価格を支配し、量を統制せよ28.10.29
安酒を呷り乍ら、ふと思い付いたのだが、間接税が高くなるほど「寡占化」が起こるのではなかろうか。酒税のことである。私も頭が悪いなりに仮説を立ててみたい。
  ビールが例として分り易くなかろうか。
  ビールは日本酒に較べると杜氏が必須な訳では無し、製造工程が単純だ。度数が低くなるがド素人が自宅でも作れる。それもあってか所謂地ビールブームが列島を席巻したのだが、紆余曲折があって、結局大手4社の独占は変わっていない。
ビールの値段の半分以上が酒税が占めるが、更に消費税が全体に課税される。実態は二重課税に他ならない。思うに、この高率の間接税とメーカー販売4社の寡占とは、抜き差しならぬ関係があるのではなかろうか。
次々に消えて行った地ビールの閉鎖理由が何れも「思ったように収益が上がらなかった」「維持するだけの収益が出ない」となっているが、正確には「納税が負担だった」、或いは「納税できなかった」からなのではないだろうか。勿論口には出さない。税務署様の爾後の仕打ちを畏れて口を噤む。
  尤もビールの場合は生産量の縛りが辛いとの見方もあろう。一定規模以上でないと役所が認めて呉れないのだが、そうすると初期投資が大きい。設備投資と一定以上の消費量を同時に満たさないと存続出来ない。

  我々素人が考えても分るが収税する側の財務省とすれば、企業が寡占化するほど、手間暇掛らず都合が良い。実は寡占化で恩恵を受けるのは唯一徴税側だけだ。断言できる。

寡占化すれば独占の弊害が如実に出る。需要側には良い事は一つも無いのだ。
例えば価格が供給側に支配される。需要に無関係に利益を最大化する方向で供給量が調整され絞られる。
市場メカニズムが機能せず、新規企業が市場参加することが事実上不可能になる。メーカーの研究開発が等閑になる。等々・・・だが、そんなことは財務省にはどうでも良いのだ。
  多様な供給チャンネルだの、酒文化の多彩な発展だの、地方のチャレンジャーの参加だの。そんなことは寝言に等しい。財務省は斯かる青臭いことには一切無関心だ。効率良く税金が徴収できること、これに勝るもの無し。

  これは経産省(旧通産省)の官僚にも言えよう。合併狂い、合併気違い、合併オタクなのだ。二言目には合併、合併である。凡そ有りと有らゆる産業分野をして、寡占的独占に誘導しようと画策している。
それこそが経産官僚の聖なる使命と信じて疑わない。自動車、瓦斯、鉄鋼、素材、船舶、石油、医療、果ては小売りに至るまで、経産省(旧通産省)は憑依(ツカ)れた様に合併誘導に狂奔して来た。
そして合併指導に従わぬ者は徹底して排除され冷遇された。無視や排除で済んだら御の字である。白地(アカラサマ)な妨害や潰しを覚悟せねばならぬ。

  官僚は「自由な市場参加」だとか、「自由な競争」だとかを心底憎んでいる。何故なら、自由競争は官僚の干渉を許さないからだ。官僚の干渉と相容れない。自由競争や自由な市場参加は、官僚の存在価値を限りなく低減させる。官僚とすれば糞面白くないことこの上ない。何がでんでも潰さねばならない。それは学生が机上の空論、経済学の遊戯として弄(モテアソ)ぶ代物であって、段じて現実に存在してはならない
官僚が生理的に受け付けない観念は、自主独立、独立覇気、自立自尊。不撓不屈、勇猛果敢。自由市場、完全競争。
お役人様の前でウッカリ「自由市場」だの「完全競争」だのと口を滑らせれば、凄まじい形相で睨み付けられる。それは官僚不要と同義だからだ。
  官僚が民間に求めるのは、官僚依存、官僚迎合、御上大事、お上意識、公共事業依存、甘え、癒着、談合、天下り。
どれだけ官僚の顔色を窺い、官僚に迎合したかによって、お役所から見た企業価値は決るのである。世紀の大嘘たる「戦後日本は官僚の統制経済で作った」を後生大事と信奉する会社代表者でないと、役所の有形無形の圧力を甘受せねばなるまい。