寡占により市場を支配せよ28.10.30
  しかし既述の通り、合併による寡占化は、我々需要側・消費者側にとって百害あって一利無しである。一つも良い事は無い。
寡占化は市場原理を歪めるばかりか、遂には縊殺に至らしめる。
供給側は市場競争に晒されないために、① 価格の支配 ② 生産量の統制  を可能とする。「製品やサービスを、より廉価にして、より十分な量」を供給するという、市場原理のイロハが通用しなくなるのである。何故なら企業は利潤最大化を目的に存在しているから。道徳的な良し悪しとは無関係に、自己利益のために世界は在る。他社との競争があるから「価格を下げ」るのであり、他事業者が進出するから「供給を減らせない」のである。
  当たり前の話だが、市場への自由参加と、市場での自由競争こそが、需要側・消費者側の利益と生活を守ることを忘れてはならない。

  何故、官僚は合併による寡占化と、中小・零細企業潰しに熱中するのだろうか。
云ふまでも無く業界を牛耳りたいからだ。牛耳って「遣っている」という権力欲・支配欲を満たしたいからである。
コマイ会社が何十万、何百万あろうと、そ奴等はお役人様を振り向うともしない。鬱しいといった視線を投げる。処が巨大企業数社に絞れば、彼らは何をするにも役所の規制や制限を気にせざるを得なくなる。役所との「濃密」な関係を結ばざるを得なくなる。有象無象の輩を「整理」し、「品行方正」「由緒正しき」大企業とだけ、お友達付き合いすれば足りる。
  完全競争と自由市場は官僚を不要にする。「完全競争」・「自由市場」と「官僚」とは不倶戴天の間柄である。

  確かに現実的な横滑り先・天下り先を必要としていたことも事実だろう。お役人様個人の視点に立てば横滑りだろうが天下りだろうが、咎められるべきことではないのは無論だ。人間は自我機能を優先させたからこそ生物として存続して来たともいえる。お役人様が個人としての生存を最優先させるのは個人としては全く正しい。
此処で気付くが、官僚は労働市場に於いても自己が「完全競争」・「自由市場」の原理に服すことを拒否している。勿論、愚民共が市場原理に服すのは勝手だ。だが国家社会主義者たるお役人様は別格だ。愚民共は平等に国家に疎外され他存在であり、官僚は国家機構を私的占有した存在である。

  それはさて置き、寡占化は供給側にとっても決して有益ではないのを知るべきだ。
短期には企業としての利益最大化に急速に近づくが、長期には業界そのものを衰退に導き、逃れ難く命運を伴にする。韓国を見れば斯く断ぜざるを得ない。船舶、自動車、鉄鋼、精密電子機器、白物家電・・・等。道連れの地獄旅。
一時的には価格支配、供給独占を達成して、国内を植民地として莫大な利益を上げる。しかし長期には企業が互いに切磋琢磨する機会を喪失する。企業は研究開発日を惜しみ研究開発を怠り、競争による成長を放棄する。軈て業界そのものが衰弱死する。
日経新聞を始とする日本のマスゴミも、「韓国に倣え」とばかり頻りに煽った。「驚異の韓国経済」「韓国は一業種一独占企業体制で世界企業化した」「IT先進国韓国を見倣え」
ウマウマ口車に乘ったのは一部のトンデモIT企業だけだったようで、せめてもの幸いであった。
  日経新聞は言い訳するだろう。「それは10年も15年も前の話だ。既に時効だと」
だが記事を真に受けた何処かの国の政権与党が10年も経ってから模倣することになろうとは夢想出来なかったろう。