シャローム

 

こんにちは!

 

ネイルサロン マハナイムの

富永 ユキエです。

 

 

さて

 

聖書には、盲人、目の見えない人、盲目の人が

登場します。

 

 

何か病を背負っている人や、不運な人生を送っている人を

よく、前世のカルマだとか、前世の罪とか

”前世”で片づけられてしまうようなところがありますが

聖書ではこういう人たちを、「神の業を見せるため」に

主が作ったのだと言っています。

 

神の業の一つは「癒し」

病からの癒し、心の傷の癒し、精神的な苦痛の癒し

あらゆる癒しを行ってくださいます。

 

これは求める人の心の状態にもよりますが

祈った後は完全に神様に思いを委ねて

祈ったことさえ忘れてしまう程に

なることが重要かもしれません。

 

 

ただ

この世の思い(悪魔に支配されている思い込み)の中では

理解しがたいことの方が多いです。

 

神様は様々な傷や病を癒してくださいますが

その病の人を周囲の誰かが「神の国」を考える

きっかけを与えるために用いたりします。

 

その病の人が癒されなかったとしても、周りの誰かが

「神の国」について考え、信仰に心を傾ける機会を与える種を

植えることが出来たなら

それは神様の業であり、計画です。

 

 

信仰にあつい、多くのクリスチャン指導者は

肉親を早く亡くしたり、自分自身も大きな心の傷を持っていたりします。

そこから立ち直るため、忍耐や苦難をこれでもか!という程味わわされます。

クリスチャン用語で「証」(あかし)という、体験談で

涙ながらに語る方がいらっしゃいます。

どのように忍耐して、どのように神様に救われたのか、

その話を聞くと「神様って本当にいらっしゃるのだな」と

思わざるを得なくなります。

 

 

話はズレましたが汗うさぎ

 

聖書に出てくる「盲目」というのは

霊的に目が開かれていない状態のことを

現わしています。

 

「霊的」てって、なあに?

と思うかもしれませんが

人は「霊」「魂」「肉体」の3つから成り立っています。

(と聖書に書いてある)

 

大切なのは「霊」の部分であり

肉体はこの世で暮らすための器だと聞かされたことがあります。

これも、聖書に書かれている事から想像できるのですが

 

イザヤ書 64:8

しかし主よ、それでもなお、神はわたしたちの父です。

私たちは粘土で、神は陶器師です。

私たちはみな御手によって造られました。

 

と書かれています。

 

「霊」は神様の「息」です。

これがないと私たちの身体は

この世での生活が出来なくなります。

 

「霊」が活性化されて

エネルギーが高い状態にあると

その「霊」が入っている器=体も元気で居られます。

 

「霊」の目を開かせることが出来るのは

私たちを造られた神以外にはないのです。

 

盲目の人が見えるようになったというのは

目からうろこが落ちたような状態の事をさします。

 

 

新しい発見があり

見えなかったものが見えるようになると

新鮮な気持ちになりますね。

 

今日も、そのような体験がどこかでありますように。

 

 

 

 

 

 

 

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