ボンの生まれでLondonにいたヴァイオリニストザロモンは、
「Johan Peter salomon」は前々からハイドンに🇬🇧に来るように何度も手紙を出していたが、ハイドンは自分の殿様の生存中は学長の務めから離れるわけにはゆかない。
1790年にニコラウス・エステルハージ公爵か世を去った知らせを聞くと、ザロモンは直ちにウィーンに急行してハイドンの家をたずねた。
そして「さあ支度をしてください。二週間後にご一緒にLondonに出発しましょう。」
その時モーツアルトは、ハイドンに向かって「あなたは長くはLondonに我慢することは出来ない。すぐに戻っておいでになるでしょう。もう若くはないのですから。」
その時ハイドンは59歳だった。
グリーンジンガー
この説を書いたグリーンジンガーを調べてみましたが、良く解りませんでした。
ハイドンとモーツァルトの関係を初めて知り驚きました(笑)
今日は、
ハイドンの「時計」を聴いてみよう。
1793年〜1794年の作品です。
wikipediaで調べましたら、
時計と言う愛称はハイドンによるものではなく、第2楽章の伴奏のリズムが時計の振り子の様に規則正しい事からつけられた様です。
一聴しましたが、落ち着く曲です。
交響曲 第101番 ニ長調 作品101
