「37周年かんしゃんKAN謝の会」

2024年6月20日に行ってきました。
 
このBLOGはこの前書いたこれ下矢印からの続きです。

 

 

今日はその「聖堂編」です。

(この後、後日、感想編を書きます)

 

今日は「見たこと聞いたこと」だけ書きたいと思います。

「感じたこと」は書かないです。

 

 

私は2024年6月20日 12:00 に参加

会場であるカトリック聖ドミニコ渋谷教会前の入り口には

このような看板(というか紙が貼ってある)

 

 

そして、この入り口から5メートルくらい後方に

教会の玄関(?)があるんだけど

そこには、等身大のKANちゃんがいました。

(けじめの振り袖 立位バージョン)

 

画像は挙げてる人もいるので、

挙げてもいいのかな?とは思うけどやめときます。

 

これは通りからも、なんとなく見れる感じだったので

KANさんを全く知らない通行人は

「このおっさんの振り袖姿は一体…」という感じだったと思う。

 

開始時刻の15分前から受付開始。

参加者リストを見ながら

スタッフの方が、受付していきます。

 

私の参加する回は、だいたい30人ぐらいだったのかな?

スタッフの方が、会員番号と名前を聞いて

蛍光ペンでラインを弾いて、到着を確認します。

(なんかアットホームでこじんまりしてていいよね)

 

受付と同時に、ピンクカードが配られました。

ピンクカードには

「きてくれてありがとう デビューから37年

皆様と過ごす37周年のコンサートツアーを

どんなに楽しみにしていただろうと思いながら

今回の会を設けました

はじめてのことで至らないこともあると思うけど許してね

これからもKANとKANの音楽をよろしく」

というような内容。

 

ピンクカードの最後は

「では、股。KAN 木村桜子」

って締められてた。

 

「では、股。」っていう言葉に

うるうると涙がでてきました。

 

ピンクカードのアンケート欄には

「ご感想・ご意見・アイデア等なんでも」って書いてあって

今後もなんかしらのイベント企画してくれるってことなのかな?

と漠然と感じました。

 

 

教会の聖堂へ移動します。

ほんとに素敵な教会でした。

HP見てもらうとわかると思うんだけど

ステンドグラスがとても静かにそして暖かく光を注いでくれてます。

 

 

 

その祭壇の中心に、これまた2メートル四方ぐらいの

大きなKANさんのパネルが飾られてます。

周りには、緑の木々が飾られてて

すんごい穏やかで美しかった。

その画像は「座位 振り袖かんしゃん」だけど。

 

このフラワーアレンジメントした人

ほんと天才って思った。

 

KANさんのパネル越しに

キリスト様の十字架があって

なんか、けじめの振り袖かんしゃんなんだけど

すんごい荘厳な雰囲気になってました。

 

なんか、教会の少し落ち着いた印象の景色の中に

赤い振り袖を着たKANちゃんが

なんかすんごい神々しい感じです。


わだしょのXにポストされてましたね。


 

12:00定刻になると

KANさんの奥さん 木村桜子さんが

マイクを持って、祭壇に歩いて来られました。

 

その足取りはしっかりと一歩一歩踏み込むように。

口はしっかりとつぐんで、とても厳しい表情。

怒ってるんだろうか?と一瞬見まがうような

強い意志をもった女性の顔。

教会の雰囲気が一瞬にして、凛とします。

 

KANさんのパネル前で私達に一礼して、

うんとうなずいてから

ここからはとても穏やかな表情でお話になられます。

 

すごく無邪気な笑顔で

今回の経緯などをお話になられました。

 

(覚えてることを羅列するので、話した順番前後します)

 

 

今回、このようなファンに向けての会を開くのが

遅くなってしまってすみません。

KANが旅立ってから、体調を崩したりで

どうしても動くことができなかった。

 

KANちゃんの病気がわかった時に

ふたりで一緒にがんばろうね!絶対なおそうね!って話していた。

けど、ある日、KANちゃんの主治医の先生に自分だけ呼ばれて

「もうそろそろしなくちゃいけないことがあるなら

最後の仕事をして下さい」と言われた。

 

これをKANに告げるかどうか悩んだけど

もし、自分だったら、教えて欲しいな、と思ったから

KANにも伝えた。

 

KANはお葬式は3回して欲しい、と言った。

3回 何言ってんだろう?

