おはようございます。。。(^0^)/

 

nyankoです。。。(^0^)b

 

 

さて、3日目の夕方から症状が戻ってしまったnyankoはどうなっていくのでしょう??

 

3日目の夜ペースト食最後の日、ペースト食はとても食べづらく、ご飯なんかまんまご飯プディング!味はご飯でも全くの別物。食べる気が起きない。けど、食べないことには回復はない!それを言い聞かせ挑んでみる。幸い海苔の佃煮があったのでそれを混ぜて口に運んでみる。口に馴染ませ右を向き顎を引いて飲み込んでみる。

 

「?!」飲み込めた!これならいける!

 

調子に乗り2口目・・・うん。大丈夫だ!一緒に出されるお茶やスープを補助として使えば詰まっても何とかなることが分かった。

ヾ(´ー` )ノ♪

 

何とかご飯ペーストを完食して、メイバランスのドリンクとアイスが付いていたのでチャレンジする。こちらはほぼほぼ液体なので問題なく摂取する事が出来た。これで明日の常食への挑戦状を得た気分だった。_( ̄▽ ̄)ノ彡☆ バンバン !

 

そして3日目の夜は更けていく。

この日は飲み込むコツを教えてもらったせいか、ティッシュで拭う回数が減り気が付くと寝落ちしていた。ヾ(´ー` )ノ♪

 

4日目の朝、常食の朝ごはんが来た。

全ての食材がその物の形を留めている。ある意味感動だった。_( ̄▽ ̄)ノ彡☆ バンバン !

飲み込みも順調いけるっしょ!と思っていたら思わぬ伏兵が出現した!.....Σ(;゚ω゚ノ)ノ

その名も「インゲン」良く噛み飲み込んだら、繊維質が喉に溜まり食道の手前でひと固まりになっている!何とかせねば・・・お茶で流し込む。ふ~とりあえず難を逃れた。( ̄▽ ̄*)ゞ

 

調子こいていると痛い目に合う・・・まだそんな状況のようだ。

(ノ∇〃)ペチ☆

 

程なく食事を済ませ主治医が回診に来る時間「nyankoさん調子はどお?」いつもの調子でのお出ましに「ちょっと痙攣が出始めました」と。

 

そうしたら文献を読み込んで来たらしく「一度症状がなくなって、数日してまた出て、徐々に消退していくというパターンをたどるのがいちばん多いパターンのようだね。あと嚥下のマヒ感は手術による後遺症なんだけど、これについても徐々になくなるから心配ないよ」と。なるほど・・・後は回復を待つのみか。そう理解した。ヽ( ´ー`)ノ♪フフッ!

 

回診後、携帯で音楽を楽しむまで余裕が出てきた私に1つの試練がやってきた。3日間おトイレから解放されていた私に導尿を抜く時が来たのだ!看護師が陰洗後に抜きますと・・・ちょっと恥ずかしい。(*ノ∀ノ)イヤン

 

初めての導尿・・・入れる時は意識がなかった。しかし抜く時は覚醒時どんな気分なんだろう??看護師が先端のバルーンの液体を抜き、ゆっくり引き抜いてくると同時に「ふ~と息を吐いて下さい!」と促される。あそこの先にツーンとした感じが走る。それも束の間・・・管が抜けたらしい。ヾ(´ー` )ノ♪

 

意外と楽に終わった。(๑˃̵ᴗ˂̵)و ヨシ!

 

その後さらに容赦ない社会復帰へのプログラムが発動される。

そうリハビリってやつね。

脳みそいじっているから余計機能を見て慎重にってなるんだろうね。という訳で言葉は優しく実は鬼のようなことを注文してくるリハビリが始まる。

(そんな事思っていないけど・・・描写としての表現ね(笑))

 

その時は導尿の抜去が済んでしばらくして訪れた。カーテンの向こうから声がする「nyankoさん今お時間はよろしいでしょうか?」招き入れるとそこから開始となった。起きれるはずだからまず立ち上がってみましょうと・・・。正直自信はなかった。手術から3日間まったく起き上がることすらしていない。多分「宇宙飛行士」が宇宙から帰ってきたくらい筋肉が退化しているんじゃないかと勘違いするほどである。

