地震、台風、洪水、戦争。

どこで何があってもおかしくない。

だけど、何が正しくて、何が間違ってるかなんて、誰にも決められない。

すべては繋がっていて、そのひとつひとつがあるから、すべてがあるから。



わたしは、もうどうあるべきかという議論をしないと決めた。

正義の名の下に戦うことは、必ずしも平和へと続く道ではないのだ。

平和は、平和でいることでしか生まれない。

何があっても、間違っているように見えても、それを評価判断してレッテルを貼ることはしない。



わたしは、すべてを信じる、だから、ひとつひとつを信じる。

これでいい。

それでいい。

これでよかった。

そのままで完璧だった。

いつもそこをベースに、戦わずに、進む。



嫌いなものがあって悪いって、誰が決めたの?

仲が悪いと良くないって、誰が決めたの?

そのままでよければ、嫌いなものがあっても、仲が悪くても、何の問題もない。

考え方が違っても、優しさが足りないと感じても、それを問題にする必要はない。

自分の正しさを振りかざして戦うことではじめて問題になり、平和は閉ざされる。



いつも、笑顔。


まず、深呼吸。

そして、もう一度、深呼吸。



考えにのめり込んでる時間を止めよう。

今見ているものは、結果だ。

自分を困らせ、傷つけ、悩ませるものたちが見えても、

それらは、継続して繁栄するのを約束された存在ではなく、単なる結果だ。



キャンバスに絵を描いて、見て、眺め、吟味し、そうしながら絵筆を足していく、

その作業と同じように、自らが目の前の今に色を塗っている。



真っさらなキャンバス、そこでは何を描くことも可能で、まさに自由で、

一筆一筆が描き出し形づくる素晴らしさを思いながら、わくわくと喜びの連続だった。

色を重ね線を加えるごとに、絵は複雑で入り組んだものとなっていく。

豊かな色彩、たくさんの人々が描かれ、いくつもの背景がかさなっていく。

描いては修正され、付け足されながら、いつまでも終わりがなく、絵筆を走らせる。

終わりはないんだ、終わりは、自分だけが知っている。

自分が満足したとき、ここで終わりと決めたとき。



誰も、自分だけのキャンバスを持っている。

他人の絵に絵筆を加えることはできない。

自分の絵は、自分が描きたくて、描いてきた結果だ。

それくらい単純明快に、目の前にある今は、自分自身が築いてきた結果だ。



それさえ理解できたら、もう安心。

あとは、深呼吸。

深刻になる必要はないんだ、だって、自分にすべての権限と、自由とがあるから。



新しい色で、新しい絵を描いていこう。



なんか、嫌だなって気持ちを感じたとき、真っ先に自分を責めてるような気がする。
嫌な気持ちになる方が悪いんだとか、器が小さいんだとかとか。
わたしって、まじめだし。

根本的に、気にしない気にならない境地にいたいと思ってるのが裏目に出てると思う。
だから、そうじゃない自分が出たとき、ナチュラルにダメダメ!ヤダな!って反応してる。
そんな風に感じるのはなんでかなとか冷静を装いつつ、そんな風に感じた自分にダメ!って言ってる。
相手や物事をジャッジしないつもりが、肝心要の自分をジャッジしてる。

ああ、そうだったんだね!
自分の嫌な気持ちを悪者扱いして、排除しようとしている!
そんな必要なかったね!

嫌な気持ち、いい気持ち、両方同じように歓迎してあげたいと思う。
嫌な気持ちも愛してあげたいと思う、好きなものに出会ったときと同じように。

良い感情、悪い感情。
決めてるのは自分なわけで、良い感情だけ歓迎し、悪い感情を排除するクセ、もうやめよ。
どちらもあって当たり前。
どちらもがあって、はじめてお互いを知る、ひとつのもの。
分かってたつもりが、分かってなかったことに気づく。
そうだ、いいんだ、そのままで。

