神の不在と恐喝 28.8.8
  恐喝がキーワードであることに気付いたのは、実は最近だ。
  会社を閉じて5年に成るが、その会社を運営してしていた頃に、900万円弱を○鮮人の老婆に持ち逃げされたことがあるのだが、その老婆が、持ち逃げと同時に、会社と経営者の誹謗・讒謗を、辺り構わず撒き散らしたのである。経営者の放漫経営で経営危機にあるだの、経営者の思い込みで資金難に陥っているだの、嘘八百を取引先やらに触れ回ったのだが、後始末で忙殺されながら思ったのであるが、同老婆のメッセージは「恐喝」ではなかったろうかと。
  私の使い込みを追求すれば、もっと風聞被害に遭わせてやるぞとの「恐喝」のメッセージであることに私は気付いた。○鮮人たる私には○鮮コネクショクのバックが在る。
 誹謗・中傷、或いは軽度な嘲弄・揶揄まで含めて、それらは「恐喝」のメッセージと何処かで繋がっている。
「中傷の風評を流されたくなければ、横領を見逃せ」
「誹謗の噂を流されたくなければ、言う事を聞け」
「嘲弄されたくなければ、子分に成れ」
「揶揄されたくなければ、二度と現れるな」

  もし恐喝のネタが被恐喝者にとって弱みであるとして、且つその弱みを恐喝者しか知らないとすると、その効果は抜群だ。正真正銘の恐喝に成る。先の○鮮人老婆様は社内のマル秘情報まで、内通者を通して入手していたが、恐喝の本質を理解していた、とつくづく思う。恐喝とは何ぞやと云う事が分った上での明確な確信犯だ。現に、何から何まで手際が良すぎる。

 風聞は組織的に流されており、実行者は関係する○鮮コネクショクメンバーらしかった。