治療方針の変遷⑩終・決め手はトモセラピーとエドガー・ケイシー の補足

 

 

私は、がんの進行を止める必要があったから、
放射線治療をしたのだけど、
 
なぜ手術ではなく放射線にしたのか、
医師からのアドバイス以外に、
自分ではどう考えていたのか、というあたりを
もう少し詳しく書いてみます。
 
 
 
私は自然療法で治したかったから、
標準治療は、できる限りやりたくない、という大前提だったけど、
緊急措置として、いずれかの標準治療をやらざるを得なくなった。
 
 
でも、できることなら、やりたくない。
 
やりたくないのだ。
 
 
やる、と決めても、やりたくはないのだ。
 
 
それで、後悔が少ない方法はどっちだろう、と考えた。
(抗がん剤は選択肢にも出てこないよ)
 
 
私の得意の「天秤」にかける。
 
 
 
手術した後を想像してみた。
 
 
手術するとしたら全摘で、左の乳房が無くなる。
「おっぱい」が無くなるのは、そんなに気にしてない。
再建術を受ければよいのだから。
 
でも、私に生来あった組織は、取ってしまったら戻ってこない。
それはすごく取り返しのつかないことに思えた。
 
手術痕は小さくできるらしい。
でも、毎日見るたびに、「私は手術を受けた」と思い出す。
 
つまり「やりたくないことをやった」という記録を毎日たしかめることになる。
 
取り返しがつかないこと、
手術跡を毎日見ること、
ここが私には精神的に無理だろうと思った。
 
 
 
 
放射線もヤバいもんだとは思っていた。
 
手術痕のように、影響が目に見えないからいい、なんて
軽く考えられるものではないことは、分かっていたつもり。
 
ただ、私としては、
切り取ったら戻せない、という手術より、
いちおう私の元の組織が残る、放射線のほうがよいと思った。
 
体への影響も不安だったけど、体外からの照射なので、
抗がん剤のように「注射で体内直入れ」よりはマシ、と思った。
 
 
 
こうやって比べてみて、
私はやっぱり、自分の体の一部を切り取ることに強い抵抗感があることが分かったので、
治療後に後悔が少ないのは、放射線治療だと思った。
 
 
だから、私の標準治療の優先順位は
 
放射線>手術>>(永遠)>>抗がん剤
 
となった。
 
 
 
 
 
ところで、
「高濃度ビタミンC点滴も『注射で体内直入れ』なのでは?」
というご指摘、ごもっともです。
 
なのに、なぜやろうとしていたのかって?
 
 
実は私、放射線治療中には、白血球の減少を抑えるために
「アンサー20」という注射を週に2回していました。
 
これに関しては、放射線治療をすると決めたときに、
担当医のK医師の指示には従うと決めたから、打ちました。
「毒食らわば皿まで」理論。
 
 
 
つまり、ぜんぶ恣意的なの。
もっともらしく選んだ理屈を並べてるけど、
結局は自分の「好み」と「納得感」で決めてるの。
 
 
治療は、他人を納得させるために選ぶもんじゃないからな。
理屈は自分が分かってればいいじゃないの。
 
 
いろいろ書いてきてアレだけど、
 
「なんで放射線治療をしたかって?
 なんか、良さそうだったから」
 
これだけよね、ほんとは。
 

 ついでに

「なんで抗がん剤をしないかって?
 なんか、イヤだから」
 
なんですわ。