私の家は、特定の宗教を信仰している。



父も母も、同じ宗教団体の信者であり、
そこでお見合いして、結婚をした。




だから、私にとっては、
生まれる前からずっとそばにあり、
切っても切り離すことはできないものだった。




全ての行動・選択が、
宗教の教えや教義に則ったもの
になっていることにも、
氣付くこともなく、
生きてきた。







自分より他人。

人の役に立たないと。

良くない思い
(怒りや恨みといったネガティブなもの)は、
持ってはダメ❌!
そんなことを考えても、いけない。










たしかに、正論には違いないのだと思う。


けれど、私にとっては、
私をがんじがらめに縛り付ける鎖で、
呪いでしかなかった。



できない私を、
持ってはいけない思いを持ってしまう私を、
責める道具でしかなかったのだから。












宗教を信仰するものは、こうあるべき。
それだけ私は、純粋無垢だった。



・人に頼まれたら、喜んでやるべき
・できるお布施はするべき
・人の悪口や愚痴なんてもってのほか



でも、目の前の親は、違う。


できてない。




なんで?!





「私は宗教に出会って幸せになった。
宗教がなかったら、今の私はない。
だから、あなたもしっかり信仰しなさい。
しっかり信仰しないと、幸せになれないわよ!」




親の矛盾に対する怒り。
私を認めてくれないことの悲しみ。




私は、そんないろんなものが混じって
どろどろとした、得体の知れないものを、
ぎゅっと握りしめて、生きてきた。







そんなことに氣付いたから、
そんな自分を見つけてあげられたから、

忘れないように、
自分への備忘録。