おお♪
嫌な気持ち感じたね~♪
この気持ち♪
わたしホントは何を望んでるんかな♪
何を自分に禁止してるんかな♪
これが嫌だったのか~♪
まあいっか♪

みたいな!
好きなものに出会ったときと同じように、きゃっきゃ楽しみたい。
その気持ちを感じることを、素直に許したい。

嫌な気持ちは宝物。
本当の自分の道を示す灯り。
今まで隠したり、逃げたり、抵抗したりして、ごめんね。
嫌な気持ちに、感謝。


あなたは現実にどういう評価を持っているだろうか。

気に入らない、納得いかない、好きじゃない、許せないことがあるだろうか。

だとしたら、それはあなたがあなた自身に対してそういう評価をしているということだ。



あなたは自分というものを、現実の世界に照らし合わせて判断している。

男女、細い太い、美しい醜い、裕福貧乏、これらはどれも対象を通して判断されている。

判断する対象がなければ、自分がどこにいるのかということを知ることはできない。

あなたが確固たる存在として信じて疑わないあなたは、あなたの現実から判断されたものにすぎない。

判断する対象が変われば、あなた自身の位置付けも変わる。

あなたが見る世界、それはあなたそのものだ。

あなたの現実は、あなた自身を表している。



あなたは自分で現実を創造している。

「わたしはこうです」と宣言している。

あなたは今の現実に満足しているだろうか?



現実に何か違和感があるなら、あなた自身で変えることができる。

なぜなら、あなたそのものだから。

現実はあなたを振り回す原因ではなく、あなたの結果だから。



あなたは驚くかもしれない。

自分には決してないと感じていたものが、あなたの世界には存在するから。

自分は決してなりたくなりと拒絶していたものが、あなたの世界には存在するから。

あなたとは反対側にあるように思われるもの、それらすべてを含めて、あなただから。

反対側がなければ、あなたは存在できない。

愛せる側、愛せない側の両方で、ひとつだから。

そして、両方ある今のあなたをそのまま愛せたとしたら、この世界に存在するすべてを愛せる。

なぜなら、世界はあなたそのものだから。

あなたと世界はひとつだから。


今週はお肉を食べなかった。
だいたい週末は外食でお肉を食べることが多い。
だからせめて平日自分で料理するときくらいはなるべく摂らないようにしてる。
いつだったか、かなり前に購入して冷凍しといた豚肉が未だにカチコチで待っている、、
ちゃんと頂かなきゃ!

マクロビでは食品を陰性と陽性に分けて考える。
肉類(陽性)を食べなくなった結果、大好きだったチョコレート(陰性)を食べることも激減。
ほんとうにすごいな~と感じるのは、食べなくても全く不満に思わないってこと。
体は自分が意識しようがしまいが、自然と陰と陽のバランスを取っているということを実感する。
お酒(陰性)を飲んだりすると、塩辛い(陽性)スナック菓子など食べたくなる。
で、食べたら食べたで甘いもの(陰性)が食べたくなる。
体ってすごいな~、自然の一部なんだな~と痛感する。

なるべく中庸の食事を心がけることで、料理が楽しくなった自分がいる。
調味料もなるべく無添加で天然のものを選ぶようになって、安心して使えるようになった。
バランス良く~と考えながら作ることが、純粋に楽しいのだ。
バランスの良い食事は体だけでなく心のバランスも取ってくれる。
体のことを大切にする気持ちは、自分自身のことを真剣に考え、ケアしている。
そうやって食事というかたちでケアすることは、とても自分に優しい。
自分に優しくできるということは、それだけの価値を自分に認めているということだ。

マクロビに出会ったとき、わたしはこれだ!と感じるものがあったのだ。
本当にそうだった。
純粋に、作る、食べるという行為が、気持ち良い。
「いただきます」「ごちそうさまでした」が心から言える自分がいる。

マクロビはぜひみんなに試してみてほしいことのひとつだ。
食べ方は生き方だと思う、だから、食事を変えると文字通り生き方が変わる。
わたしはそんな風に感じながら、やんわり、自分流で、できる範囲で続けていこうと思う。


