ウソ(誇学令和7年度第11回日本人が最も誤解している英雄・東條英機)#80
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誇学令和7年度第11回日本人が最も誤解している英雄・東條英機
ところで、10年も以前であろう。木庵はブログで以下の記事を書いている。
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山本五十六の大罪(真珠湾攻撃の愚行、西進論、漸減邀撃作戦、末次信正少将の「漸減撃退作戦」)#3
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山本五十六のハワイ攻撃が政治的に大失敗であったことは#2で書いた。今回は軍事戦略的において愚行であったことを分析する。
真珠湾攻撃の愚行
中川八洋は述べている。「ハワイ攻撃をせずに、東南アジアやマリアナ諸島の島嶼(とうしょ)の要塞化に重点を置けば、5年以上は米国海軍力を撥ねつけるし、西太平洋の海上覇権を米国は5年以上は手にすることができないはずであった」と。
山本は短期決戦を実践した。このあたりが日本の運命を狂わせた。戦争前には山本だけでなく一般の日本人までも日本海海戦が頭にあっただろう。しかも、戦術などわからない、ただの夢想としての日本海海戦であった。日本海海戦は日本が断然有利な条件での戦いであった。その主な理由は日本近海で戦ったことである。バルチック艦隊は北大西洋からアフリカの希望岬沖を通り、遠路やってきた。海軍の戦いの公式がある。確か数式されたものがあるのだが、忘れた。要するに戦場が遠いほど不利であるという公式である。
考えてみれば、これは常識である。その常識を無視し、山本は遠路真珠湾を攻撃したのである。これはセオリーからすると全くの冒険であった。その冒険が一見成功したように見えたので、二度目の冒険をおこなった。それがミッドウエー作戦である。冒険は二度連続して成功することなどない。「暗号が見破られた」、「真珠湾の勝利に酔った奢りが敗戦」などとよく言われるが、それ以前に戦争理論からまったく外れた作戦を行ったのが真珠湾攻撃と、ミッドウエー海戦であった。
武田信玄の風林火山ではないが、「動かざること山の如く」のように防備を優先する作戦に出るべきであった。石油が必要であったので、インドネシアやマレー半島での戦いは必須であったが。このあたりはオランダ、イギリスとの戦いであり、現に簡単に敵を倒している。ところが、山本は短期決戦という暴挙にでた。攻撃は最大の防御なりという妄想にとりつかれたためである。
日本列島の近くから連続して島々が連なっている。列島を中心にして順次要塞化を行えば、島自身が不沈空母になり、完全なる防御網ができることになる。この発想がなかったのであろうか。遅すぎたが、戦争の最終盤での、硫黄島での要塞化作戦が実行された。島全体に地下トンネルを堀り、防御に徹したのである。その結果太平洋戦争で唯一のアメリカ兵の死傷者が日本兵を上回る戦果をえた。
ベトナム戦争でも武器の完全に劣るベトコンが、近代兵器で武装したアメリカ軍に勝った。いくら絨毯爆撃をしても地下トンネルまで爆弾が突き抜けることはなかった。
中川氏はなおも言う。「帝国海軍は、現代海軍の主任務が"地上戦闘支援"であるのを知らなかった。"艦隊間の海上決戦"は、この"地上戦闘支援"に至るための、時に不可避の”中間過程の海戦"に過ぎないことがわからなかった。スペイン無敵艦隊の対英侵攻のためのアルマダ海戦(1588年)や、ナポレオンに対峙する「隻腕の大提督」ネルソンのトラファルガル海戦(1805年)などに代表される、"艦隊間の海上海戦"が戦争の帰趨を決定する時代は、日露戦争の日本海海戦(1905年)をもって、人類史からすっかり消えていた。第一次世界大戦における、英独艦隊の大海戦であったジュトランド沖海戦(1916年5月31日、6月1日)が、戦争の帰趨を左右しなかったように、海戦は戦争全体の一駒に過ぎなくなっていた。第一次世界大戦は、欧州における地上戦闘で、その帰趨が定まった。戦争は「陸軍が主、海軍が従(その補完)」が、不動の原理となっていた」。
にかかわらず、山本は陸軍を差し置いて、海軍が戦争の主役を演じようとした。アメリカとの戦争はアメリカとの間に太平洋があり、陸軍関係者でも太平洋戦争の主役は海軍であると勘違いした人物が多くいたに違いない。陸軍は中国での戦いを主にしていた。戦争後半、南太平洋の戦場に移動したが、陸軍の兵士を運ぶのは海軍であるので、海軍が日米戦争の主役を演じるようになった。これが敗北の原因である。しかも山本という愚将が指揮をとったとなれば絶望的であった。
