インフレ念仏教が日本を救う28.8.17
 仮に我々低所得者が、月に手取り30万円あるとしよう。
  社会保険料が天引きされ所得税が源泉徴収されて、雇用保険が引かれ、人によっては県市民税を引かれて、手残り24万円としよう。
  此処で持続的物価下落(デフレ)により昼飯の定番の牛丼が480円から280円になり、カレーライスが、500円から390円になり、天婦羅卵蕎麦が350円から290円になっていたと仮定しよう。
 手残りから昼飯代を×25日として、更に引いたとすれば、他に高級珈琲など飲まなければ可処分所得の残りは去年より多い筈だ。
 要するに我々低所得者、即ち貧乏人にとっては、持続的物価下落(デフレ)は、可処分所得の増加とほぼ完全にイコールである。
 一国の経済で全体が持続的物価下落(デフレ)にあるとすれば、可処分所得の増加は、経済成長と捉えて良いのではあるまいか。
 持続的物価下落(デフレ)で可処分所得が増えた。給料が増えた訳でも無いのに月に19杯しか喰えなかった牛丼が、月に26杯喰えるようになった。これは世の中が経済成長したからだと、私、貧乏人某が理解したとして、果たして間違っているのだろうか。
 世の博学博識を売りにする経済学者先生から是非とも教えを乞いたいものである。
 だぶん、どなたも教授役を受けまいが。

 経済学者先生様は寄って集って上記の式を否定するであろう。何となれば上記を認めることは此れまでの経済政策が誤りであったことを認めることにもなるからだ。

  人は自己の置かれた社会的地位や、所属階級、門地門閥、から自由では有り得ない。保有する資産や財貨などによっても大きく意識や価値観を支配される。
 須らく人は当人の意思とは係りなくポジショントークに走らざるを得ない。帰属集団やらの自分の社会的ポジションが無意識に前提となっており、その社会的ポジションに有利な方向に世論が動く様な発言しか出来なくなる。
 特に日本人の場合、帰属集団への忠誠こそが、自己存在の倫理的証(アカシ)と信じられているので、帰属集団の利権に反する発言に対しては徹底した黙殺や封じ込めが図られる。
 此処で気付くことだが帰属集団が社会的に強力であるほど、恐らくは忠誠の証明は苛烈で容赦のないものになるであろうという事だ。更に構成員は帰属集団への忠誠心争いに、互いに狂奔する。忠誠心競争に勝利した者ほど、帰属集団での評価が高まるからだ。
 例えば帰属集団が官僚組織、半官組織、巨大金融、大學アカデミア、巨大報道組織と云った場合だ。ポジショニングする集団が社会的に強力なだけに、ポジショントークは自信満々で、反論を許さぬものとなろう。プレゼンテーションに長けた連中が揃っている。もし、そこに共通の利権が見付るなら、巨大帰属集団等は、強力なタッグを組んで反論圧殺にダイナミズムしよう。
 勿論、ご本人は御自分の主張がポジションが成さしめるポジショントークでしかなく、理論でも原理でも無い事には、自ら気付く事は無い。

  先に、銀行を始めとする金融機関は、インフレ下でしか生きられない『先天的嫌デフレ生物』であると申し上げた。彼らはインフレ下に於いてインフレトリックを用いることで繁栄する「先天的好インフレ生物」である、と。即ち、デフレ下では酸欠になって死滅する運命にある。
 理屈を突き詰めれば、デフレ下では中央銀行を筆頭とする金融機関は有っても無くても良い存在と化すことになる。理論上レーゾンデートルを失ってしまうのだ。
 寧ろ金融支配それ自体を目的化する中央銀行は有害で危険な存在となる。デフレ下では、中央銀行の存在性そのものに対し根本的疑問が囁かれ、存続の可否が大真面目で議論される。
 同様に、持続的物価下落の局面では経済学者先生様はお呼びでなくなる。

 考えてみれば、経済学者先生様の御託宣する効能書きも、先の銀行の宣伝文句と変わらないことに気付こう。
「今、インフレ率が年5%です。お手元の100万円は一年後には95万円に成ります。当行にお預けに成れば2%の御利息が付きます。これで被害は3%で済みます」

 これが持続的物価下落(デフレ)下だと、どうなるか。
「今、デフレ率が年1%です。お手元の100万円は所持しているだけで一年後には101万円に成ります。当行にお預けに成れば出血大サービスで0.001%の御利息が付きます。端的に申して、当行にお預けになるお客様は、人に預けるリスクを余分に負うだけアホです。
 当行もコストが掛るだけで大迷惑です。」

 「デフレとは持続的物価下落のことでり、持続的通貨価値上昇を意味する」。
 上記に付いては、ハチャメチャ金融政策を唱える世の経済学者大先生様も、流石に異議は唱えまい。否、唱えられまい。異議申し立て出来ないばかりか、セールストークも封じられる。

 物価は下がるし、タンス預金の通貨価値は上がるし、良い事尽くめだ。我々低所得者層、平たく言えば貧乏人にあっては、デフレ(持続的物価下落)は諸手を上げて大歓迎。万々歳なのである。
 デフレ(持続的物価下落)下にあっては、計画的インフレを前提とした経済政策は無用無価値である事、糞にも劣る。経済学者大先生様もお座敷を失う。