竹下登首相の偉大なる薫陶 28.10.5
  全くの私見なのだが、日本の首相が変質したのは竹下登氏からではなかろうか。明かに国家指導者としては不相応な人が就任するようになったのが竹下登氏からに思える。
 これも私的感慨なのだが、実父が婿養子のパターンも竹下登氏に始まるのではなかろうか。竹下登氏の実父は「武永勇造」氏であるが、「武永勇造」氏が島根県掛合町の「竹下儀造氏」の婿養子となってから,「武永勇造・武永登」親子は俄かに運が開けた事情にあるようである。因みに総理の実父勇造氏は、ネット情報を丸写しにすると以下の人物と伝えられる。

「勇造さんは、いまでいう“逆玉”ですわ。家つきの娘と結婚して、気楽な生活を楽しんでました。家業の酒造りは、奥さんと番頭さんにまかせっきりで、政治談議をはじめると尽きることがない。ですから、朝はいつも11時前には起きてきたことがない。“まだ寝ちょって起きない”といってよく起こしたものです」  

 実父が素封家や資産家・名家の令嬢に取入って結婚し婿入りする。婿入りと同時、又は直後に資産家の祖父母と養子縁組する。所謂逆玉であるが、このパターンは小泉純一郎氏、安倍晋三氏により、しっかり踏襲され、ほぼ完成されている。
  キーワードは「寄生」と言ったら叱られようか。
  生まれながらに「寄生」の資質が組み込まれている。ユダヤ資本と波長が合う要件の一つが「寄生」の資質であるやに思える。

  また、3総理共に「選挙オタク」である点も共通している。選挙をゲームや戦術競争として捉え、徹底して楽しんでいる。脳がゲーム脳になっており24時間体制でゲームに興じて倦むことが無い。選挙そのものが楽しみであり生き甲斐であり目的なのだ。選挙に熱中して疲れたり飽きたりと云う事が無い。
 多分、現代「民主主義」社会では、政治家は選挙オタクでないと耐え切れないし勝ち抜けない。「民主主義」社会を生き延びる要素の一つは選挙オタクであることではなかろうか。

 選挙に勝って何をするか、などというのは二の次・三の次の話だ。現代政治とは政治に勝つことそれ自体が政治活動の目的なのである。何故なら勝者だけが政治的に正しいとされるから。その為に手練手管の限りを尽くし資源と人材のありったけを投じてオーガナイズされる。

 政治家になってからは、政治活動のすべてが「次の選挙に勝つ事」に目的化され、合理化される。
 政治家として世界観やら理念やら政策の実現を目指すのではない。選挙に勝つことを唯一の目的に政治活動が展開される。だから一面で極めて合目的で無駄が無い。真意を知らない人が見たら、この政治家は何と機能的で無駄のない仕事振りだろうかと感嘆することになろう。
「彼は全身全霊『政治』に打ち込んで『無駄が無い』」

  選挙の為の政治とは何だらう。
 少なくとも理念やイデオロギーとは無縁な政治だ。恐らく利権密着型の政治であらう。選挙にとって最も有効な利権を嗅ぎ当て、一体となってその利権を実現するための政治だ。利権が主、政治が従となることで、利権に寄生することが可能となる。これにより政治の理念だのビジョンだのを提示せずに済むことになる。利権を優位にあるものとして立てることで、利権の側に正統性の根拠の説明責任を負わせるのだ。
 利権は具体的には自動車産業であったり、大型輸出産業であったり、最終耐久消費財産業であったり、ゼネコンであったり、建設業であったり、医師会であったり、大手薬品業界であったり、エネルギー産業であったり、様々だ。

 だが最大の利権団体であるのは、官僚であることを、政治家先生は重々弁えている。この最大最強の利権団体の利権を最優先する限り、寄生者としての政治家も安泰たることを、その鈍重な頭脳で厭と云うほど学習させらさているのだ

 同時に利権調整型の政治でもあろう。多彩な利権、乱立する利権を調整することで、差配者としてのポジションを確固たるものにする。
 これにより次の選挙の票を固め盤石とする。永久選挙装置が完成する。