 

そんな思いも一瞬で退けるPT(理学療法士)の一声になんとか起き上がってみる。

 

お!意外と出来るじゃん。不安も過ったが案外すぐに解消された。しかし、立つまでは良かったが歩くとやはりふらつきはあった。平衡感覚が障害される神経も絡んでいる手術だということを改めて認識した。とりあえずお試しの初日・・・フロアの直線を1往復して終了。顔をひくつかせながら何とか乗り切った。導尿も抜けたし、食事も常食になったことでお通じも始まるからトイレに行けるくらいには回復しないといけないからね。部屋からおトイレまでを頑張れる状態にしなくては・・・。

 

焦ってもしょうがないけど、最低限のことは自分で出来るように頑張らねば。(๑˃̵ᴗ˂̵)و ヨシ!

 

さて、この時の眼瞼痙攣の症状を紹介しましょう。

部分的写真を提示します。

 

 

目と口の写真ですが、どちらも同じアングルで撮影しています。

目が小さい方は症状が出ている状態、次が症状が出ていない状態になります。

 

まったく違う事がわかると思います。正直症状のない状態の顔の写真を見て、こんなに目が大きかったっけ?とか、顔の表情が明るく感じるなと思ったのは何年ぶりでしょう?というくらい違う写真に思えました。\_( ゚ロ゚)ハィここ重要。

 

書き忘れましたが・・・嚥下の神経麻痺は声も枯れらしています(嗄声といいます)。話していて思い通りに声が出ないので話し続けることがとてもしんどいです。(-ω-;)ウーン

ですが、時間経過の度に眼瞼の痙攣が出ている時間は減ってきているのがわかります。それと共に嚥下に関わる神経麻痺も改善していることが少しづつではありますがわかります。

 

と、一日の治療はこんな感じで過ぎていった。

 

4日目以降は退院まで症状の消退がちょっとづつではあるが感じる事ができ、他愛のない毎日を過ごすことになる。

ヾ(´ー` )ノ♪

 

とにかく、食事とリハビリ以外の時間はとにかく退屈な時が流れ、目を使うことが億劫で目を閉じている事が多かったように思う。なので退屈しのぎに結構ラジオは聞いていた気がする。

 

ここで毎日特に変化を感じるのは飲み込みに関すること。

人間の身体の修復機能ってすごいなって改めて実感した。( ̄▽ ̄*)ゞ

術後初日、まったく飲めないところからおおかた3日で麻痺はあるものの飲み込めるようになり、退院する10日までに8・9割方回復するのだから。ヾ(´ー` )ノ♪

 

そしてそんなこんなを毎日繰り返し、回復を実感しながら10日目で退院の運びとなった。

術後3日目まではこんなことが何時まで続くのかと不安との闘いだったが・・・過ぎてしまえばあっという間の10日間だった。

 

そして今回自分が経験した事は右麻痺の脳梗塞の疑似体験として受け止めている。

 

私は数年前に身寄りのない叔母の介護していた。その時に叔母も脳梗塞を患っていて同じ思いをしていたのだろうと・・・。叔母も飲む水はトロミの付いたものを飲まされ、手にはいつもハンドタオルをもって、飲み込めない唾液を拭っていたことを思い出した。

 

今回の手術・闘病ではこの不自由な思いを共感するに至り、STさんを通して嚥下について理解が深まったのを実感した。(*¨)(*・・)(¨*)(・・*) うんうん

 

今回の闘病では主治医はじめ医療スタッフのみなさんの献身的なケアのおかげで10日という短い時間で社会復帰出来るくらいまでの回復が出来た事をとても感謝しています。

 

症状としては9割方の回復を得て、残り1割は今後経過観察ということになったが、今までの回復経過が主治医の予想通りなのを聞いているので治る事を信じ過ごしていきたいと思う。

 

いかがでしたでしょうか?私の20年来の眼瞼痙攣の記録、今回を持ちまして「完治」という運びになろうかと思います。応援頂いていた皆様にはこの場を借りて感謝を申し上げるのと、同じ病気で苦しんでいるみなさんの判断基準になる読み物になっていれば幸いです。

 

この後は退院後の診察へと続きます。

 

 

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