あの人は言った。
「あなたは誰からも愛されて、何不自由ない暮らしができて、幸せでいいよね。」

わたしは言った。
「あなたとわたしは何も変わらないよ。」

あの人は意味が分からないといった顔をするが、わたしは続ける。
「あなたは、自分のことを誰からも愛されるのにふさわしい人間だと思ってる?
 何不自由なく、幸せに暮らしたいと思ってる?」

あの人は少し考えてこう言った。
「わたしはあなたのように誰からも愛されるような、穏やかで優しい性格じゃないから、、
 でも、何不自由なく幸せに暮らしたいとは思ってる!でもそうじゃない!
 わたしは毎日働いているけど、お給料は安いし素敵なパートナーにも巡り会わない!
 あなたはいいよね!優しい旦那がいて!楽しく主婦できて!」

わたしは言った。
「あなたは、穏やかで優しい性格だったらみんなに愛されると思ってるんだよね?
 あなたはみんなに愛されたいんだよね?だったら人に穏やかに優しく接してる?
 そうしたら、誰からも愛されるんじゃない?あなた自身がそう思ってるように。

 だけど、わたしはあなたはそのままでいいと思うよ。
 わたしはあなたが好きだよ。
 ただ、あたなは自分が好きじゃないみたいだね。
 
 あなたは自分はみんなに愛されるような人間じゃないと思ってる。
 あなたは自分は素敵なパートナーにふさわしい人間じゃないと思ってる。
 お給料も安いから、自分は何不自由なく暮らせないと思ってる。
 あなたはそうやって、自分で自分がどういう人間かを決めている。
 
 あなたは自分が思う幸せに、自分がふさわしくないと思ってる。
 だけどわたしは、自分が思う幸せに自分がふさわしいと知ってる。
 そしてわたしは、あなたが思う幸せにあなたはふさわしいと知ってる。
 
 事実、自分が幸せになることを許していないのは、あなたなんだよ。
 だけど、そのあなたが、唯一あなた自身を幸せにすることができる。
 あなたの性格も、素敵なパートナーも、良い仕事や十分なお金も、あなたが自分で決めている。
 あなたの望む幸せは、イメージできる幸せは、必ず手に入る。
 そのためにあなたは、自分の思う幸せに自分はふさわしいと信頼する必要がある。
 
 あなたが今幸せじゃないとしたら、あなた自身がそうあろうとしていないからだと思う。
 あなた自身が、自分は幸せじゃないと思ってるからだと思う。
 あなた自身が、自分は幸せにふさわしい人間じゃないと思ってるからだと思う。

 あなたを幸せにしないのは、あなた自身のその考えだけだよ。
 だから、幸せになることを自分に許してあげてほしい。
 今のあなたのままで、もう幸せになっていいんだよ。

 自分の望みに自分はふさわしいんだと、自分を信頼してあげてほしい。
 だって、他の誰でもない自分の望みだよ、自分以外の誰にふさわしいの?
 自分が望めることは、望めるというだけですでに自分にふさわしいんだよ。」

あの人は、分かったような、分からないような顔をした。
だけど、そういえば、今まで自分は幸せになれないと思っていたかもしれないと言った。
自分や環境や人間関係すべてに否定的に考えていたかもしれないと言った。

そして、しばらく考えてから、笑った。
「わたしがあなたみたいに幸せになれないとそう思ってるから、だからなれないんだね。
 今まであなたは特別性格が良くてラッキーでうらやましいと思ってたけど!
 あなたは自分を信頼してるだけなんだ!
 それがわたしたちの違いなんだね!」

わたしも笑った。
「そう!それだけ!
 実際問題何も変わらないんだって!
 うちの旦那も家計も主婦も何もかも、あなただったらうんざりするかもしれないよ。
 わたしはただ、幸せでいることを選んでいるだけ!
 わたしは自分が思う幸せにふさわしい人間だって、自分を信頼しているだけ!
 だから幸せなの!」

以来あの人は考え方を変えた。
「自分にはこのままで幸せになる価値がある!
 自分は自分の望む幸せにすでにふさわしい!」

考え方を変えたあの人は、自分自身や環境に対して否定的なことを言わなくなった。
そして、笑顔でいることが多くなった。
そして、素敵なパートナーを見つけた!

