金訴訟を行なう際には、実務対応として、麻薬等運転免責条項と保険契約者等の「重大な過失」に基く免責を併せて主張することになるのではないかと思われます。


保険判例の研究と動向2014



論点体系 保険法2



生命保険契約法最新実務判例集成



保険法 第3版 (有斐閣アルマ)





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