7/23 キューピット小父さんを葬れ
 キューピット小父さんや、キューピット小母さんは絶滅したのだろうか。
 仲人好きの小父さん、結婚世話好きの小母さん方だ。
 記憶だと昭和50年代までは至る所で御活躍のご様子であった様な。
 最近頓(トミ)にキューピット小父さん小母さんを見掛けない気がする。
「未だ独りだろ? 親戚にいい娘がいるけど、逢ってみない?」
 などと迂闊に未婚者に声など掛けたばかりに、弁護士先生様から非弁で叩かれやしないかと、私などもビクビクしている。弁護士法72条違反、てヤツ。
 婚姻という身分法上の契約行為の相手方を代理して探す訳だから、弁護士先生様から『斡旋』だの『仲立』だの『代理』だの『仲介』だのと指弾されたら、正にその通りで反論できない。
「お前、モ〇タ、バカヤロ、また非弁やってるな。」と何処からか偉い先生様のお叱りのお声が聞こえてきそうである。
 無事話が決まって、慣習上の謝礼など受取ろうモノなら、有償行為と決めつけられ間違いなく非弁で遣られる。下手に両家から受取れば双方代理と指弾されかねない。待ってましたとばかり、アゲられよう。
 命あっての物種。「ウチの息子も30半ばですけど、良い嫁さん、誰か御存知ありませんか。お顔の広いところで」などと煽てられても無視無視。
「柄じゃないんでキューピット親爺は引退しました」

 処で経験上思うのだが、仲人好きが介在するだけでは、仮に結婚に辿り着けても、望ましい婚姻関係の『継続』には中々結び付かない。
 現代でも結婚斡旋所だの婚活屋だのが巷(チマタ) で隆盛を謳歌しているが、成る程、何組かは何とか結婚には漕ぎ着ける仕組みではある様だ。
しかし、一カ月二カ月で破綻して別れたのでは何の意味もなかろう。コスト倒れもいいとこだ。却って精神的に傷を負って回復困難になる。
 或いは無一文の一方が他方の財産をフンダクって持ち逃げするなり、逆に居直って追い出すなり、更には毒殺するに至っては、犯罪誘発の巣窟ではないかと当局に疑われよう。
 現代では既に聴き慣れぬ方もあるやに耳にするが『褌親(フンドシオヤ)』と『腰巻親(コシマキオヤ)』がシステムの裏打ちとして必須なところ、それが欠けているのである。
 仲人親が、婚姻を後見する為の名目上の「表」の親なら、褌親・腰巻親は「裏」の親である。日本社会の文化的伝統として、褌親・腰巻親が仲人と表裏一体となって結婚を触発・誕生・継続させるために機能していたのである。褌親・腰巻親を忘れたところに、現代の婚活ビジネスの不毛がある。くっ付けたら後は知らん、サッサと金払え主義による荒廃がある。

 我々は忘れ掛けているが、若者宿や娘宿が習俗として連綿と続いた文化的事実が実在したことである。
 嘗ては十代になると若者組や娘組に入ることが村落共同体や地域共同体では制度化されていた。其処では規範性秩序の獲得と、共同体構成員としての社会性の育成が成されると共に、今で言うところの性教育に相当するものも暗黙の裡に施された。
 褌親・腰巻親も伝統的社会教育システムの一環であった。その役目には実務的性指導、実際的性教授が含まれていた。男女の性機能の差異と性行為の相互性の一般論から、個別の性的嗜好、性的偏向性などもヒアリングを通してそれとなく掬(スク)い上げられる。
 離婚原因の第一は相変わらず性格の不一致のようだが、実は『性』の不一致であることを世人は基より承知している。先人達は疾うの昔から『性』の不一致が婚姻継続の重大な障碍となることを知悉していた。だからこそ、褌親や腰巻親を表の仲人と共に婚約成立システムの裡に組み込んでいたのである。
 男女は結婚後も、昼の生活と共に夜の生活でも不都合があれば褌親や腰巻親に忌憚なく相談することが出来た。例えば女性が不満を持てば、腰巻親に事情を話し、腰巻親だけで修正が利かなければ、更に褌親に相談し、褌親でも障碍を治癒出来なければ、褌親から男性に直々に指導がなされた。裏のコーチやコンサルタントが不即不離で手助けしてくれたのである。

 処で現代社会では、弁護士先生様が代理や仲介や斡旋は、全て独占あそばすと宣言しておられる。特に有償行為としての代理や仲介は弁護士先生様を通さないのは御法度と仰せである。弁護士法72条違反だと頻りに喧嘩しておいでだ。テレビを点ければ、どの番組でも弁護士先生様が一枚噛んで博覧有識のコメンテーターとして有り難い見識を披露しておいでだ。
 即ち、仲人も褌親も腰巻親も、弁護士先生様の前では不要だとのご宣託である。
 身を殺して以て仁を成す。仁を成さそうと褌親や腰巻親の承継者を以て任じることがあれば、待ってましたとばかりにセクハラで弁護士先生様からの吊し上げを喰うのが落ちであろう。下手をすると社会生命の息の根を止められる。
 そこで仲人や褌親や腰巻親の死体を前にして、弁護士先生様が替わりを務めて下さるのかといえば、そんなことは一切ない。弁護士法72条の勝利さえ確認できれば、目的は達成されたのである。