国家の前の平等 28.10.28
此処に於いて官僚の優越感は、十全な満足を得る。
官僚様は今や御自身の手により「完全な平等」が実現したと考える。
完全な平等を実現するためには、国家の資産は100%国家に帰属されねばならない、官僚は斯く確信する。そして官僚のみが唯一的に管理に当たる。
この時、管理と所有は境界を失う。即ち官僚が国家そのものを「所有」する。
何となれば、所有は他の競合者を全て排除し、占有が独占化したものと見做すことが出来るが、官僚は他に競合者を持たないので、管理することを以て事実上の所有を獲得したものと観察されるからだ。
例えば熱帯の孤島にボートで漂着した人間を考えてみるが良い。彼は単に島全部を独りで占有しているに過ぎないのだが、競合者が存在しないことにより、事実上の所有者となる。島は一年中暖かで、夜も昼も寒くなることが無い。一年中熱帯の果樹が実り、バナナだろうがマンゴーだろうが絶えることなく実る。島では泉が湧き出、100tボートには生活に必要な一切が山のように積んである。この時、以下が成り立つ。

  「独占的管理」≒「排他的占有」≒「所有」

  国家社会主義とは、国家エリートにより国家財産が一見合法を装って私的に簒奪される支配形態と云えよう。その為にも大衆は国家によって「平等」に疎外されねばならぬ。
  国家エリートは自己の支配を正当化するために頻りに「公平」「平等」というスローガンを繰り返す。日本の財務官僚様が「平等な社会負担」「消費税による公平な税負担の実現」だのと、税金を惜しげもなく蕩尽してプロパガンダするのがそれだ。歴史を振り返っても官僚が「公平」「平等」を宣伝し始めると、国家社会主義の時代が押し寄せると準備しておいた方が良い。

  成る程、国民は国家の前で平等に「させられる」。但し等しく無産者、即ち貧乏人としてだ。
此処に於いて日本の官僚が中産階級を目の敵にしていることに気付こう。日本の官僚は中産階級に対し潜在的な憎悪を抱いている。
  官僚がお友達になりたいのは寡占的大企業や超富裕層である。それ以外の99%の国民は全て一律貧困層で良い。官僚より歴然と「下」の無産階級であるべきなのだ。
目障りなのは中産階級なのだが、数を減らして只管弱体化させることになる。一定規模以下になれば政治的にも無力な存在となろう。と官僚様は計算しておられる。中産階級は国家社会主義の危険な批判者になり兼ねない。彼らの口を噤ませる為には、資産を国家が吸い上げて、彼らを下層階級に叩き落す事だ。余程骨惜しみなく努力した者か、図抜けた能力に恵まれた、ごく例外的な者だけが沈みゆく中産階級から抜け出す。富裕層の仲間入りを果たせることが可能となろう。

  我々貧困層も「平等」のレトリックを知っておくべきだろう。通常、お役人様が「平等」とか「公平」とかを声高に唱える時、お役人様御自身は決して、「平等」や「公平」を求めてはおられないと云う真相を、だ。欲しいのは「特権」や「特別」だ。何故なら、「平等」や「公平」は自分以外の者に向けられているからだ。
御自分は棚の上にあげておいて、御自分以外の一般大衆を「平等」、即ち十把一絡げ、一山百円にしろと仰っているのだ。御本人様は、その平等な大衆を棚の下として、その棚の上においでだ。国家機構は、云わば棚の役目をして、強制力を伴って、棚の下と上とを截然と区分けする。                                                               
  官僚様が求めておられるのは、棚の上に乗っかった、この優越感なのである。