訪日(第172You Tube(ハイデッガー)(#74)
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⓶ どのようなトピックス、日時などを木庵と話し合う。
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木庵の般若心経(3回目)
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第172You Tube(ハイデッガー)
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カーター先生が書かれたことを含めて、検索で得た記事を参考にしながら、ハイデッガーの思想を分かり易く説明する。


ハイデッガーの思想が誕生した時代背景
ハイデガーが活躍した時代は、産業革命によって機械化が進み、大衆文化によって人々が没個性化していく時代であった。また、ドイツでは1929年の世界恐慌によってハイパーインフレが起こり、人々が持っていたお金がいきなり無価値になってしまった。こうした時代背景の中で、ハイデガーは人が存在する意味を問い、個人がどのように生きるべきかという哲学を考えた。

ハイデッガーの思想
ハイデッガーが著して本『存在と時間』においてよく使われる「Dasein 」という言葉がある。「自己を現にそこ (da) にある (sein) もの」として自覚する実存的存在の意味である。

ハイデガーは「存在」と「存在者」(Dasein )という言葉を使い分けている。
「存在」とは何かが存在するという事実を指し、「存在者」は実際に存在している人や物を指す。例えば、人間や動物、植物などはすべて「存在者」であり、それらが存在しているという事実が「存在」である。
「現存在」とは、自らの存在を問う存在者のことを言い、具体的には「人間」のことを指す。『存在と時間』では,「ある(ザイン)」ということはどういうことなのかを現象学的分析を通じて究明している。

ニーチェの「神の死」宣言によって、よりどころを失った人類に残された最後の砦は「存在(ある)」である。神という最高の価値観が失われたとしても、少なくとも何かが「存在」していることだけは間違いない。だから「存在」について考えれば、人生の秘密が解るかもしれないとハイデッガーは考えた。

「コップがある」「ペンがある」などの「ある」を説明することは難しい。「ある」は「ある」に決まっているからである。しかし、ハイデガーはこの「ある」についてしっかりと説明している。

コップについて言えば、「コップ」(存在者)と「コップが存在する」(存在)することとは違う。存在している「コップ」「ノート」や「ペン」などはは存在者である。これらは手に取ることができるが、すべてに共通していることは「存在していること」である。しかし、「存在」それ自体は見えない。だから「存在者」(コップなど)の中に、「存在」そのものを探し求めても無駄だということになる。

では、存在者を存在たらしめている存在の作用のもとはなんなのだろうか? 
『存在と時間』によると、「それは人間(現存在)だ」。別に人間が妄想で外部の世界を作り出しているという話ではない。
「ある!」とリアルに感じている存在が人間(現存在)だから、その人間を分析すれば、存在の謎が解けるのではないかとハイデガーは考えたのである。

人間は自己の存在と人間以外の存在者の存在について理解を持つ唯一の存在者である。

「ある」は時間によってじわじわとわかる。現存在はどのようなあり方をしているのか?。まず、我々は存在しようと決意したわけでもないのに、いつの間にかこの世のただ中に投げ出されている。

そのあり方は、石が箱の中に入っているように、自分が世界に入っているのとは違う。現存在を取り巻く世界は、自分の気遣いから広がっている現存在とは切り離すことのできない世界である。世界全体がパッケージになっているので、人間だけをぶつんとして取り出すことはできない。

このように、自分が常に一定の世界の内にあること、そしてこれを既成の事実として見出すよりほかない人間のあり方は「世界内存在」と呼ばれる。「世界内存在」とは、存在者が他の様々な存在者と関わりながら存在しているという考え方である。例えば、生まれたばかりの赤ちゃんは、母親や哺乳瓶といった自分とは別の存在者と関わりながら生きていると言える。
ハイデガーによれば、私たちは何の目的も持たない状態でこの世界に生まれる。その瞬間から他の存在者との関係の中で存在していることになる。仮に、他者との関係を断ち切って山籠もりをしたとしても、そこには木々や野生動物といった存在者との関わりがある。

