訪日(第164回You Tube(常識) 、ブログを始めた頃の記事)(#21)
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You Tubeを立ち上げた
対談に参加したい人は、
⓵ 木庵のメールアドレスをクリックする。

メールアドレス:takaonaito03@gmail.com
⓶ どのようなトピックス、日時などを木庵と話し合う。
⓷ 実際にズーム上で対話をおこなう(自動的に録画できるようになっている)。
⓸ ズームで録画したものを、You Tubeに移動(木庵の作業)
⑤ 出来上がったYou Tubeのアドレスをブログに掲載。
⓺ You Tubeのアドレスをクリックすると、誰でも対話の様子が見れる。

*顔を隠したい人、仮の名前でもよい(勿論木庵の顔はだす)。

*二人以上もできるが、40分でズームは切れる(延長する場合は、再開する必要あり)。

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木庵のZoomミーティングに実際に参加する場合:
下のURLをクリックする。

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ミーティングID: 558 258 9118
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*URLをクリックするだけで、ミーティングルームに入れる(ミーティングID、 パスコードの入力は必要ないよう)。
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木庵の般若心経(3回目)
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第164回You Tube(常識) 
https://youtu.be/CSvRrdwjCxQ


常識
これから、カーター先生が書かれた『Encyclopedia of Phirosophy 』から、興味のあるトピックスを選び、先生の考え方と同時に木庵の考え方も述べていく。
最初に目に止まったのは「Common Sense」である。Common Senseは「常識」と訳してよいだろう。よく言われることに、「日本の常識は、アメリカの非常識」と。日本では何かを間違えれば、すぐに謝るのが常識である。ところが、アメリカでは謝ると、自分のミス、罪を認めることになり、特に、自動車事故で相手の車を傷付けたような場合、最初に謝って方が悪いとなり、裁判では不利になる。だから、たとえ自分が悪いと思っても、絶対に謝らないのがアメリカの常識である。

ということは、常識は絶対的な真理ではなく、ある特定の場所や地域で認められている知識であり、普遍的な知識ではないと考えられる。哲学では、絶対的な知識を求めるので、常識は無視ないし軽く見られている。
ところが、カーター先生は「Common Senseは多くの哲学者の対象ではなく、簡単にあしらわれている傾向があるが、哲学的に何か意味があるのではないかと思い、それを追及する」と書いておられる。常識が本当の知識ではないというのが西洋哲学の認識論の主流のようであるが、常識の中に何か普遍性なものが潜んでいるのであろうか。
一般的に、常識(Common Sense)は、我々の日常生活に役立つ知識、例えば、日本という社会において、共通の感覚に根差した共通の価値観というものが想起される。つまり、平俗的に述べれば、分かりきった知識である。専門的、哲学的な観点からすると、ありふれた知識,本当の知識とは呼べないものである。

小林秀雄は『常識について』で、次のように書いている。
「批評という仕事は、科学の考え方よりもよほど常識の考え方に近いやり方をするものなのである。つまり、理屈というものの扱い方が、科学的というより寧ろ常識的なところに批評があると私は思っている」
「常識がなければ、私達は一日も生きられない。だから、みんな常識は働かせているわけだ。併し、その常識が利く範囲なり世界なりが、現代ではどういう事になっているかを考えてみるがよい。常識の働きが貴いのは、刻々に新たに、微妙に動く対象に即してまるで行動するかのように考えているところにある。そういう形の考え方のとどく射程は、ほんの私達の私生活の私事を出ないように思われる。事が公になって、一とたび、社会を批判し、政治を論じ、文化を語るとなると、同じ人間の人相が一変し、忽ち、計算機に酷似してくるのは、どうした事であろうか」
(新潮社刊『小林秀雄全作品』第23集所収)