ブラボー!!


マクロビを取り入れるようになって、食生活が変わった。
食生活とは、生き方そのものだと思う。

体のことを真に考えるということは、体を自分自身と切り離し、自然の中の一部であり、植物や動物や地球自体すべての生命体の中のひとつであると考えること。
「体を大切に」この言葉はもう精神的な意味ではなく、真実生命体として慈しむということだ。
花を枯らさぬように、きれいに咲くように、日に当て水をやりよい土を選ぶのと同じことだ。
人体という生命体に、光を当てよい水をやりよい土を選ぶ、言い換えれば、体に必要で、体が欲するものを摂取し、体の機能を損なわない生活を選び、精神的によい環境を選び、喜びの光を当てる。

体は心と繋がっている。
体は地球と繋がっている。
わたしたちの体は、真実自然の一部だから。

今まで、わたしは料理が好きじゃなかった。
特に自分一人のためだけに作るのはほんとめんどうでしかなかった。
だけど、マクロビに出会ってから、料理が好きになった。
食べることが、花に水をやるような喜びになった。

生き方が問われている今、食生活を考えることはとても意味のあることだと思う。


著者:エスター・ヒックス/ジェリー・ヒックス
「引き寄せの法則の本質」より


まず、ネガティブな感情を覚えるときには常に、あなたのナビゲーションシステムが内部からきわめて大切な二つのことを告げていると考えてもらいたい。
第一に、あなたが欲しているものがあるということ!
そうでなかったら、何の感情も覚えないだろう。
第二に、あなたは自分が欲しているものを見ているのではなく、反対方向を見ているということだ。

そのことに気づいたら、自分にこう言ってもらいたい。
「わたしは何か大切なものを求めているが、わたしが求めているものは何だろう?」
そのあと、「わたしはなぜそれを求めているのだろう?」と自問してもらいたい。
自分が何ゆえに求めているかをよく考えたら、既に望みを達成している自分を思い浮かべよう。
自分のなかから肯定的な感情がわいてくるまで、既になりたいものになった自分、欲しい物を手にしている自分、やりたいことをしている自分を思い浮かべるのだ。



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引き寄せの法則と呼ばれるものは、もう世間の周知のものとなっている。
だけど、その法則を本当に活用し意図的に引き寄せている人は一握りだと思う。
それは、自分の思考、感情をコントロールできないからだし、自分の真の姿や宇宙のシステムに対する信頼が欠如しているからだ。
信頼、それこそがキーだと思う。
自分自身の価値を認め、創造主としての力を信頼すること、そこから意図的な創造がはじまる。
自分が創造したものではないものは、変えることも、責任を持つこともできない。
自分が持ってさえいないものは、手放すことさえできないから。
この本は、思考、感情をコントロールする為のすこぶる簡単な方法を教えてくれている。
まず思考の焦点を変えることで、これまでの願い/望みの焦点が、「足りないもの」という見方から「すでにそうであるもの」へと肯定的なものへと転換される。
そうやって自分の感情に注意深く向き合い、思考と想像力をすでにそうである自分に合わせる。
続ければやがて自然に肯定的な感情を選べるようになるだろう。
自分の思考、感情が現実を創っている。
そのことを心底受け入れたとき、意図的に思考、感情を選ぶことを誰もが選ぶと思う。
実際、今も選んでいる。
まずは信頼から、そして、簡単な方法の実践から、驚くべき転換が起きる。
それはいつも、わたしたちの信じるままに。


あなたのために、あなたの世界は存在している。

あなたが、あなたらしく、ありのままで、輝くために。

世界を見てみよう。

あなたそのものだから。

あなたが望む世界ではないですか?