中川は戦後の人であり、中川の発想は後知恵と考えられる。「当時の緊迫した時代に、山本のとった短期決戦、真珠湾攻撃、ミッドウエー作戦は致し方のなかった作戦であった、ただ、予想もしなかった日本海軍の暗号が解読され、日本の動きを逐次見通していたアメリカ情報戦の勝利であり、それを山本一人に責任をなすりつけるのは妥当性に欠ける」という声が聞こえてくる。
戦争は確率論である。完全な勝利、完全な敗北というものはない。種々の情勢や偶然が重なりあって、賽の目のように勝利、敗北が決定する。しかし、確率論である以上高い確率をだす戦術があるはずである。これは知識と知識の処理能力の問題である。
そのようなことを考えると、山本五十六が多くの知識、知識の分析力があったかどうかは疑問である。
もう一度、#2で取り扱ったerasusさんのコメントを振り返る。
erasusさんのコメント
海大優等組の卒業祝い海外に憧れの遠きヨーロッパのイギリスではなくて、9位ぎりぎり卒で滑り込んだ新興国の米国への短期間遊学(遊び同然で米語が話せたかも疑問)だったが、少しでも米国に触れた人間として、[1]豊か(中産階級)で自由な国民と、[2]新聞誘導だが「世論の国」…という程度のことは、読めない新聞紙面を眺めていても分かったはず。そういう人間が、いかにして「豊かなアメリカ人たちを戦争に駆り出せたか?」という程度の愚行「パールハーバー・アタック」がやれたのかを掘り下げて貰いたい。ロス在住者なら、いかに途方もない愚行だったかに一致するはず。五十六は、マンハッタンの摩天楼群は見ていないかも知れないが、太平洋の離れ小島ハワイを全滅させた程度では、米国はびくともしないということも当然、読めたはず。社会見学とは、そういうものだが、アホの五十六は米国を知らない連中を説得しようとした気配が一切ない。不思議な「知恵遅れ」の五十六であった。 2015/4/22(水) 午後 8:17 erasus
erasusさんは人物を見極める卓越した能力をもっておられる。彼の説では近代日本陸軍では、最高峰に永田鉄山、次に石原莞爾がいた。承知のように永田は相沢三郎陸軍中佐に殺害され、石原莞爾は東條英機により予備役にされた。 優秀な人間がトップの座に行き着くとは限らない。
読者の方はどう思われようが、木庵はerasusさんを天才だと思っている。天才は天才の才能を見抜くことができる。erasusさんにすれば東條英機は言うに及ばず、山本五十六は「アホ」「知恵遅れ」に映るのであろう。日本人の変な美徳として、人をバカ呼ばわりしない。また呼ばわりすること自身に嫌悪感を抱くとろがある。しかし、人間の才能、知能には間違いなく格差がある。それをみな均等に見ることは間違いである。特に、戦後の人間には悪平等主義に陥った人が多い。それでいて、己は神でもないのに、神の目などというものを想定し、実際は知性や能力に差があるにかかわらず、誰も平等に見る。永田も山本も同じと見る。まただれがトップになろうと結果は同じだという見方をする。これは明らかに間違いである。組織論からしても間違いなくトップに誰がいるかによって組織はまったく違うものになる。
非常に難しい数学の問題があるとしよう。それを楽々と解ける人間と、問題の意味さえ分からない人間がいるのは事実である。
戦争とはある意味の学問である。数学のように間違いのない正解はないのだが、前述したように確率論として高い確率をえる答えをだすことができるのである。
その意味においても、高度に発達した軍事学が必要である。戦前において、軍事学は軍人に独占され、唯一石原莞爾が予備役になり教授になった立命館大学で、国防学講座があったぐらいである。
戦前において、軍人のなかではなく一般人のなかで独学により、軍事学体系のようなものをつくりあげていた人物がいた。その名は仲小路彰である。彼が著した膨大な本の全てが戦後GHQの手によって焚書されたため、戦後の人間は彼の存在さえ、彼の書いた本の内容も勿論知ることがなかった。しかし、西尾幹二氏の尽力により、仲小路氏の本の復古版がいくらかだされ、現在の我々でも仲小路の卓越した識見を垣間見ることができる。仲小路は当時の世界情勢を適確にとらえ、彼の指示どおりに軍隊が動いたとするなら、敗戦という惨めな目に日本民族が陥らなかったことは間違いない。
天才石原莞爾は天才仲小路に近づき、資金を渡している。その資金により、仲小路は雑誌社の設立や、『世界荒廃大戦史』の発刊を決意した。「平和を得るには戦争を知らなければならない」という発想で、世界の戦争の歴史を書くことを仲小路は決意したのである。
石原は仲小路のことを、「軍人でも思いつかないような軍事作戦を考えることのできる人」と絶賛している。その最たるものが、西進論と漸減邀撃作戦(ざんげんようげきさくせん)である。漸減邀撃作戦は仲小路の独創ではなく、 末次信正の考えに基づいているが。
つづく
写真:仲小路彰
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