小林秀雄は常識を評論の対象にしている。ところが、「社会を批判し、政治を論じ、文化を語るとき、常識の域から外れ、特別なアプローチをおこなう」と言っているのであろうか。小林の言葉を借りれば、特別なアプローチとは計算機に酷似してくるのである。今でいうAI(人工頭脳)に頼るようになるのだろう。そうなると、「人間の本来もっている、原体験が無視され、つまり人間の感性から離れた無機質な数字だけの世界になり、人間性さえ破壊するようになるのではないか」と、小林は言っているようにも思える。
このようなことをゲーテも言っている。ゲーテは「雷光をプリズムを通して見るのではなく、己の目で見たい」と。科学を発展させたのは、顕微鏡、望遠鏡などの器具であった。微小なもの遠い所にあるものを見るのに、これらの器具は役立つ。ところが、ゲーテが言っているように、雷光がプリズムを通して見れば、人間の本来の感性から離れたものになるということである。

常識は専門的知識にくらべてありふれた知識,また,厳密な学問知にくらべてあいまいさを含んだ日常の知だということである。ところが、このような常識を、出発点としての常識という捉え方をすることができる。つまり出発点を基礎として、到達点としての常識があるのではないかという考え方である。それは専門的知識よりも広く豊かな知識,学問的認識よりも洞察力に富んだ知のことを意味する。この「共通感覚」の考え方は,西洋の古代・中世から、そして,ルネサンスの人文主義者たちに受け継がれ,近代においては、学問の基礎を常識=コモン・センスに置く「常識学派」なるものまで現れている。
「誰でも知っている常識を、もっと深く考えるのが、学問である」という見方で、「常識の奥は深い」という考えかたである。
つづく


ブログを始めた頃の記事
ソ連の崩壊

1991年12月のソ連の崩壊以降、日本の言論界では保守勢力の伸長が目立ったが、保守と自認する人のなかに、左翼思想に汚染されたままの変更組が多い。そのことからも、保守勢力の牙城の弱さは隠せるものではなかった。
嘗てのマルクス主義に理論武装した左翼陣営ではなく、朝鮮総連を中心とする在日勢力が反権力、反日の動きが近頃出現している。

ここで整理しておく。左翼イコール反日ではない。たとえば、現在の共産党は反日ではない。というのは、現在の共産党は日本を破壊(革命)させるのではなく、選挙によって、つまり民意によって政権を獲ろうとしている。民意で日本をつくろうとするのは反日ではない。恐らく政権をとってから、天皇制を打倒するという策を弄するであろうから、政権をとってから反日になると予想される。
その意味でいくと、近頃の在日の動きはまさに、反日である。彼らがやろうとしていることは日本の伝統、天皇を中心とする日本の民族意識の破壊である。寧ろ、自分たちの故郷である朝鮮を守ろうとしている。だから反日である。

在日勢力の反日運動
戦後、在日の人々は、第三国人としての地位を利用して、焼け野原の無政府状態の日本で好き放題なことをした。日本の警察は彼らに手がだせなかったのである。
焼け跡の持ち主のはっきりしない土地を己のものにした在日の人は多かったという。現在でも、新宿の土地の多くは在日の所有物である(友人から聞いた話)。品川ではそれほど在日の土地はない。品川では日本人が団結して在日と戦ったからである(これも違う友人から聞いた話)。

