"居場所づくりがしたい"そんな感じのことを、

漠然とふわふわと思ってきた。



それは、自分が『居場所が欲しかった』からで、

必ずしも"自分の手で作らなきゃ!"というものではなかったのだけれど、、、。


どういう訳か、

自分の望む居場所が欲しい=自分が望む居場所を作る

になってた。




名前にしてもそう。


そんなに深く考えたわけでもない。

ただ、

"心を休める第3の場所"になれば、、、。

"あわ"の様に、毎瞬毎瞬ぷくぷく浮いてくる想いを丁寧に掬っていける場であれば、、、。




安心の『安』に、和む・自分と調和するの『和』で『安和』でも良かったんだけど、

なぜか最初に浮かんだのが『庵(いおり)』と『和』で、『庵和(あわ)』だった。





毎瞬毎瞬ぷくぷくぷくぷく浮いては、

氣付かずにいたら消えて形を変えていく想いたち。



私はずっと、言葉にすることにも制限をしてきた。


・言霊だから、、、

・人を傷つけるから、、、

・言ってもどうにもならないから、、、

・言った言葉は戻らないから、、、


言う前に、言葉にする前に、

思考して、ジャッジして、

そのうち、思うことさえもダメなことがどんどんどんどん増えていって。


自分で自分をジャッジするほど、

自分で自分を否定するほど、

どんどんどんどん苦しくなっていって。

氣付かず(無意識の中で)自分を傷つけてるから感じることさえも、自分の湧いてきた想いさえも、

感じない様に、何にもなかった様に、

何重にも何重にも蓋をして。




そんな何十年の積み重ねが、すぐに無くなるわけもなくて。

ずーっとそれで自動運転してたから、

氣を抜くと自動運転に戻ることもまだまだあって。



それでも、ひとつずつひとつずつ、

いっぺんにできなくていい。


また戻ってたのに氣付いたら、

"あ、またやっちゃってたな🤣"でいい。


今まで蔑ろにしてた分、

今まで傷つけてきた分、

今まで後回しにしてた分、

自分に集中して、

自分に目一杯手をかけてあげたい。



無理はしなくていい。

すぐにできなくても、当たり前。

自分のペースで、一歩ずつ、一歩ずつ。

花を愛でる様に自分を愛でる。


どんな私でも、大丈夫。

どんなあなたでも、大丈夫。




私は、ただただ、それを伝えていきたい。

私の姿で。

私の言葉で。

私の行動で。