「死への存在」とは、人間の存在(=人生)は本質的には「死」に向かっているのという考え方である。
ハイデガーは、我々の人生には目的はなく、生まれた瞬間から一歩ずつ、死に向かって進んでいるにすぎないと考えている。「死への存在」とは、人間の存在(=人生)は本質的には「死」に向かっているという考え方である。

なぜ人はそんなことをするのかというと、本書によれば、「死」から目を背けたいからだとされます。

人生のラストが「死」であるから、存在が時間から説明されることになる。

「人は最後は死ぬものだ」というような他人事の立場ではなく、「死への存在」であることを直視して自分の死を受け入れる立場は、「先駆的覚悟性」と呼ばれている。だから、存在の意味は「時間性」ということになるのである。

ところで、我々の日常を取り巻いている環境世界にまず現れる物は道具である。
道具は「○○のために」というように互いに指示し合って一つの連関をなしている。こうした道具連関を成り立たせているものは現存在がそのつど自分自身の可能性を気にかけているからである。

明日は雨が降りそうだ。傘を用意しておこう。なぜ傘を用意するのか。濡れないようにするためである。そして、明日も一日この傘をさしながら存在していられますようにと思う。つまり、明日も無事でありたいとの自分の存在の可能性を気遣っているからこそ、道具の意味があるのである。

気遣いは他人を気遣うということにつながる。気遣うと自分がなくなって他人が基準となり、現実に起きている事件を好奇心のなすがままに追いかけつつ、それについて友達とひたすらおしゃべりをしたりする。そのとき、人間は自分自身として生きているのではなく、自分が世間的なレベルにあわせて生きていることになる。

ハイデガーは、人間は決断によって自分の存在の在り方(=生き方)を自由に選択できると考えた。この性質は他の動物にはない、人間だけの特徴である。



ダス・マン(Das Man)とは
「ダス・マン」とは、死と向き合うことなく没個性的に生きる人々のことを指す。人間は本来「現存在」なので、自分の生き方を自由に選ぶことができるはずである。しかし、ダス・マンは死を恐れるあまり、死から目を背け、没個性的に生きている。ハイデガーは、技術革新や大衆文化によって多くの人が個性を失い、自分の本来の生き方とは異なる、他人に合わせた平均的な生き方をしてしまっていると主張している。
人間は自分自身として生きているのではなく、自分が世間的なレベルにあわせて生きている(「ダスマン(ひと)」)のである。


存在忘却の時代
「存在忘却の時代」とは、人々がダス・マンとなり、固有の存在の仕方を見失う時代のことを言う。
ハイデガーによれば、存在忘却の時代では、あらゆる物や人が利用されるべき材料としてみなされてしまう。
例えば、企業で働くとき、企業の利潤追求の目的に盲従して生きるような没我の世界である。その時人々は、企業の利益を上げるための材料として利用されているに過ぎない。


他の思想との関係
フッサールとの関係

ハイデガーは、ドイツの哲学者エトムント・フッサールのもとで現象学を学んだ。「現象学」とは、人間の先入観を排除することにより、現象そのものを直接調べて考察する手法である。

実存主義者との関係
ハイデガーは個人が自分の本来の生き方を選ぶことを重視した。「個人がどのように生きるべきか」に注目する哲学を「実存主義」と言う。


ハンナ・アレントとの関係
ハイデガーは、大学の教え子であったユダヤ人のハンナ・アレントと恋愛関係にあった。彼女が18歳のときで、ハイデガーは既に既婚者であった。しかし、ハイデガーがナチ党に入党したことで彼らの関係は一時的に断絶した。その後、アレントはナチスから逃れるためにドイツを離れることを余儀なくされた。

第二次世界大戦後、ハイデガーとアレントは再び接触を持ち、その後も書簡のやり取りなどを通じて思想的な交流を続けている。

アレントはハイデガーの反ユダヤ主義思想を強く批判したが、一方で彼の思想自体に対しては深い敬意を持ち続け、彼の哲学が自身の思想に大きな影響を与えたことを認めている。


まとめ
ハイデガーの思想は、人間が自らの存在を問い、決断することによって本来の生き方をすることを重視している。


写真:ハンナ・アレントとハイデッガー
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