戦後まなしの神戸の港安労働者が朝鮮人によって妨害され、スムーズに仕事ができない状態が続いた。そこで、堪忍袋の緒が切れた山口組の創立者の一人の田岡組長が立ち向かった。このことは高倉健主役のヤクザ映画で描かれている(木庵はこの映画を観ている)。
パチンコ業界を在日が握っているのも、戦後のどさくさにまぎれた在日の所業による。
戦後の混乱から立ち直り、日本は順調な発展を遂げるようになった。そのときには、日本人は主権を取り戻し、在日を日蔭に追いやり、差別までするようになった。
このような在日にとって逆風の時代になり、在日の人たちは必死になって日本で生きる術を探し求めた。在日の人は日本の企業、特に一流企業への就職は難しかった。企業において、在日への差別的な待遇や不採用のようなことがあった。
日本には悪しき伝統がある。よそ者に対しての差別である。日本民族だけが理解できる阿吽の呼吸的なものを求め、それに甘んじるところがある。そしてその枠から外れる人を排斥する。その排斥の対象が在日の人であり、部落の人であったのだ。
ところが、日本は未曾有の経済的発展をなしていくなかで、余裕ができたのか、在日を差別するのではなく、一般日本人と同じように扱おうという風潮がでだしてきた。そして在日の人が大企業に勤められる機会均等の時代に差し掛かったのである。
在日は日本で生きていくために、日本人以上に努力したのは事実である。差別というマイナスをバネにして、日本人以上によく勉強し、よく働くスーパーマンやスーパーウーマンが現れてきた。
芸能界やスポーツの選手の中に在日の人が多い。興味のあるところで、日本を看板にして己を売り込む人のなかに在日がいる。木庵が子供の頃日本の代表でアメリカのレスラーを痛快にやっつけてくれた力道山が朝鮮系であったというから驚きである。
芸能界やスポーツの世界で活躍する分にはそれほど日本社会で問題にはならなかったが、政治の舞台で活躍する朝鮮系の人が多く出だしてきたのには、問題だと警戒する世論が出だしてきた。帰化して日本人になっている人は法律上問題はないのだが、どうしてももって生まれたるDNAが影響してか、日本のためより朝鮮のために動くようようになってしまうのは困ったものである。
ある朝鮮系の国会議員は天皇陛下の様子を見ると「反吐がでそうになる」と、嘗て言ったことがある。
日本人にとって美しく見える伝統文化は、彼女にとって醜く映るのだろう。韓国からやってきた若者の旅行者が、靖国神社でライターで火をつけるポーズをネットで流し、韓国では英雄視される。それに、いくらかの神社の放火はこの民族の人がやったという証拠はある。
ほとんど確かだと思うのだが、ネットでは【朝鮮系】の【帰化】国会議員として73人の名前がでている。これらの議員のほとんどは民主党であったというから驚きである。
民主党は崩壊した。希望の党に吸収され、吸収されなかった人は、立憲民主党を立ち上げ、希望の党以上の躍進が予想される。
小池東京都知事による希望の党が誕生し、民主党が崩壊した報を受けて、これで日本は保守二党による政治が行われ、憲法改正も出来ると思った。

ところが、そうは問屋が卸さなかったのである。
青山繁晴氏によれば、「今回の選挙に立候補した候補者の中に朝鮮総連や北朝鮮との関係を指摘されている人が、少なくとも公安がずっと調べてる人が何人もいる」「立憲民主党にそのような人が多い」という。
さらに青山氏は述べている。。
「毎日新聞は極左と見間違うほど、社会主義政党の機関誌になっている。なぜ毎日新聞が左に傾いたかというと、右に傾くと売れないからである。政党も「日本のこころ」や「次世代の党」のように右に傾くと票もとれないしお金も入ってこない。
 左に傾くと絶対の販売できる層がいる。新聞は買ってくれるし、そういう政党には票を入れてくれる。これはGHQの残した遺産でもある」。
青山氏の言う「GHQの残した遺産」とは、まさにGHQが画策した東京大学法学部を中心にして、赤思想を日本に根付かせたことである。
「受験勉強でさえ赤系統の模範解答ばかりで、受験勉強の勝者で東大に入った人が、国家公務員試験に合格する。国家公務員試験も左に傾いた問題と模範解答の内容になっている。司法試験もそうなっていて。法解釈にそうなっている」(これも青山氏の言葉)

戦後の体制そのものが左翼に都合のよいように作りあげられたので、新聞社が左傾した記事を書くと、よく売れるのである。テレビ局の赤に染まったインテリが発言すると無知な人々は踊らされるのである。
ぼつぼつ選挙の結果がでてくると思う。現在の段階(日本時間の10月22日午後7時)での木庵の予想では、自民党と公明党による過半数以上の票はとれるのは確実であるが、野党第一党は「希望の党」でも「維新の党」でもなく、「立憲民主党」になるだろう。

一応ここで、筆を置いて、明日は選挙結果を踏まえての結論を書くことにする。
つづく


写真:1951年の小林秀雄 
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