3回ってどういう意味なんだろう?と思ったけど

KANには聞けなかった、と。

 

 

ゴールデンウィークにKANの友人たちが

追悼ライブを企画してくれた。

それを聞いて、このままじゃダメだ

私も何かをしないと!と思って、慌てて企画した。

 

どこで何をするかということを考えた時に

この教会しか思い浮かばなかった。

 

この教会は以前桜子さんが音楽イベントか何かで

訪れたことがある教会で

KANもここに来たことがあって

「素敵な教会だね」と話していたとの事。

 

神父様にお願いしたら、いいですよ、と。

いつにしますか?という話になった時に

遠方から来る方もいると思うので

1週間貸してほしい、とお願いした。

 

本来、教会というのは、誰でも好きな時に

いつでも訪れることができる場所である必要があるべきで

神父様もびっくりしていたが、快く了承頂けた。

 

自分(桜子さん)は、本来、何かを企画するということが苦手だった。

なにかの企画に自分が参加する、ということはあっても

自分が企画して何かするということはこれまでなかった。

なんでこんなことできたんだろう、力が湧いたんだろうと考えると

きっと、KANが自分の背中を押してくれたのだと思う、と。

 

アップフロントには

この期間に教会を借りることが決まってから

事後報告になったがみんなが協力してくれました、みたいな。

 

今回は「お葬式」ではなくて

感謝を告げる会にしたい、と。

 

KANちゃんは無宗教だった。

洗礼受ける?って聞いたけど

受けなくてもいいなら、洗礼は受けない、と言っていた。

だから、今日は宗教関係なく好きなスタイルで

みんなKANちゃんとお別れして下さい、と。

 

お手紙を置いていってくれてもいいし、

語りかけてもいいし、泣いてもいいし

怒ってもいいし、と。

 

そして、十分にKANちゃんとお別れしたら

展示場を用意してるので、そちらも見て下さいね、と。

 

そして、桜子さんはマイクを置いて、去っていかれました。

 

 

 

そこからは、各自が2メートル四方のKANちゃんのパネル前に並び

パネル前に置かれたテーブルに各自お手紙を置いて

ほんのちょっとの時間、KANちゃんに語りかけ、祭壇を後にしました。

 

 

桜子さんは終始KANちゃんのことを

「彼(かれ)」って呼んでました。

 

彼はこういった 彼はこうした 彼はこうだった

 

なんか、それがすごく素敵だな、って思ったし

もし、桜子さんが「主人が」とか「旦那が」とか言ってたら

なんとなく、モヤっとしたのかもしれない、って思った。

 

桜子さんが話す「彼が…」っていう言葉に

私達の知らなかったKANさんを感じることができたような気がしました。

 

ひょっとしたら、普段は「彼」なんて呼んでないのに

今回だけ「彼」って呼んだのだとしたら

私達とKANちゃんの距離感に気を使って、

「彼」と呼んだのだとしたら

それはそれで、すんごい、頭のいい聡明な人だな

周りに気を使える、すごい人だなって思った。

 

 

ちなみにこのあとの展示室では

「このときKANはこうだったのよ」

とかって言ってたから

普段は「和(かん)」って呼んでたのかもな。

 

KAN(かん)呼びもなんかいいねぇ、って思った。

 

 

 

ということで「37周年かんしゃんKAN謝の会」【聖堂編】でした。

この後、【展示場&感想編】になりますが

また、途中、KANさんとは関係ないブログ挟みます。


明日は、春ドラマ総括と夏ドラマ 何見る?って話です。(またかよっ)