転移 がわかって、今のところ考えているのは、

残りの人生を闘病に費やさずに、ゆるゆる穏やかに過ごしたい、


諦めても逃げてもいないつもり、


なんだけど、



もしかしたら

一年前に乳がんが見つかった時点で

ある意味で諦めていたのかもしれない。




これまでの人生が成功だったと無理やり思い込むのを諦めた、もしくは、


これまでの人生が失敗だったことを認めた、か。





乳がんが分かったときに、私が思ったのは、


ですよねー 」と「めんどくせー 」だったのは自覚していたけど、


「ですよねー」というのは、強がりの納得だったかもしれない。




乳がんの告知と、

「ですよねー」という納得の間の一瞬、



「あ、私、人生失敗したんだ」



と、挫折感のような悟りが走ったはず。




からの、

ハイハイ私ワカッテマスヨ、という聞き分けの良い優等生妙子が出てきて、


「ですよねー」になったんだ。





まあその時は、まだナメてたかもね。



ハイハイ、軌道修正すれば良いんでしょ?


ガンで気づきを得られる私、エライでしょ?


ガンを人生の気づきと捉えてるよ?

だから、治るんでしょ?



ってね。


まー、なんというか、

本質からズレてる小賢しい優等生だよね。






「めんどくせー」と思ったのも、



『頑張って生きてきたのに、人生失敗した』

『また頑張って、また失敗するのはもう嫌だ』

『それならもう頑張るのやめる』

『生きるようとするのやめる』

『生きるのめんどくさいよ』



という「めんどくせー」だよな。





 

そこまで自己分析してきて、さて、本当の意味で軌道修正できるのか、

甚だあやしいところでね。




過去を肯定すること と


過去を正当化すること は、


似て非なるもの。




私は過去を「失敗した」と思って、正当化することに時間を費やしてきた。


肯定できるようになるだろうか。


そこが今後の人生のカギのような気がしている。



でもな。

疲れちゃった。今は考えたくないわ。