或る日、お釈迦様の事を妬ましく思う男が、お釈迦様に恥をかかせようと、人々が見ている前で罵詈雑言を浴びせかけました。
「罵詈雑言を浴びせれば、腹を立てて罵詈雑言を返してくるに違いない。」と思ったのです。
ところが、お釈迦様は、腹を立てるどころか、ただ心静かに聞いておられるだけでした。
「これだけ言っても、何故腹を立てないのだ」
と言う男にお釈迦様はこうおっしゃいました。
「もし他人に贈り物をしようとして、その相手が受け取らなかった時、その贈り物は一体誰のものであろうか」
その男は、 「言うまでもないだろう。相手が受け取らなかったら、贈ろうとした者のものだ。分り切った事を聞くな!」 と答えましたが、そう言った瞬間、ハッと気が付いたのです。
「その通りだよ。今、あなたは私のことをひどく罵った。でも、私はその罵りを少しも受け取らなかった。だから、あなたが言った言葉はすべて、あなた自身が受け取ることになるのだよ」
男から浴びせられた罵詈雑言に、
もしお釈迦様が
「目には目、歯には歯」とばかりに、
同じように罵詈雑言を返したら、
出来上がるのは因縁のループです。
しかし、お釈迦様は、その罵詈雑言をそのまま腹に収め、悟りに変えて、浄化されたのです。
お釈迦様が受け取らなかったその罵詈雑言は誰のものになるのでしょうか?
言うまでもありません。そのまま、その男に返っていくのです。
これが「第二の矢を受けず」という仏教の教えを象徴しているお話だそうです。
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「第一の矢」と言うのは、
自分では避けられないものを言います。
例えば、
ある日、相手が自分に凄く冷たい態度を
取ってきた。これが、第一の矢です。
不安や怒りは、言ってみれば
自分の主観。
あの人、今日なんか冷たい?
なんでかな?
もしかして、あの子に何か言われたとか?
私、陥れられた?
あの人、挨拶したのに無視した。
なんでかな?
私が表彰されたのが、気に入らないとか?
主観が一人歩きすると、
有る事無い事、証拠もないのに、思い込み
想像だけで、たちまちネガティブになり
どんどん落ち込む。
これが、「第二の矢」です。
第二の矢は避けられる。
この気持ちは主観だな。
思い込みはやめよう。
第一の矢を受けて、傷付いたんだから
第二の矢まで受けて、傷付くのはやめよう
例えば、
深い悲しみの、第一の矢を受けたならば、
それを避けることはできない。
それが、世の不条理だからだ。
でも、第二の矢を受けない事は、出来る。
時間は掛かるけれど、出来る。
ここで言う第二の矢とは、
自分で自分を傷つける、
自責の念、他責の念
私がこうしていたら、
あの人がこう言ってくれていたら、
そんな、思い込み精神の主観が、
第二の矢となって、
必ず自分を射抜いてくる。
第二の矢を受けない事が重要で、
やり方は、凄く地味だけど、確実。
受容
まずは受け止める。理解はしなくて良い。
そうなんだと、ただ事実を受け止める。
観察
そんな自分を、客観的に見る。
私、悲しいんだな。苦しいんだな。
つらいんだな。と、ただただ、見る。
行動
受容、観察したら、それを
どうにかしようとせず
それはそれで置いておいて、
日常を始める。
繰り返す
こんな事があったな
自分は悲しいな
しかし、それはそれとして
日常を繰り返す
この、受容の精神を培う事で
絶対に射抜かれてはいけない
第二の矢を避ける事ができる。
お坊さんって、いい事言うよね〜![]()
でもね、地味な作業なだけに、
私の入手した、必殺技を教えます✨
【デスライティング】
もしも、1ヶ月後に私が死んでしまうとしたら
明日から、なにをする?
これを、ノートに書き出していく。
例えば。。。
あの人に電話する。
あの子に手紙を書く。
中華街でフカヒレ食べる。
あの映画を見る。
しばらく会えてない家族に会う。
ドラゴンボール全巻大人買いする。
照れを隠してももクロのライブに行く。
けんか別れしたままの親友に謝りにいく。
思いつくまま、書き殴ります。
これ、凄くネガティブに見えるけど、
実は、自己肯定感が湧くんだって✨
何故なら、貴女は恐らく、
1ヶ月後にちゃんと
生きているはずだから。
電話できるやん!
手紙かけるやん!
フカヒレ食べれるやん!
映画もみれるし、家族にも逢える!
貴女も私も、きっと
明日がやってくる。
貴女も私も、じゅうぶん幸せ。
世界は素晴らしく、世界は美しい
黄昏時、散歩しながら、
空を見上げて、
あぁ、お空は繋がってるな
生まれてきただけで最高なんだって。
忘れているだけ。
悲しみも、苦しみも、
片手にしっかり持ちながら
もう片方の手を、空に伸ばして、
アラキ玉作れるよ。
貴女も私も、結構器用にやれるはず。