発達障害を持つ子供の母としてしている事 | 気まぐれ♡ポンコツmamaブログ♡

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2児の母。モラハラ夫と離婚し3人暮らしの育児日記や出来事、大好きなコスメやメイク、ネイル等写真アップしたり、発達障害の子供を持つ母としても、経験談を記事にしています。

綺麗で可愛い人で居たい♡願望は、いつまでも持ちます!



長女  発達障害【自閉スペクトラム】

次女  マイペース


子供の発達障害が分かったのは、離婚の裁判中でした。


子供達は、私が連れ去りをしたと言われ、元夫の元へ返さないといけないとなってからでした。


面会を続けていくうちに、次女のアザ、長女のあまりにもの元夫への拒絶に、話を聞いたり、児童相談所に相談していた時だった。


帰りたくないの度合いは、その辺で子供が泣くレベルでは無くて、恐怖に怯えているような鳴き声だった。

大丈夫。また会えるよ。

と説得しても、パニック状態になり、引き渡す時には、裸足で逃げ出し、警察も呼んだ。



そんな中、病院へも行き、事情を話しても、初めは、生活環境が変わっただけ。の様に扱われた。


ケアしてくれる方は、先生とは違い、日々の細かいパニック状態の話を聞いてくれ、電話でも指示を出してくれました。



それだけでも救われた。


日々のパニックに疲弊しながらも、興味のありそうな事にも、気を配りながら生活をしていた。



その時、唯一長女が反応したのは、BTSの音楽が、YouTubeから流れてきて、楽しそうに踊り始めた時だった。



自分を責め続けていた長女が、嬉しそうに笑顔で踊る姿は、今でも忘れない。



この時長女は、親の離婚と、母親と離れる、母親を否定される事に耐えられなかったのだと思います。
母親から産まれた自分も否定されているかの様に聞こえます。


普通の子供でも、そうだと思いますが、次女は、大人の言う事に、従わざるを得なかったので、何も出来ずに居たそうです。



それからといえ、韓流ドラマをたまにしか見なかった私も、BTSを調べたり、音楽を聞いたりしていました。


それぞれが、色んな持ち味を出して、色んなメッセージが込められていたり、活動にも、意味があるな~!と、思わされ、長女とダンスしたりしていましたキラキラ
今でも長女、次女、私もファンですニコニコ




この頃の長女は、飽きてしまうと家ですることが無く、公園へ行ってみたりもしましたが、うずくまったり、パニックが出てしまう為、子供の遊び。で探した、工作にハマりはじめていました。


初めは、段ボールとビーズとグルーガンで、好きな物を作ったり、造花を使って紙コップに花束を作ったり。


日に日に段ボールの作品が増えました流れ星



この頃、服やオモチャにも、こだわりがあって、どうしても欲しいものは、買って貰わないと、気が済みませんでしたが、どうしてもお金が無い時は、ごめんね。ママお金がないの。また買ってあげるからね。と、少しの我慢もさせました。


それが落ち着くと、何か欲しい物は無くても、買い物がしたい。と始まりました。


高い物は買えませんが、100均で、何個ね。と計算をさせながら買い物をしていました。


学力は、やれば出来るので、机に向かう勉強では無く、実際に使う買い物で、算数を勉強していました。



夜は眠れない時もありましたが、背中が、緊張やストレスでガチガチに凝っていたので、マッサージをしてあげながら、眠ったり、マッサージをしてあげながら、起こしたりしていました。


季節も関係なく、室内のプールへ連れて行ったりもしました浮き輪


色々調べて、宇津救命丸を寝る前だったり、夕飯の時等に、1粒から始めて、飲み始めていました。


【イライラが、少し落ち着くよ。】
と伝えると、実は子供自身も、どうにもならない感情に、ママにも悪いし、嫌だな。と思っていたので、頑張りながら、様子を見ながら、気分に合わせて飲んだり飲まなかったりを続けました。



私も、養命酒や、胃腸薬を飲んでいたりしたので、一緒に飲もうかキラキラ
怖い薬では無い事も、伝えていました。


味も甘い味でしたが、出してしまっても、粒の薬、飲めるようになるねキラキラと前向きに続けました。



こんな感じですが、毎日のパニックに絶望せず、出来た事が出来なくなっても、一歩進んで二歩下がる。の様に、無駄じゃない。と続けました。






長女も次女も産んだのは、私なので。
ちゃんと種を貰いましたが、責任としか認識出来ずに、子の育て方を学ぶ人では無かっただけで。



ただ当時困っていたのは、行政では出来ない事もあり、小学生の行き場が見つからなかった事でした。



最後に見つかったのは、学校へ行かない、行けない、ちょっと休みたい等の子達が気軽に行ける、中間の教室でした。



そこには色んな遊べるものがあって、最初は他に親御さんが居ない中、付き添って先生と遊ぶことでした。


行きたくない日は顔だけ先生と合わせたり、お弁当を持っていって食べたり、そんな事を続けていって、男の子が多い教室でしたが、たまに来る女の子達と仲良くなりましたキラキラ



教室が終わっても、近くの公園で遊ぼうとなれば、私が居なくても、子供達の輪が出来て一安心しましたが、昨年春に、引っ越してしまいましたえーん


それから私達も近くですが引っ越して、中間からは遠ざかってしまっていましたが、昨年の夏頃に、近くに教室が出来たので行ってみると、以前行っていた教室の先生が1人、配属されてましたキラキラ



二人ともとても喜んで、そこには女の子も多く来ているので、楽しめそうだと期待を込めていますニコニコ



子供も、大人も、色んな人が居て、全員が違う。

かつて日本は、集団で、横並びで。が教育にも折り込まれ、そこに付いていけない、馴染めない人達は、肩身が狭い思いをしたことでしょう。


発達障害や、うつ、その他色々な悩みがある人が沢山居ます。


自分の価値観に、流れに沿わないからと言う考えでは、誰とも解り合えません。
最後まで一人です。


私のモットーは、人は人の気持ちや考えがあって、それを発見していて、決して否定せず、どんな考えなのか聞いてみて、自分にとって広がるのか、そうではないのかを考えます。
ただそれだけで、悪い考えだとは言いませんし、人の意に反してしないかどうか。を細かく考えるくらいです。


発達障害の長女には、口に出して物が言えず、手足が出てしまう。
なので、口で話しなさいと伝えています。

次女は、口で物を言うが、端的になってしまう為、傷付けてしまう言い方になる。
2人に、言い方を教えます。


この先子供達は、全く違う価値観や考えの人達と接する機会が必ずあります。


その面でも、今はそれを出来るように、特に喧嘩になった時には、しっかりと短めに話します。


言い分は二人居れば、二人ある。
発達障害の子もまた、自分の意見はありますが、少し、自分本意になったり、忘れてしまって繋がらない事が良くあります。
思い出させて、いけない事は、しっかりと教えます。

苛立ちは必要ありません。
時間をかけて、語りかけるように話します。


いっぱいいっぱいになって、涙を流しながらの時もありました。

でも、子供には伝わります。

母親の身体に、ずっと居て、出て来てくれたのですから。



長文になりましたが、今度は小出しで、子供としてきた事を、書いていきます流れ星