ならばあなたが変えましょう。

誰も変えてはくれないから。

だって、あなたの世界はあなただけのものだから。

あなたが創り出した世界。

あなた自身が変えられる。

道しるべは、「したいこと」をすること。

理由はいらない、「わくわく」を感じることを、素直に選ぶこと。

恐れを捨て、信頼から、進むこと。

あなたのが輝き出せば、あなたの世界は輝きだす。

世界を見てみよう。

あなたのように、輝いている。


誰もが自分が思うような役割を演じたいと願う気持ちが、葛藤を生んでいると思う。
良い人という役割、よくできた息子や娘という役割、優しい頼りがいのある友人、親という役割。
特にそれぞれ自分が信じる「善人」という役を演じることに必死になっているように思う。
悪人だけはやりたくない!悪人なんて評価されない!ダメで嫌な人間だ!わたしは違う!
誰が善人と悪人を決めているのか・・・自分しかいない。

自分にとっての善は、時に他人にとっての悪かもしれない。
自分にとっての悪は、時に他人にとっての善かもしれない。
その結果は自分の視点だけでは決して正しくなんて判断できない壮大なものだし、たくさんの人が絡み合って、想像もつかなかった結果に導かれるかもしれない。
いや、きっとすべてがそうなんだと思う。

自分が考えてる以上の結果や影響が色んなところにあって、それですべてが上手くいっている。
ある事柄の結果が失敗だなんて落ち込んだり誰かを責めたり、結果を受け入れられないでいるのは、すごくすごく小さい自分のこだわりに過ぎないなと思う。
わたしたちは、よく自分の思った結果じゃない時、自分の思う理想の評価が得られなかったと感じる時、失敗したとか悪く思われたとか腹立つとか、ネガティブな葛藤に襲われる。
だけど、実はそれ自体が自分にとってはもちろん、すべての人にとって最善で、宇宙全体の計画通りなんだとしたら、事象のひとつの側面だけを捉えて良いだの悪いだの判断することって、
ほんとに馬鹿げてる思いませんか?

今までのすべてのことがなければ、今のわたしはいない。
月並みな言い方だけど、逆に言えば、今のわたしのためにすべては起こった。
だとしたら、一見悪に見えることは、実は最善だったってこと。
すべては本当に禍福は糾える縄の如く、複雑に絡み合っている。
その網目の一目一目しか見られないわたしたちには想像も及ばないくらい、素晴らしく、完璧で、最善で、感動的な世界が、この世界なんだと思う。

時には悪役と思える役もいいかもしれないね。

自分の感情に素直に生きることって、自分らしくあることって、善悪や禁止事項や色んな判断に制限されたわたしたちには抵抗があるのかもしれない。
だけど、そんな判断を一切しないありのままで健やかな自然のシステムの中では、単に「ユニークな個性である自分であること」はより一層輝きを増すことだと思いませんか?

良い役も悪い役も、すべての役柄があってはじめて成り立つストーリー。
それぞれみんなが違う糸を持ってて、そのみんなで壮大なタペストリーを紡いでる。
もちろん見たこともない想像もつかない壮大で美しい図柄が用意されてあって、心配しなくてもちゃんとその図柄どおりに、完璧に紡がれている、そんなかんじ。

どの部分も、必要で最善で完璧なんだ。
どの役柄を演じることになっても、必要で最善で完璧なんだ。
善人じゃなく悪人、賢者じゃなく愚者、温かい人じゃなく冷たい人、一見ネガティブに思えて、
社会にみんなに評価されないと不安になって、苦しくなって、思い悩んでも、どの役柄も、同じだけの価値があり、同じだけの意味があり、同じだけの愛で許されている。

想像もつかない壮大なストーリー。
見たこともない美しいタペストリー。
わたしたちはその一部であり、紡ぐ人。

そのゆるぎない完全性を信頼し、もっともっと自由に、この世界を生きよう。